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秋田県秋田市土崎港中央3丁目。菅江真澄が「みずのおもかげ」で「土崎の湊」と記しています。羽州街道・本町通りから北へ進み、旧小鴨町を過ぎて、旧肴町の標柱の先で右に曲がると土崎駅。その手前に土崎神明社が鎮座。
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湊城跡・土崎神明社標柱…『中世秋田氏の居城跡で、江戸期に破却されました。神明社は湊町の総鎮守で曳き山行事が盛大に行われます。』ちなみに隣接する土崎街区公園内に湊城跡の案内板等がありますが別記事にしております。
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社号標の紀年銘は大正12年5月。侯爵佐竹義春題署。
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国重要無形民俗文化財土崎神明社祭の曳山行事指定記念碑(指定日:平成9年12月15日・指定番号:第336号)。
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県社神明社…『由緒。祭神天照皇大神 慶長七年舊藩主佐竹家常陸國水戸ヨリ遷封之時該國人川口總治郎舊縁ヲ以テ追尾シ來リ其所信水戸ノ神明社ヲ奉シ私邸ニ勸遷ス已後當港人家漸ク稠密スルニ及ヒ鎮守無カルヘカラサルヲ以テ里閭協議シ元和元年更ニ舊城主阿部秋田城介ノ城墟ニ遷坐シ之ヲ一郷二千餘戸之産土神ト致セシヨリ佐竹家ニ於テモ崇敬社之列ニ加ヘ當港糶米百石之税金ヲ其下行ニ供給致サレ佐竹源義和朝臣ニ至リ直筆之懸額ヲ奉シテ至誠ヲ表セラル毎年七月二十日二十一日ヲ以テ例祭二十一日ニハ神輿渡御ノ儀アリ多少ノ山棚辿物等ヲ奉進美觀ノ盛典ナリ氏子各町順序年番ヲ以テ祭事ヲ拮据ス毎二十一年ニ遷座式ヲ行フ明治十四年三月縣社ニ昇格セラレタリ 大正二年八月鎮座三百年祭紀念樹之 正三位勲四等侯爵佐竹義生篆額 正七位勲六等大山重華書』
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土崎神明社鎮座四百年記念碑(平成26年3月21日)。
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鳥居。
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手水舎。
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御神木。
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社務所。
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土崎湊町の歴史においては、湊町人の精神生活は船が中心であり、川や海の危険と不安があることで宗教上の信仰も深くなり、自ずと神社や寺院の数も多くなりました。
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北前船寄港地土崎。
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秋田市は、古代には、秋田城が置かれ、北海道や大陸の渤海国などとの交流・外交拠点となり、中世には日本の重要港がピックアップされた三津七湊のなかに秋田湊が含められていました。海に活躍した大名・秋田(安東・安藤)氏の拠点となるなど、古くから日本海海運の重要港としての役割を果たしてきました。江戸時代には、土崎の湊が秋田藩の年貢米の集積・積み出し港となり、北前船の寄港地として栄えました。全国有数の北前船寄港地として日本遺産に認定された歴史は、地名・名字等も含め様々な形で遺されています。
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土崎港町史がネット上で全文読むことができるので、興味のある方はそちらも参照なさるといいかも知れません。
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毎年7月20日、21日の例祭の土崎港曳山まつりは国重要無形民俗文化財「土崎神明社祭の曳山行事」(平成9年)です。また、平成28年12月1日に「山・鉾・屋台行事」のユネスコ無形文化遺産へも登録されています。
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土崎みなと歴史伝承館にて曳山の実物展示を見ることができます。
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なお、7月21日の昼に神輿が渡御し御旅所祭が行なわれる御旅所の場所は、土崎港南1丁目1(地蔵院・虚空蔵尊・三嶋稲荷神社の南方)です。
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秋田街道絵巻。
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18世紀末から19世紀初頭の寛政から文化の年号・時代に秋田藩士・荻津勝孝によって描かれたと考えられ、全3巻のうち上巻は八橋一里塚から土崎までで、北前船の寄港地としての賑い、街道の風景や行き交う人々の姿が活き活きと表現されています。
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秋田街道絵巻の中の土崎神明社。
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御祭神は天照皇大神。旧県社。元和6年創建。例祭日7月21日。境内神社として稲荷神社、大国主神社、菅原神社(港天満宮)、西宮神社、番匠神社があります。特殊神事として鎮火祭(3月春分の日)の呪水があります。
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元々は慶長7年(1602)に常陸から佐竹義宣とともに秋田にやってきた常陸国人川口惣治郎の氏神でした。元和6年(1620)に川口惣治郎が土崎の肝煎としてこの氏神として祀られていた神明社の御神体を湊城の跡地(現在地)に遷座し、藩主佐竹義宣の許可を得て、土崎湊町の総鎮守としたことがはじまりとされ、中世の城下町であった土崎が新しい城下町の建設により変わる中で、新たなる土崎港町の発展を願い創建された神社です。明治14年(1881)に県社に列し、戦後は神社本庁に参加。
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秋田県神社庁より…『慶長7年、旧藩佐竹義宣、常陸より秋田に遷封した時、その旧臣川口惣次郎、旧縁をもって後を追い、当国に下る節、かねて奉斎する神明社の御神体を奉じて土崎港に移り、土崎の肝煎役となり、自分の屋敷内に奉安した。当時土崎には諸国の舟も人も集り、繁栄に向かっていたので、総町へ相談し、藩主の許可を得て、湊城跡に土崎総鎮守として、社殿を建立する。旧藩主佐竹家においても、格別崇敬し、当港糶米100石の税を以て当社の諸費に充てた。明治14年県社に列せられる。平成9年、国重要無形民俗文化財(土崎神明社祭の曳山行事)に指定される。』
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拝殿(平成19年改築)と灯籠一対(平成22年11月吉日・株式会社佐藤海事、佐藤嘉樹)。
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拝殿内。
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佐竹義和真筆懸額。
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絵馬。
