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最初に言っておきます…大層なタイトルを付けてすみません!
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松木平稲荷神社を参拝した際に、地図を見ていて気付いた桂平岩と立岩。大鰐町の大地獄沢から桂平岩を目指してみました。地図を見ると大地獄沢は大鰐町、桂平岩は小栗山、立岩は大鰐町居土と大和沢の境くらい、土筆森が大和沢と小栗山の境くらいに位置しております。林道がいくつかあるのですが正直どこから向かえばいいのかわかっていません。
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「みどりの日」制定記念・三ツ目内山国有林分収育林契約分収林。
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分収林区域図。折紙林道と沢田林道の分岐となる三叉路にいます。大鰐町居土折紙部落の八幡宮のちょっと先です。
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折紙林道。
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大地獄沢に沿って沢田林道を北へと向かい、土筆森方面の桂平岩を目指します。
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沢田林道入口。
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途中に小和立入口という案内板がありました。
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道はしっかりしています。
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大地獄沢を眺めながら登っていきます。地獄沢とか地獄谷という地名は全国に存在。県内では八甲田や七戸町手代森にも地獄沢が存在します。その由来については様々です。地形や雰囲気に由来するものなのか、処刑場があったのか、天明の飢饉に関連するのか…。余談になりますが、大鰐町といえば早瀬野山石の塔手前の橋を左に入ったところに、「ハカドコ沢」という大地獄沢よりもインパクトのある場所があります。ハカドコ沢には今も卒塔婆が2本立てられていますが、この卒塔婆はこの山で不慮の死を遂げた人々の霊を供養するために早瀬野村の日蓮宗講中の人々と大鰐日精寺住職によって建立されたものと伝え、また、天明3、4年の大飢饉の頃から続くものとのことです。領内11万人餓死倒死疫病死人は余りにも多く、死骸や白骨は片づけられることもなく野ざらしとなっており、天明4年9月にこれらの餓死凍死人を埋葬して追善供養した場所がハコドコ沢とも考えられています(※8代藩主信明が餓死者埋葬を命じた直筆の御書付の写しあり)。
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さて、地図を見るとあの方面に立岩があるはずですが…
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林道からは見えません。そもそも方向音痴なので自信はありませんが。
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少々荒れた場所もありますが難なく歩けます。阿闍羅行者修行の径を踏破している私にとっては体力的にお茶の子さいさいですが、人の気配がまったくないのでちょっと熊が怖いです(こういう場所では人の気配が一番怖いですけど)。一応、武井壮さんの動画を見て、熊の倒し方については予習してきたので大丈夫かと思いますが。なお、しばらく歩くと山道が丁字路となり(峰越連絡林道へとぶつかり)、恐らく左に行けば立岩方面に近づきますが今回は行きません(※本音を言えば、最初に桂平岩を目指し、結局見付けることができなかったため、心が折れて行きませんでした。なお、丁字路というより、私が登ってきた道が峰越連絡林道の脇道になります)
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ってことで右へ進むと峰越連絡林道開通記念碑がありました。こんな山奥に石碑があるとは。居土折紙部落在住の老夫婦にこの林道の話を伺ったことはありましたけど。記念碑の内容は『この林道は県営工事として昭和42年43年度の2ヶ年で弘前市と大鰐町を延長4,761m、総工事費3,150万円をもって峰越連絡林道として開設されたもので、当組合の造林事業10周年を記念して、これを建立したものであります。昭和45年9月30日建之』
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めっちゃ山道を登って来たのに、ここに来て綺麗なアスファルト道路になるとは!!沢田林道は弘前市によって舗装されているとの情報は得ていたのですが…。なお、この整備された林道に関しては下記も参照ください。
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下りの三叉路。もはや小さな車ならば来れそうな道路です。どうやら熊に怯えながら一生懸命大地獄沢沿いを登ってきたのは間違いだったようです。沢田林道はクレー射撃場との分かれ道から舗装されたとの情報も得ていたのに、地図上だけで判断して居土から向かったことを少し後悔…ってことで、桂平岩への最短ルートはクレー射撃場方面からです。
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この三叉路は恐らく地図上のここ(緑色の丸)です。地図上でもきちんと三叉路です。居土からの大地獄沢沿いの黄色い線は私が登ってきた道。水色の丸が先程の立岩方面(もしくは折紙林道方面)へと分岐する丁字路(峰越連絡林道)になります。
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地図に間違いがなければ、この三叉路を左へ下ると左手側に桂平岩。
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っていうか左手は小高くなっており、その壁面はすべて岩です。岩はたくさんありますが特別な感じの岩は見当たりません。
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20.5
まさかこの丘全体が桂平岩なの!?って思ったくらいです。
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崩壊している部分もありました。
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道路にも石が。
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木々も鬱蒼としていてどれが桂平岩なのか判断できず。
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もしかしてこの上の方にあったりして。地図的にはそんな感じ。そうだとしたらここで断念です。
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危険な状態なのでさすがに登る気になれません。崩れかけた壁を安全に登る方法については武井壮さんの動画にも存在しませんでした。もしかしたら他にも道があるかも知れませんが(恐らくそうかと思います)。初めてドローンを欲しましたね。
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山側の壁面も途中からは完全に法面となりました。つまり崩れやすいということです。
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ってことで探索終了。せっかくここまで来たんだからもっとじっくり探索したかったのですが、思った以上に大地獄沢からの道のりに時間を要してしまったためタイムアップ。ちなみに桂平岩についてはその由来もわかりませんでした。昔は天王沢と大根沼、ハットリ、キノシラ、桂平と原ヶ平等、山の境界が定められていましたが、小栗山部落等の財政によって色々複雑に変動したようで、もしかして山林境に関係するのかな。小栗山山林組合設立後の林道改良工事に沢田林道(峰越林道)が含まれています。清水森森林組合が大鰐町居土字沢田に所有の山林の維持管理のため、自動車が通行できる林道の要望を県に陳情し、予定路線の松木平町会の地権者の同意が得られずにいる時に、当時市役所農林課に在籍していた工藤清美氏が小栗山地区に誘致した林道。名称は清水森森林組合所有の地籍名称からで、射撃場前から大鰐町折紙までで、貫通後、地形と土質の面で災害が頻発し、その都度多額の費用と年数をかけて完成。余談ですが、昭和60年代にリゾート法が成立し、広島県広島市の株式会社みやびが小栗山地区の山林にゴルフ場開発を計画(平成2年6月)、沖縄県の不動産業㈲億商が代理として町会敷地に事務所を建設(現消防屯所)し、本格的に調査し、一部土地を買収するも開発許可が下りずにいる内にバブル崩壊、親会社が倒産して事業が立ち消えとなっています。
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さて…
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自然の空気を満喫しながら…
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大地獄沢へと戻ります。地獄行きです。
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とっぴんぱらりのぷう!
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