横町は、南北に長い鹿角街道沿いの本町通りから、直角に横に入る町割りによっておこった名といわれています。
袋丁は、むかし袋小路になっていて、他領から忍び込んだ曲者を路地に追いこんで捕らえたと伝えられています。
以上の説明は袋丁の案内板より。
横町と平行に東西に延びる一角の吉田屋敷跡の石垣に武家屋敷の面影を残しています。
旧鹿角郡公会堂前の標柱「花輪城曲輪武家屋敷跡」より…『天正18年花輪城初代の城代大光寺正親入封の時、沢口大光寺屋敷と共に城ノ下曲輪としての武家屋敷を構えた。延宝2年(1674)中野伊織花輪城代となるや袋丁と共に武家屋敷街として構え幕末まで武家、御町医の住居があった。』
武家屋敷通りの廃寺跡「花輪山明蓮寺(真言宗)」。
『花輪山明蓮寺は藩政時代に寺領11石余を藩給されていた。明治初年廃寺、この寺の創建年代は全く不明であるがかなり古いといわれる』。
本勝寺の横に花輪館搦手口があります。
搦手口館坂(たて坂)。
花輪館跡(花輪小学校)へ続く坂道です。
搦手口館坂…『花輪城(館)に通ずる下の坂、通称館坂の登り口、昔「御館ノ坂」とも言った。』
坂道の途中。
この付近。
こちらの地図を見ると、途中に水天宮があります。
ここかな。
って思ったけど見当たりません。
北舘側の石垣。
石垣を辿って奥に続く道をもう少し進めばあったのかも知れませんが、時間の都合上行っておりません。
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