
農具小屋。

園路。

如斯亭庭園は、元禄年間(1688-1704)に家臣が秋田藩3代藩主佐竹義処から与えられた土地に「得月亭」と称する別荘を建てたのが最初で、藩主の鷹狩りの際の休憩所として利用されていました。5代藩主佐竹義峯の時に本格的に庭園として整備され、9代藩主義和の時に回遊式庭園ができあがり、「如斯亭」と名付けられました。県内に遺る数少ない江戸時代の庭園です。ちなみに廃藩置県により佐竹氏が東京へ転居した際、庭園は藩士の那波氏へ譲渡され、以降は民間所有となりましたが、昭和22年に所有権を得た丸野内氏から平成22年3月29日に秋田市へ無償譲渡されており、昭和39年から平成2年までは旅館如斯亭だったようです。



国指定名勝秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)庭園…『■如斯亭庭園の概要と特色…所在地:秋田市旭川南町2番73号。指定:国指定名勝(平成19年2月6日指定、平成23年2月7日追加指定)、県指定史跡(昭和27年11月1日)。指定面積:4,054.99㎡。■庭園の特色と整備…江戸時代の元禄年間に、秋田藩3代藩主佐竹義処が近臣の大嶋家に土地を与え整備された別荘をはじまりとし、当初は「得月亭」と呼ばれていました。その後、9代藩主佐竹義和が、藩主の御休所として園内十五景を整備し、「如斯亭」と名付け、賓客をもてなす場や藩内外の文人墨客の交流の場として利用されました。如斯亭庭園は、室町時代の回遊式庭園の姿を色濃く残す名園とされ、東北地方の大名庭園およびその文化を知るうえで貴重な文化遺産です。平成22年に所有者から秋田市に寄贈され、平成26年から同29年にかけて修復整備工事が実施されました。工事では現存していた主屋、清音亭を昔の姿に修復整備するとともに、失われていた東門・御萱門・南門の3棟と農具小屋1棟を復元しました。■如斯亭庭園の歴史…元禄年間(1688-1704)3代藩主佐竹義処の近臣大嶋小助が別荘を整備。寛保元年(1741)5代藩主佐竹義峯へ献納され、搦田御休所として活用される。寛政5年(1793)9代藩主佐竹義和が園内十五景を整備し、「如斯亭」と命名する。明治4年頃、民間に所有が移り、後に丸野内家の所有となる。昭和27年、秋田県史跡(第1号)に指定される。平成19年、国名勝に指定される。平成29年、修復整備事業が完成し、往時の姿に復元され、公開される。』

案内板地図。
旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)庭園について…『如斯亭庭園は、元禄年間(1688-1704)に第3代藩主佐竹義処が近臣の大嶋小助に土地を与え、建てられた別荘がその起源であり、佐竹氏居城の久保田城搦手(裏門側)にあたり、遠く太平山系を望む景勝地に営まれました。寛保元年(1741)には第5代藩主義峯(1690-1749)に献上され、藩主の「御休所」となりました。倹約の旨により一時衰亡しましたが、第8代藩主義敦(1748-1785)が安永4年(1775)に再興し、第9代藩主義和(1775-1815)によって庭園が整備され、秋田藩校明徳館の助教兼幹事であった儒者那珂通博に「園内十五景」を選定させました。そして、名を「如斯亭」に改め、藩主の御休所にとどまらず、藩内外の多くの文人墨客の交遊の場ともなり、佐竹氏の文化の表徴として多くの詩歌書画にうたわれるようになりました。「如斯亭」の名称の由来は孔子の論語にあり、「逝者如斯夫、不舎昼夜(逝くものは斯くの如きか、昼夜をおかず)」からとったもので、水流の絶え間なき流れを嘆賞しつつ、人間の道も学問もまたかくあるべきであるという意味といわれています。園内北東部の築山の峡谷から発し、中島を配した園地を経て、清音亭の露地に至る絶え間ない水流は、見る人にそれを思わせる構成となっています。「園内十五景」は紅霞洞、靄然軒、夕陽坡、観耕台、清風嶺、佩玉矼、仁源泉、超雪渓、玉鑑池、弓字径、渇虎石、巨鼈島、星槎橋、幽琴澗、清音亭からなるとされています。園内の見所であり、庭園の園路を回遊することで、それらの奇岩の景石や灯籠、四季折々の植栽など様々な風景を楽しむことができます。如斯亭庭園は、園路による回遊式庭園であるほか、園から北西の山を望む借景式庭園、主屋から見る鑑賞式庭園としての要素をもつ庭園でもあります。千秋公園(秋田県秋田市)や名勝旧池田氏庭園(秋田県大仙市)の設計に関わり、近代造園の祖といわれる長岡安平は、「寛政頃完成し東山時代の構を伝えたと思われる東北では無二の名園」と絶賛したと伝えられています。旧秋田藩主佐竹氏のものとして現存する唯一の庭園で、東北地方の大名庭園や庭園文化を知る上でも重要な文化遺産です。』
如斯亭庭園略図(年代不詳)。
有料です。一般200円(高校生以下無料)。年間入園券500円。安い!そして、一度でいいから「○○万人達成!!」の達成記念来客者になってみたいです。

