
南津軽郡大鰐町居土。折紙部落。居土村は津軽郡中名字(室町時代)にその名は無く、天和年間の絵図には戸数9軒として存在。三免内村内の居土村は開拓村の派立ちで正保2年から寛文4年の間の書上帳には下村(水田収穫の下の村)として存在。地名は初め、士の居る所という意味の居士でしたが後に居土になったとの説があります。また、邑日記によると居筒とあり、筒居(筒井・築居)の転倒したものであり、川の流れで洪水に崩れやすい所を泥土で土手を造った土地であるからともいわれています。また、大浦為信の頃、大浦の三家老といわれた小笠原伊勢守信清がこの地に出家・隠居し、在家のまま仏道を修めた高徳の人であったので、村人たちが居士といったのが起こりであるとも伝えます。※居士新田~居上村~折紙村

社号標「奉納八幡宮」・「大東亞戰爭記念 折上部落會一同 昭和18年7月15日建之」。

鳥居はくぐらずに前回のように裏から参詣。
由緒等については前回の記事を参照ください。
前回の記事『八幡宮 (大鰐町大字居土字沢田)』
おや、前回と違って参道の草刈りがされている!?

ってことで表参道を下ってみました。

が、やはり途中で厳しくなりました。
上から見た一之鳥居です。

ってことで再び戻ります。
石灯籠一対(昭和39年7月15日、折紙村中)。


竜神小宮(1尺反4面)。※かつては竜神様の隣に稲荷宮(2尺4面)もあったようです。

神像も見えます。タマゴもありました。きっとトキワ養鶏のタマゴ。

御神馬(道路工事記念、昭和24年8月15日、折紙村中)。

狛犬一対。
昭和15年8月15日建之(発起人下山岩雄、下山太郎、木田太郎他16名)。


社殿(2間半4面)。この八幡宮が折紙館跡の一部であったかどうかは不明ですが、文禄、慶長に信浄が八幡宮建立との記録もあり(神社庁明細書)、もし小笠原伊勢守信清が勧請したものであれば、一族の守護神として祀っていたものではないかとの説があります。昭和27年に神主の三ツ目内村木田繁太郎氏が青森県神社庁に提出した由緒によりますと、折紙村八幡宮(御祭神誉田別尊)の創立は天正2年7月15日に新田源氏の末裔新田顕義が当地に陰伏し、密かに一旗を挙げようとこの地に社殿を建立して武神を祀って祈願所とし、後に小笠原伊勢守信浄が居住して崇敬するも、天明の大飢饉のために村民四散して廃社同様となったそうです。境内は昭和21年1月下山藤太郎外4名の山林を境内地として無償借用し、同年6月18日宗教法人認可。文政9年の御棟札調帳の長利文書には「下折紙新田村八幡宮」と見えます。安政2年の神社微細由緒書上帳には、「居土村折紙新田鎮守八幡宮。右は延享元年八月三日村中にて再建。堂社板葺、二尺三寸に一尺五寸。社地は四間に三間の十二坪。境内林は東南畑境、西北沢境。破損のときは村中にて普請。右一社先祖二十一代長利新五郎相模太夫祢宜の代より所持し候」とあり、折紙八幡宮の祈祷を始めた大鰐三社宮の神官は長利家二十一代の相模太夫。長利家社司由緒によりますと、相模太夫が社司になったのは享保11年であり、折紙新田八幡宮は享保年間に祭事をするようになったと思われます。二十二代善太夫の相続は延享3年で、延享3年再建も相模太夫と思われます。※『神社庁明細書』(1592~1600、文禄、慶長に信浄が八幡宮建立)、『神社微細調』(1744、延享元年、村中再建、創建年不詳)、『長利文書』(1870、明治3年、八幡宮は残すと神官報告)、『長利文書』(1872、明治5年、整理令で廃社、居土熊野宮に合祭なし)

ジャンバラ注連縄。御祭神は誉田別命(応仁天皇)。例祭7月15日。
拝殿向拝神額「八幡宮」(寄進者黒石ヒデ、平成20年7月吉日、揮毫者木田筑峰敬書)※以前の神額は昭和29年6月15日。拝殿内の掲額には「月夜見大神」。拝殿内にはサンスケの木像5躰あり。

本殿(流造。4尺4面)。明治5年神仏分離令により廃社し、明治8年に産土神を復社。明治15年の再建棟札あり「奉斎八幡大神 祠掌謹言 明治十五年旧七月十五日 折紙邑中」。神仏分離後の復活年の棟札は大鰐町では貴重なものです。昭和21年6月18日宗教法人八幡宮。

緑が美しい眺望。

おまけ。

bbq産直市場石川店で見つけた「大鰐温泉湯あがりチャオズくん」。手軽でおいしい水餃子です。冷凍しているので店頭では場所がわかりにくいです。お店の方に声をかけてみてくださいね。












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