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青森県むつ市大畑町小目名村。大畑川流域の小目名は、寛永年間久慈才助という武士が開拓者であるといい、薬研は山本大内蔵が万治年間に開拓したといわれ、同人郎党の生半左衛門が藩の山守を勤めるかたわら、薬研温泉の湯守も兼ねました。
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大山祇神社の由来…『【祭神】大山祇命(奥院・観世音)【例祭】5月16日、17日【由来】貞享元年(1684)大山祇神(山神)を祀って山岳信仰の普及と衆生を願った。翌年小目名村の新山弥兵衛が観世音(観音様)を勧請し、江戸時代までは小目名観世音と言っていたが、明治の神仏分離令により大山祇神社と改め現在地に祀られた。むかし大畑川を辨財船・北国船や平田舟(作物や荷物を積む舟)が小目名までのぼったという。川霧の深い夕方や晩には観音様が燈台のように光を放って船人を助けてくれたといわれている。また、天保9年(1838)羽色山の山火事は4日3晩燃え続け、火は観音堂を焦がしたが、中に安置されている観音様は不思議にも延焼をまぬがれた。大山祇神社の例祭に参加している小目名大神楽は約300年前に伝承されたと語り伝えられており、例祭や正月には各家々を門打ちして歩き、獅子頭は権現様として住民に広く信仰されている。大畑町教育委員会』※舟=舟+帶(
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妙音山観音堂の由来…『大畑は江戸時代(1600)から、南部桧の積出港として藩の指定を受け全国に知られ、その需要も多く、北前船や廻船が交易に往来、地元廻船問屋も日本海北陸方面、太平洋大阪、江戸、北は蝦夷松前まで商圏を拡げる。享保年間(1716-35)に半島第一の人口を有する町となり殷賑をきわめた。様々の文化、旅人、芸人、文人、山師、商人等が入り生活も活気があった。反面、港が狭く、木材や海産物等を積むのに船で沖まで運搬しなければならなかった。桧や木材は、大畑川を小目名まで小廻平田船を上下して積み出していた。長い年月に災害、災難、事故、不祥事が発生、歴代肝入り検断年寄り等苦慮し、神仏へ取りすがるしかないと悟った矢先、奇しくも行者観性山大宝が小目名大山祇神社背後の標高70米の妙音山に寛保3年(1745)4月吉祥日に観音堂を建立と推す。これ以来不思議にも災難、不祥事も少なくなったという。今でも観音さまが山から、東方へ流れる大畑川を看視して居られるように感じられる。合掌。平成22年6月吉祥日むつ市教育委員会』※舟=舟+帶(
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菅江真澄が小目名について次のように記しています。『(前略)小目名という山里がある。そこの住家は清潔で、木こりらの住居とも思われない。初秋のころの生業として、どこの家でも麻苧を刈って糸をひき、ところせましとかけて干していた。館の腰というところがはるかに見えた。むかしは人が住んでいたという。川岸を行って、羽色山にはいる麓から、年を経た古木が枝をさしかわし、たいそう暗い木の下に祠があった。むかし、この山の宮木を伐りだして、五万五千両の値にかえたという話がある。その商人で、大阪の何某とかが正徳年間建てたというこのお社に三種の神宝をつくっておさめ、大山祇神をあがめ祭ってある。』※南部藩が正徳6年、財政の窮乏を救うために、大阪の天王寺屋弥右衛門に、大畑の仲津古山の伐採権を即金五万五千両で与えて、急場をしのいだという史実をさします。
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貞享元年勧請。翌貞享2年4月に小目名村の新山弥兵衛が観世音を勧請したと伝えます。大正2年4月に再建。現在の社殿は昭和59年に再建。
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江戸時代までは小目名観世音と言われていましたが、神仏分離により大山祇神社に改められました。
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明治6年5月に二枚橋村の西宮神社に合祀されるも同7年1月に復社。明治10年2月村社。昭和24年9月30日国有境内地譲与許可され宗教法人大山祇神社になります。
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最初は観音菩薩がが祀られていましたが、明治になって観音菩薩は取り外され、大山祇命を勧請。村中鎮守神として崇敬されています。なお、書類上は仏体を大安寺に譲り渡したとしていますが、実際は別の場所に祀られているとのこと。
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木鼻。
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拝殿内。
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手水舎。
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狛犬一対。
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灯篭一対。
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境内に小祠があり(祠は八戸の人が寄進したもの。元この部落に住んでいた方)、左に穴の多く開いた女陰を思わせる平たい丸石があり、右に高さ20㎝ほどの棒状の石体が安置されています。
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棒状のものはコンセイサマ(金勢神・自然石)で、穴の開いた石は女陰ではなく「耳の神様」らしく、昔小目名川からあがったものを祀っているそうです。石に糸を通して耳が良くなるようにと祈願して奉納したもの。
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こちらは小堂は大日如来(自然石)です。
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境内社の稲荷神社。
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大山祇神社背後の山にも鳥居。これが妙音山観音堂なのかな。見た目では判断できず。
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最初の案内板によりますと「小目名大山祇神社背後の標高70米の妙音山に建立」「観音様は延焼を免れるも観音堂は焼失」「神仏分離令により現在地に」とあり、案内板だけではよくわからず。
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とりあえず大山祇神社後方の山頂に妙音山観音堂があったとのことで、ここから山道をかなり登りましたが、歩けど歩けど辿り着かず…相当な距離を登ったはずですが、何も見えず…途中で心が折れて下山しました。道はしっかりしているのですが、標高絶対70mなんてとっくに超えていましたし、何の案内板も見当たらないし…いい運動をしました。道を間違えたのかも知れません。下調べが足りませんでした。近くに「小目名の名水」があるとのことで後から行こうと思っていましたが、予定外の登山で水分を摂り過ぎてしまったのでやめました。
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