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弘前市松木平を散歩。『yuki散歩 part18』になります。旧千年村の一部松木平(小字:松元、松山下、富永、鎧田、宮本、平山、元木、戸沢、西ノ神、柳田、鷲ノ巣)には藩政時代の参勤路(羽州街道の一部)の風情が残されています。参勤交代が正式に制度化されたのが三代将軍家光の寛永12年6月21日の武家諸法度で、「大名小名在江戸交替所相定也。毎歳夏四月中可致参勤」(第二条)の定めによります。これにより諸侯は四月交代で在府一年・在国一年となり、妻子は人質の意味で江戸に居住することになりました。津軽侯の参勤は3月中旬に弘前を出て4月初旬に江戸に着き、帰国は4月下旬に江戸を出て5月中旬に弘前に戻りました。寛文9年に蝦夷地にシャクシャインの戦いが起こった際は、7月20日に江戸を出て8月4日に帰城し、翌年の参勤は免除されています。津軽侯の参勤路は初め西海岸の大間越から秋田領へ出る道筋でしたが、寛文5年に四代藩主信政が弟左門(信章)の子左内(宝永元年25歳没)を伴い、6月4日に江戸を出て6月21日に帰国したときから碇ヶ関口を通ることになりました。以後、城下松森町から門外、堀越、石川、大鰐、碇ヶ関を経て秋田領釈迦内に出る羽州街道を通りました。ところが貞享2年8月に堀越組代官相馬蔵右衛門(八右衛門の祖父)に命じて小栗山新道を開き、新道松山の下へ堀越村を引越させ、これにより松森町から富田町(元禄15年造成。町端の桝形と足軽町は七代藩主信寧時代の宝暦5年完成)、松原の坂道を通り、大和沢川を越えて千年山から小栗山、松木平、大沢を経て石川に出る山手の道が参勤路となりました(※前年に小栗山地内の松山を千年山と名付け御仮屋長楽亭を造っています)。信政は同年5月9日に参府し、翌貞享3年7月晦日に帰国していることから、この帰国時より新道を利用したものと考えられています。なお、この新道を造らせた理由については不明ですが、旧堀越城下と水田地帯を多くの人々が通るのを避けたものと考えられます。後の安政5年12月22日に第十一代藩主順承が"由緒ある地"として堀越村の復興を命じています(※但し堀越村は廃村になったわけではない)。
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松木平村は大鰐山地の土筆森の丘陵の北側、岩木川支流の平川左岸にあり、地名の由来はこの地域が松の木の生えるなだらかな丘陵地帯であったことに因むと考えられています。地内には縄文時代の遺跡「鷹ノ巣遺跡」があります。貞享4年の検地帳では田畑屋敷六十九町五反八畝十六歩、漆木七百六十一本その他とあり、天保5年の郷帳では五百九十石五斗の石高。明治12年の共武政要では戸数101、人口603(男312、女291)、牛2、馬91で、米・大豆を主な産物としています。同24年の戸数104、人口732、厩35。近世では字元木、西ノ神、鎧田その他の北側低地が水田、丘陵部がリンゴ栽培。昭和55年には世帯数213、人口956。平成5年6月には世帯数231、人口900。中央には県道石川土手町線(旧街道)が通り、字松山下で北へ分岐して県道松木平撫牛子停車場線(旧国道41号線)が通ります。また、昭和54年開通の広域農道石川百沢線(アップルロード)と昭和27年開通の弘前電鉄(弘南鉄道大鰐線)が字松山下、富永の北を通り、松木平駅があります。
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中田商店前の桝形(伊藤小七郎宅付近の三叉路)に一里塚之跡(昭和60年7月26日建立)があります。一里塚自体は現在は取り払われています。
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貞享2年から数えて300周年に当たる昭和60年7月に「松木平開村三百周年記念事業」が行われており、その際に「一里塚之跡」の標石が建てられました。
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桝形から先に進みます。
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一里塚之跡の次の曲がり角に松木平町民会館があります。
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「松木平開村三百周年記念事業」では「一里塚之跡」の標石の他、公民館前に「温故知新」の記念碑も建てられており、記念誌も刊行されました。
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「松木平開村三百周年記念 温故知新 前農林水産大臣・衆議院議員 田澤吉郎」。
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田澤吉郎(1918年1月1日~2001年12月12日)は青森県南津軽郡田舎館村出身で、津島文治元青森県知事の娘婿。第46代防衛庁長官、第5代農林水産大臣、第5代国土庁長官。1947年に29歳で青森県議会議員初当選。1960年には「津軽のケネディ」を名乗り、衆議院議員選挙に立候補し初当選。以来12回連続当選。
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裏面碑文…『津軽四代藩主信政公は貞享二年(1685年)参勤交代の公道として小栗山石川間の新道を開通した。これに伴い新村松木平を創設して以来三百周年となる。この間、幾多先人の数知れぬ労苦に対して敬意と感謝の誠を捧げるものである。ここにその歴史の一端を記し、健康で平和な住みよい松木平の発展を祈念して町民相諮りこの碑を建立する。昭和六十年七月二十六日松木平開村三百周年記念事業実行委員会』
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松木平町民会館より先の道。
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もう少し歩いてみます。
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社が二棟ありました。
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中田酒店の向かいになります。
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向って右の神額には「妻神」とありました。
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古い街道に相応しい社です。地蔵尊や神鏡などが綺麗に祀られています。
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昭和55年3月23日奉納の幟。
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向って左の神額には「白山二柱大神」(昭和10年4月6日)とあります。
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神像の他にも色々と祀ってありました。松木平村に対する感謝状などもあります。
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棟札…「惣司頭 松峯山・長永寺 大行院大先達阿闍梨法印明尊示之 當社開由ヲ奉レルニ尋往古天正ノ頃當國擾乱ノ砌堀越昻大久保甚右衛門ト云人有當村草創ノ人也 御先代様ニ奉レリ仕八十三騎ノ内其一人也或時甚右衛門出陳ノ折柄妻女故有而遂死彼妻女夫甚右衛門凱陳之為ニ目印墓所白旗二流建レ之今ニ白旗當村ニ傳ヘリ彼霊魂妻ノ神ト奉崇敬 維持明治三庚午年六月十五日依神詫精舎一宇建立ス 永世當村中安全加護給老翁聞傳ニ依テ今爰ニ記畢 殊別而安産守護」「奉再建妻之神本地辨財尊天精舎一宇村中安全風雨順時五穀成就諸病難退散祈所 聖主天中天 迦陵頻伽聲 哀愍衆生者 我等今敬禮 庄屋豊五郎 五人組 長右衛門 長左衛門 佐右衛門 惣村中 別當寶藏院大越東法印尊忮欽言」※自信なし!っていうか内容からするとこちらが妻神のようですね。
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木札。「聖歓喜天護摩供諸願成就祈攸 護國山久渡寺」。
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こちらは何かを覆っているのですが何かはわからず。
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この社よりもう少し先へと進むと稲荷神社へ向かう分岐があり、更に進むと弘前市大沢となります。
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牛沢川に架かる東洋橋(昭和52年3月竣功)を渡って更に先へと進むと以前に『八幡宮などなど (弘前市大沢)』の記事内で紹介した八幡大神・エゾエノキ、白衣観音などがあり、更に進んで大沢川に架かる大沢橋を渡ると同記事内の八幡宮があります。牛沢川沿い、牛沢川添北には諏訪神社があります。
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