パンフレットより…『江戸時代の元禄年間に、秋田藩3代藩主佐竹義処(よしずみ)が家臣の大嶋家に土地を与え整備された別荘をはじまりとし、当初は「得月亭」と呼ばれていました。その後、9代藩主佐竹義和が、藩主の御休所として園内十五景を整備し、「如斯亭」と名付け、賓客をもてなす場や藩内外の文人墨客の交流の場として利用されました。如斯亭庭園は、室町時代以来の回遊式庭園の姿を色濃く残す名園とされ、東北地方の大名庭園およびその文化を知るうえで貴重な文化遺産です。』

パンフレットより(上記と内容がかぶります)…『旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)庭園は、佐竹氏の居城であった久保田城跡の北方約1.5kmに所在しています。9代藩主佐竹義和が名付けた「如斯亭」の由来は孔子の論語にあり、「逝者如斯夫、不舎昼夜(逝くものは斯くの如きか、昼夜をおかず)」からとったもので、水流の絶え間なき流れを嘆賞しつつ、人間の道も学問もまたかくあるべきという意味といわれています。流れは園内北東部の築山の峡谷から発し、中島を配した園池を経て清音亭の露地に至ります。絶え間ない水流は、見る人に由来となった光景を思わせる構成となっています。園内の見所である「園内十五景」は紅霞洞、靄然軒、夕陽坡、観耕台、清風嶺、佩玉矼、仁源泉、超雪渓、玉鑑池、弓字径、渇虎石、巨鼈島、星槎橋、幽琴澗、清音亭からなり、庭園の園路を回遊することで、それらの奇岩の景石や灯籠、四季折々の植栽など様々な風景を楽しむことができます。この庭園は回遊式庭園であるほか、園から北西の山を望む借景式庭園、主屋から見る鑑賞式庭園としての要素をもつ庭園でもあります。市指定名勝千秋公園(秋田市)や国指定名勝旧池田氏庭園(大仙市)の設計に関わった、近代造園の祖といわれる長岡安平は、如斯亭庭園を「寛政頃完成し東山時代の構を伝えたと思われる東北では無二の名園」と絶賛したと伝えられています。旧秋田藩主佐竹氏のものとして現存する唯一の庭園で、東北地方の大名庭園や庭園文化を知る上でも重要な文化遺産です。』
パンフレットより…『如斯亭庭園は、元禄年間に3代藩主佐竹義処(よしずみ)が近臣の大嶋小助に土地を与え、建てられた別荘がその起源であり、佐竹氏居城の久保田城搦手(裏門側)にあたり、遠く太平山系を望む景勝地に営まれました。寛保元年(1741)には5代藩主義峯に献上され、藩主の「御休所」となりました。倹約の旨により一時衰亡しましたが、8代藩主義敦が安永4年(1775)に再興しました。9代藩主義和によって庭園が整備され、秋田藩校明徳館の助教兼幹事であった儒者那珂通博に「園内十五景」を選定させました。そして、名を「如斯亭」に改め、藩主の御休所にとどまらず、藩内外の多くの文人墨客の交遊の場ともなり、佐竹氏の文化の表徴として多くの詩歌書画にうたわれるようになりました。平成19年(2007)に国の名勝に指定され、平成26年(2014)から遺構や史料を基に修復整備を行い、往時の姿に蘇った如斯亭庭園は、平成29年(2017)10月に秋田市の新たな名所として開園しました。』

年表(パンフレットより)

ケヤキ。樹齢約550年、目通り約6.2m。如斯亭庭園は元禄年間(1688-1704)い造られ、約330年経ちます。つまり、このケヤキはそれ以前からこの地にあったと思われます。如斯亭庭園は、景勝地や借景、地形などから作庭されましたが、このケヤキの存在も大きかったと推測されます。
如斯亭主屋。
西広縁・戸袋。
北広縁。
中へ。


座敷(一ノ間)。一ノ間は藩主が休む部屋で12畳。床の間と違い棚を備え、気品のある書院造りを基本とし、庭園が見渡せる部屋になっています。所々に見える家紋は大嶋家の家紋であり、釘隠しとして用いています。家紋は「三つ双金輪に貫き一つ引き」と考えられます。
座敷(二ノ間)。8畳で、一ノ間より天井が12cm(4寸)低く、やや格が落ちる作りとなっています。来客用の部屋と考えられます。
天井。

縁側へ。
上で紹介したケヤキ。
北広縁から見た庭園。
気持ちいいです。近所だったら年間入園券を買うと思います。
上便所。藩主専用の便所です。便壷はなく、出し入れができる箱を置いていました。用を足したあと、すぐに取り出していたようです。
庭に行ってみましょう。

庭園園路回遊。

超雪谿・仁源泉。

決して広いわけではありませんが、庭園散策も気持ちいいです。


御萱門。
東門。紅霞洞付近。

御萱門は藩主が出入りする際に用いられた正門です。重厚感のある茅葺きで、両側に塀が取り付いています。塀の外側は縦板、内側は漆喰壁となっています。
御萱門から清音亭へ向かいます。

弓字径は清音亭に向かう小径。


弓字径から見た星槎橋(2本の筋違い橋)と主屋。
石灯籠と清音亭。
清音亭。
清音亭は4畳半の数寄屋造りで、茶室と考えられています。建物の4隅の柱のうち、1本を浮かせた独特な作りになっています。
清音亭内。写真は外から撮ったものです。入亭はできません。

清音亭付近から見たケヤキ。



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