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八戸市十日市長根。十日市村は、階上岳の裾野として北に広がる八戸平原が新井田川に沿って尾根状に延び、八戸の平野部に接する新井田川と松館川に挟まれた丘陵上にあります。新井田と是川をつなぐ県道差波新井田線により、東十日市と西十日市の2つの町内に分かれ、東側の松館川に面した東十日市には特別養護老人ホーム修光園や八戸公園等の施設があり、修光園付近には縄文時代や古代の集落跡が発見されている黒坂遺跡、江戸時代の黒坂窯跡等があります。西十日市には縄文時代早期の貝塚として全国的に知られる赤御堂遺跡や、縄文時代中期を中心とした約22万㎡という規模の松ヶ崎遺跡等があります。また、根城南部氏の家臣である十日市氏に関連すると思われる十日市館もあります。十日市には根城南部氏の支配する頃に藩主が菩提寺松館大慈寺を訪れた際の休憩所とした茶立場や風光明媚な花水河原もあります。なお、十日市の名称由来については、十日市館の十日市氏(根城南部氏家臣)、定期市「十日市」、八戸藩家臣の戸村氏の家紋「十曜の紋」と諸説あります。十日市氏説は十日市氏についての詳細な記録がなく不明。定期市説は久慈街道の八戸から中居林、十日市、田代、大野、久慈へ行く街道筋にあり、近隣から農産物や牧馬、魚や海草を持ち寄って十日の日に市をたてたという説ですが、その市が地名として残るほど古くから存在し、継続されていたのかは不明。戸村氏の家紋十曜の紋は西十日市のえんぶり組にも用いられていますが、そもそも八戸藩が成立した寛文4年以前から十日市が存在していることから無理があります。なお、明治の頃の新井田川は土岡(とをか)川と呼ばれていた記録があり、現在の川向いが田向字土岡(つちおか)河原になっており、この地名は土岡川及び十日市を意識して名付けられたように思われます。※八戸市史より一部抜粋
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大昔から水源として利用されており、縄文時代前期から後期にかけての縄文土器が多数散布しております。その湧水を利用してこの地域の簡易水道水源地の施設が建てられています。また、新田城の南方にある鍛冶山大明神堂の北側の湧水は十日市館に引き込まれていたともいわれています。
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3.5
鳥居の扁額が輝いております。
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参道。
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参道脇に石祠。
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何かはわかりませんでした。
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西十日市の産土様。
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狛犬一対(昭和11年旧7月、十一日町石橋喜一奉納)。
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9.4
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堂宇。
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向拝。
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拝殿向拝蟇股に九曜紋。
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何かは不明ですが石がありました。
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鍛冶山の霊水を八大龍王として祀ったのが鍛冶山大明神堂です。伏部内家の遠い先祖がこの地で鍛冶屋を行っていたことから鍛冶山と命名されました。堂宇内には色々あります。石も祀られており、向かって左にはオシラサマも見えます。御神体は剣で、御祭神は八大龍王。
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堂宇の脇に道が続いています。
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地蔵尊。
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石祠や石碑等。
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中央に石祠。
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両脇に石碑がありますが読み取れません。
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鍛冶山大明神堂んは馬頭観音や大山祇命、金精様が合祀されておりますが、それらと関係するものかはわかりません。
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20.5
更に上った所に…
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小さな堂宇があります。
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堂宇内。
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三社宮です。
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石と権現様。
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御祭神と関係するものかはわかりませんが、伊邪那岐命・伊邪那美命と書かれた掛軸や湯殿山本宮参拝時の写真等がありました。
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