
平川市沖館宮崎。津軽SA(下り)に車で行ける場所(セブンイレブン津軽SA下り店)がありますが、そこの近くです。


もちろんSAには行きません。SA入口をそのまま素通りした先です。



周囲はリンゴ畑。


鳥海山神社はちょっとした高台の頂上に鎮座。この高台が鳥海山とのこと。
参道。
鳥居。
参道を振り返るの図。
境内。
東屋。


東北自動車道が見えます。
津軽SA(上り)。
案内板「鳥海山神社由来」

『今から約六千年前津軽サービスエリア一帯には先住民の集落があり、それらを守るチャン(保砦・ほさい)がここ鳥海山であった。室町時代後期、沖館山谷家三代目の祖、注善坊覚道はこの地の開墾が進んだことを見届け、自身が修行に訪れた縁により出羽鳥海山の神様(大物忌神)をお招きして祈祷所を建て、五穀豊穣と人々の安寧を祈願したのである。永正四年(1507年)のことであった。爾来、ここは鳥海山神社として人々の崇敬を受け今日に至っている。ここは津軽の霊峰岩木山と正対し、その眺望は津軽随一といってよく平川市百選の一つに選ばれている。平成22年8月沖館町会』

この日の天気は雨。

岩木山はまったく見えませんでしたが、もし天気が良かったら確かに岩木山を眺めるに最高の場所だと思います。
真っ赤なリンゴと美しい岩木山の画角。
何かの跡。

社殿。竹館村誌には次のようにあります…『文明年中藤原政友公と貴増婦人が奥州の此地に落ち、菴を結んでいたが、婦人の目に観音の正身夜々に見えるので此山を切拓き壱宇を建立し、観音堂と名付けた。その時一子を生んだので名を一道と名づけて是に観音堂を守護させた。』
施錠されています。本殿ですね。中には石像の神像が安置されています。棟札2枚…「奉鎮祭神明宮末社鳥海山神社改築竣工屋舎一宇 屋船豊受姫神 屋船久々能智神 宇迦之売神 産土大神 手置帆負神 彦狭知神 大山祇神」・「昭和五拾五年七月拾壱日祭事執行 斎主神明宮禰宜山谷英夫 氏子崇敬者代表三浦友太郎 神明宮責任役員今井銀作 工事請負者芳賀利光 中田清」。「大正八年陰暦陸朔日 皇太子殿下御成歳式御奉祝紀念」。


鳥海山神社御堂新築寄附者御芳名。今井弥一郎、三浦友太郎、今井銀作、岩渕長作ほか多数。昭和55年6月竣工奉賛会代表三浦友太郎、中田兼雄、山谷善作、松山直衛、三浦長一、吹田不二夫、田中妙統、中田清ほか7名。施工者中田清、芳賀利光。

石塔。
庚申塔(文政5年8月19日村中)。約80cm×80cm×30cmの自然石。

いや…安政かな!?

15cmほどの笠石を載せた庚申塔(安永4乙未年9月15日奉納〇〇〇〇〇安全切明村佐五郎、沖舘村講中)。触れないでとの注意書きがあります。
この赤い石は不明。

石塔裏のこれらの石も何かはわからず。



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