山形県酒田市南新町。招魂祭殿(酒田招魂社)。社号標「招魂祭殿」(昭和7年11月建立、村山同郷會)。
明治時代の古地図では「伊勢御分霊」と記されている場所。
志士齋藤元宏君之碑。
志士斉藤元宏碑…『斎藤元宏は明治20年(1887)平田町山谷に生まれ、広島幼年学校、陸軍士官学校を経て旭川歩兵第26連隊(※歩連26)に配属。後、中尉に進み陸軍大学を中退しアジア平和の悲願から満蒙独立運動に参画し指導的役割を果たし、蒙古独立運動を指揮し大正5年5月25日ホロンバイルの激戦で戦死した。昭和9年4月20日満州国建国に当たり同期生石原莞爾ら有志が建立した。表題は粛親王の書。』
庚申塔。
故酒田消防組頭取白崎良弥君之碑・故酒田町消防組頭白崎善吉君之碑(明治44年12月、元帥海軍大将伯爵伊東祐亨題字、須田古龍撰文)。
大魂碑。
招魂祭殿前。
手水舎。
手水石。変わった形をしています。
社殿。
拝殿向拝。
招魂祭殿(招魂社)の由来…『明治14年、酒田神宮教会所が新町旧籾蔵跡地に壮大な社殿を建立し、神宮奉齋会酒田支部と称した。同27年10月の大地震でその社殿を悉く失ったため、29年小規模の社殿を再建した。日清戦役後の30年、その境内に忠魂碑が建立された。明治37年日露戦争が起きると酒田奉公義会が組織された。大正10年7月、神宮奉齋会酒田支部は維持困難となり社殿を酒田奉公義会に売却。同会は社殿を招魂祭殿(通称招魂社)と改め、国難に殉じた英霊をお祀りし奉仕した。昭和17年、招魂祭殿を酒田市義勇奉公会から酒田市遺族会が引き継いだ。遺族会では毎月1日と15日の早朝に社殿内外の清掃と月例祭を催し「遺族の誓い」を朗唱し、戦後は特に慰霊と遺族の心の拠り所として今日に至る。昭和21年、旧酒田商業学校の奉安庫を譲り受け本殿とし、その地下にかつて同地にあった忠魂碑を納め、以後、拝殿に遺影と名簿を奉納。本市出身2,341柱の英霊を合祀している。私達遺族は、戦争のない世界平和の実現こそ尊い英霊に報いる道と信じ、平成10年社殿を一部修復、慰霊奉仕と社殿の永久護持に努めている。平成14年9月彼岸中日酒田市遺族会』
やすらぎの塔。碑文「戦火の中に散った多くの人の霊に捧げる」1965年11月3日竣工。酒田市長小山孫次郎、像制作設計高橋剛。
やすらぎの塔…『戦争で死んだ人たちは平和の限りない尊さを身をもって生き残ったわれわれに教えた いまわれわれは反省する 果たしてわれわれは死者のこの遺志に対してどれほど報いるところがあったか そして もう一度その霊前に誓おう 子らのため 明日の世界のため ひたすら平和を大切にすることを 昭和40年11月3日酒田市長小山孫次郎』
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