平川市長田沼田。五日市は大光寺跡の北方2km、引座川沿いの河岸段丘上にあり、現在はリンゴ園になっているといいます。南北に狭く東西は約1kmで、面積にして六町歩。安倍氏の後裔で蝦夷管領となった安東氏の一族が大光寺五日市に城館を構築。
前回の記事:『五日市外館跡 & 惣染堂塔 & 卯辰両年供養塔 (平川市長田)』
Googleマップでは「大光寺五日市館跡」と記されますが、そこは以前にも紹介した「五日市外館跡」であり、五日市館跡はもう少し南なんですね。
ってことで付近を散策したのですが、遺っているのは以前にも紹介した五日市外館跡のみでした。
それだけの記事でございます。すいません。
五日市館(五日館)…「14世紀安藤祐季(津軽左衛門?平賀蔵人?)-同師季-同教季(平賀地頭、郡司)応永二十年南部守行に攻められ比内に走る。」・「安倍氏の後裔で蝦夷管領となった安東氏の一族が大光寺五日市に城館を構築…」」
五日市館…『引座川左岸の自然堤防を利用した平城。館の北側は引座川による急崖、東・南・西の三方は合潅川、六羽川の分流に囲まれたいわゆる川中島をなし、東西約700m、南北約200mの広さを有する。東西に伸びた丘陵は、河川を利用した堀によって三郭に分れている。郭内はりんご園や水田として利用されている。主郭の広さは東西約200m、南北約70m、二の郭は東西約100m、南北約70m、三の郭は東西約70m、南北約50mである。』
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