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平川市館山下扇田。陸奥エゾ館跡。からんころん温泉の近くです。東側が六羽川に近接し、他の三方は水田となり、近年の水田基盤整備によって平面化され、比高は約2m。遺構の残る面積は約1.5㌶ですが、現在は野菜畑とりんご畑になっているそうです。やや中央部には人工堀跡と思われる幅約10m、長さ約30mの一段低く北から南に走る一条の遺構を認めるも、南方は削平されて水田となっているため判然としないそう。位置上から大光寺城の北西の備えに利用されたとも考えられますが、東方の引座川沿いには五日市館跡があり、南北方には小館跡、六羽川を隔てて古屋敷跡があり、さらに西方には平川。弥生時代の遺物等から安東時代には既に館として利用されていたと思われますが、杉館跡にも擬定される場所。
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引座川に架かる杉館橋(昭和47年1月竣功)。
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引座川沿いを東(六羽川方面)に歩いていきます。
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引座川と六羽川が合流する地点。
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そのすぐ南側。
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ここがGoogleマップにも記されているエゾ館跡なんですが特に何もありません。
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六羽川の東側にあるもう一つの杉館橋へ来てみました。
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先ほどの逆から見た引座川と六羽川の合流地点。
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下の写真の木々の裏に六羽川があり、渡った先がエゾ館跡です。
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『平賀町史跡文化財めぐり』より…「館跡は館山から杉館に至る道路の右手六羽川沿いのりんご畑が蝦夷館として古地図に出ているが、この蝦夷館を指して杉館といったものか、もっと東方の五日市館に近い要害の地に築城したものか判然としない。花田甚十郎氏の語るところによれば、この蝦夷館はもっと小高く、規模も相当大きく、はっきり館跡であることを示す程のものであったが、約六十年程前(昭和52年現在)の道路新設工事の際に多量の土砂をこの館から運搬され現在のようにかなり削りとられたものだという。」。『青森県の中世城跡』より…『六羽川と引座川の合流点南西、河岸段丘上に位置する。郭は三郭あったと思われるが、西に位置する郭は耕作によりその範囲を確定することができない。館全体はりんご園、周囲は水田となっている。館主・沿革は不明である。館跡からは弥生時代の遺物や土師器も出土していることからすると、かなり古くから居住の場として利用されていたことがわかる。また、引座川沿岸には多くの陶器類が散布している。引座川を利用した水運が重要な交通路であったといえよう。』
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