
弘前市城東北3丁目。旧高崎村(高崎村字岩井)。さくら野百貨店近く。

両部鳥居。
石造の鳥居神額。


社号標「村社淡嶋神社」(日韓併合紀念、明治43年8月30日、中津軽郡高﨑村中)

参道。
鳥居。



御神木。

鳥居(昭和37年7月8日、高陵倶楽部同志会発起人名川村清治ほか)
神額「奉納淡嶋神社」

アジサイ。

石灯籠一対(明治41年6月8日)


社殿。
狛犬一対。
「石…龍田…年7月8日村中」しか読み取れず。


手水石。台になっている下の石は旧手水石かも。

御祭神は少彦名命(淡島神)。例祭の日には青面金剛明王の幟が掲げられていますが詳細はわからず。
高崎村は江戸期から明治22年の村名で津軽郡平賀庄のうち。弘前藩領。村高は「正保高帳」299石余、「寛文高辻帳」520石余、「貞享4年検地水帳」535石余(田492石余・畑屋敷42石余)、「寛保高辻帳」520石余、「天保郷帳」500石余、「旧高旧領」539石余。「貞享4年検地水帳」によりますと小字に「広田・岩井」があり、反別は田44町余・畑屋敷11町余(うち屋敷2反余)の計55町5反余で、このうち田は上田から下田まで、畑は上畑から下々畑まで設定されており、漆木は11本。元禄3年には和徳組に属しており村位は中。集落は和徳村から日沼村・猿賀村を経て黒石へ至る黒石街道沿いに発達。村内の寺社として「貞享4年検地水帳」に清太夫抱えの薬師堂地があり、これが当淡島神社。明治6年5月に和徳村の熊野宮に遷座し、後復社。また、黒石法眼寺末庵黄檗宗実性庵が見え、これは曹洞宗実性庵。明治初年の戸数34。同12年の「共武政表」によりますと戸数29・人口146(男83・女63)、馬9、物産は米・大豆・粟。同22年和徳村の大字。

前回の記事:『淡島神社(弘前市)』

拝殿向拝神額「淡島神社」

拝殿内。

本殿。

境内社。

小祠が数基。

薬師宮と思しき小祠。

白衣観音と思しき観音像。

陶器製稲荷きつねと不明の神像。


その他諸々。ちょっと荒れていてよくわからず。

庚申塔(元治2乙丑年3月25日)

成田専蔵珈琲店で一服。



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