八戸市是川春日河原。神社自体は少々わかりにくい場所にありますが、住所が春日河原なので付近までは迷わず行けると思います。
このような道を歩いて行きます。
福善寺・妻ノ神農村公園方面。
あの付近に秋葉山大権現があります。
道中にあった石碑「小川代明土 土地改良 竣工五十周年記念碑」(施工委員長差波直三、平成17年12月吉日)
裏面碑文…『終戦後昭和三十年頃我が国は、食糧不足のため国県市町村の米生産は、国の復興の最大の基幹でした。昭和三十年是川小川代明土の地主が、相寄り一致協力して約二ヶ年で水田七町歩を区画整理して五十年になり、記念碑を建立して、後世に傳いたえと念願致します。』※地権者名28名省略
あの辺りに鎮座しております。
新井田川対岸の田んぼの中にあり、賽ノ神側から狭い畔道を通って行った場所に鎮座。
元は新井田川の流れがもっと東側を通っており、森の中の岩場の高みにある春日大明神は残された自然の地形の上に意図的に造られたものと思われます(元々川の対岸の崖とこの岩場は連なっていたように感じられます)。
参道入口。
参道。
鬱蒼としていますが、足元はそんなに悪い状況ではありません。
御参詣の皆様へ。
灯籠一対。
灯籠が多いですね。春日灯籠。春日神社らしくていいですね。
灯籠二対。
手水石。
こちらの建物は恐らく倉庫的なもの。
灯籠一対。どれとどれが一対なのかわからなくなりました笑
奉納者名碑(昭和62年5月吉日)。
鳥居。
灯籠一対。
狛犬一対(昭和53年旧12月12日)。
庚申廿三夜塔。両脇に「大沢良妙神」「㥎吾神社」とも彫られています。私はどちらも聞いたことがないですね。
社殿への階段が2つあります。社殿の横から上がる感じで、左の道は社殿前、右の道は社殿後方に繋がっています。
社殿後方には石祠がありました。
山神です。
社殿前の道へ。
社殿前石灯籠一対。
紀年銘は天保11年庚子5月8日。
社殿前に表参道があるのかと思い、色々と見てみましたが…
かなりの急勾配となっており、その痕跡は感じませんでした。
拝殿。地元では春日様、春日明神とも呼ばれています。田中集落で管理されています。
二尺四方の本殿。勧請年不明。御祭神は天児屋根命。例大祭は9月19日。
明治初年頃の社司は新山社司を兼務していた大行坊(是川佐次郎)でしたが還俗しました。
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