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こちらの向かって右側の絵馬については土崎港町史にて次のように紹介しています。
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『神明社拝殿にある此の繪馬は平賀源内が描くところと推定される理由は「天(一字不明)散人圖之」となってゐるので、源内の號が天笠浪人であり風來散人などであるからもしやといふ疑問をもたれてゐる。けれども源内が表面上の死は安永八年で此の繪には「寛政七年乙卯六月吉日」となってゐるから安永からはずっと後のものである。(事實は安永には死なゝかったとも云はれる。)ところが此の繪の反對側の小さい馬の繪は「寛政六年天笠山人」となっていゐる。』
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絵馬掛所と巨石。
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本殿。
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境内神社。※説明は土崎港町史を参照しており、案内板と異なる部分もあります。西宮神社=(肴町・祭日5月6、7日)。御祭神は事代主の大神。文政年中再建。社殿は幣殿二間に一間。稲荷神社=御祭神は倉稲魂神、宇迦之御魂神。土崎眞澄にて元和年中再建。社殿は奥行三間梁間一間半。秋葉神社=御祭神は火産靈神、手置帆負神、彦狭知神。秋葉神社の義は明和三丙戌年9月24日当港信仰者が主となり總町にて遠州秋葉より勧請。現社殿には、番匠神社の額を懸掲。社殿は本殿、幣殿。住吉神社=御祭神は底筒男神、中筒男神、上筒男神、豊玉毘古神。正徳年中攝州堺より神符を奉勧請總町並講中商人有志を以てす。社殿は幣殿四間に二間、拝殿三間半に二間。現在松尾神社の神額を掲懸。大國主神社=(菻町・祭日5月9日10日)。御祭神は大國主大神。天保年中当港肴町中村金兵衛再建。社殿は一間四面。大國主夷子神社=御祭神は大國主大神。当町菻町伊藤■(而+女)太舗地に鎮座のところ明治12年5月中公許を得て郷社神明社境内に引移。社殿は幣殿一間半四面。菅原神社=御祭神は菅原靈神。慶長年中眞澄先祖林泉代よりの氏神にて鎮座のところ天保年中より神明社末社とさだまれり。社殿は幣殿二間に一間。また、その他の記録として「鎮守神明社は年中祭事が多く、別当は修験三光院・神主土崎氏・下神職伊藤氏である。末社住吉社・西宮社。ほかに町中鎮座神社が多く、竜神社・愛宕社・天満宮・稲荷社・三島明神・松尾明神・稲荷明神・庚申堂・八幡宮・稲荷社・菩薩堂・住吉明神・西宮明神・金毘羅権現社などがあり、さらに秋田氏の菩提所蒼竜廃寺の持宮前竜神宮の祭礼も継続されていた。」とあります。
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番匠神社。
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案内板。
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拝殿内。
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番匠神社前御神木。
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番匠神社前及びその付近にたくさんの石碑がありました。細かくは見ていませんが一部紹介。下の写真一番手前は慰忠魂義魄(明治30年1月1日建立)。
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番匠神社顕彰碑(昭和55年6月吉日)。
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太子講中創立二十五週年記念碑(昭和11年6月建立)。
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神明講創立二十五年紀念碑(明治45年4月21日建立・正七位勲六等大山重華書)。
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土崎神明社連綿講。
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恤兵紀念碑。
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庚申塔(大正元年10月11日)。
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社日紀念碑(裏面百社講人名・創立明治23年3月25日、大正14年3月25日)。
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太子講中創立廿五周年記念(大正4年乙卯6月23日)。
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砲弾(土﨑婦人會)。
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台座品目。
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日影稲荷神社。
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案内板。
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拝殿内。
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西宮神社。
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案内板。
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拝殿内。
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菅原神社。
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案内板。
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菅原道真公。
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拝殿内。
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道真公だらけです。一瞬雛人形かと思いました。ちなみによく見ると道真公とは違うものも見られます。個性的な狛犬や力士もいますね。
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御輿堂。
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案内板。
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こちらは「花塚」…でいいのかな。字体が難しい…。
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側面「千家正流耕花園 師受五樹園 連中」。
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裏面は完全に読めず!もちろん私が浅学故の話であり状態はとてもいいので読める人は読めます。
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紀年銘は天保十二辛丑年夏。思っていたよりも古いですね。状態が良好です。
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