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黒石市二双子村元。
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入口の門(昭和61年5月2日、42才:高田實、山内伸一、高木一男、山下龍逸、工藤正信、33才:関則子、高田久恵、山下美智子、奥瀬順子、工藤富佐子、高田蝶子)
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社号標「村社伏見神社」(明治43年4月2日二双子村中、文洞敬書、石工倉兼)
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石灯籠一基(昭和40年5月2日)
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御大典紀念、石大鳥居・石門・本殿建地(昭和3年8月2日、石工倉島僉吉)
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鳥居。
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江戸期以降の二双子村についてです。津軽郡田舎庄のうち。弘前藩領。村高は貞享郷村帳480石余、貞享4年検地水帳344石余(田306石余・畑屋敷38石余)、寛保高辻帳480石余、天保郷帳380石余、嘉永2年の浪岡組村々田畑日記では346石余(田方310石余・畑方36石余)、旧高旧領355石余。貞享4年検地水帳によりますと、小字に浅田・野田があり、反別は田31町2反余・畑屋敷6町5反余(うち屋敷5反余)の計37町7反余で、このうち田は上田から下々田まで、畑は上畑から下々畑まで設定。他に漆木277本が植林され、和泉大夫抱えの権現堂2反余があります。元禄3年浪岡組に属し村位は中。嘉永2年の浪岡組村々田畑日記によりますと、戸数42、反別は田方31町8反余・畑方6町8反余。村内の神社として享和3年寺社領分限帳及び安政2年神社書上帳には慶長19年創建の伏見宮が記されています。同宮は猿田彦尊・宇賀御魂命・大宮姫命を祀り、明治に至り村社となりました。なお、寛政7年11月に当所を訪れた菅江真澄は、増館村(現浪岡町)に、伏見の里から飛来したという権現(獅子頭)を埋め、ここを「ししもり」と呼びましたが、その後祟りを畏れて他所に移し、伏見権現として500年ほど前に祀ったと記しています(津可呂の奥)。この伏見権現が貞享4年検地水帳に見える権現堂(伏見宮)。明治2年の戸数47・人口284、馬36。明治4年弘前県を経て青森県に所属。同11年南津軽郡に所属。明治初年の国誌によりますと戸数49、村況は北の堤館村、西の飛内村と十川を隔て一村のように見えるとされ、土壌は中、農間には賃労働により生計を営むといいます。また、十川と高館川にそれぞれ土橋が架けられていました。同10年二双子小学を開設し、同12年の教員数は男1、生徒数男19・女3。明治11年頃に堤館村を合併。同12年の共武政表によりますと、戸数71・人口432(男224・女208)、馬51、物産は米・糯米。幕末から明治期にかけて、館山養山による寺子屋が開かれていました。同22年六郷村の大字。
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延寶8年堂社帳又は山伏-寺社奉行成田七郎右衛門・岡文左衛門。波岡遣之内二捜子村、権現之宮ハ従古來雖有之、御神體併棟札等無之由緒一圓不知、神主市ノ太夫。
貞享4年陸奥國津輕郡御検地水帳-二双子村、権現堂地、39間、18間、2反3畝12歩堂建無之、和泉太夫抱。
寶永元年社堂境内記-仁双子村伏見権現宮、神主浪岡村、在間和泉。境内東西18間南北39間、同社地4間4方、同宮2尺4面南向、延寶4年在建立。
正徳元年寺社領分限帳-二双子村伏見権現宮、在建立、但鳥居御建立、浪岡村、有馬左太夫預。
寛延3年弘前並在々浦々建立社堂帳面-二双子村伏見権現宮、延寶4年。
寶暦9年神社書上帳-仁双子村伏見権現、齋藤兵部預。
安政2年神社書上帳-二双子村伏見宮一宇、浪岡村社司阿部信濃、右者慶長19年建立之由委細不詳、時に寶暦6年、右者貞享2丑年願主當村助太郎と申もの建立。其後寛政8丙辰年為五穀成就村中安全再建候。御供米1斗、年々村中より寄付仕來候。本社板葺、東西6尺南北3尺5寸。覆蘆葺、東西2間南北1丈。堂社並覆、破損之節は同村中にて再建仕來候。御棟札寶暦6年11月2日、明和3年4月11日、文化10年4月11日、嘉永2年4月11日、嘉永7年7月11日。神事定例3年に1度為村中安全執行仕候。社地東西2間半南北3間、境内林東西18間南北39間御除地和泉抱。右者貞享御調之節御竿入相濟候之表に御座候。尤寶暦2年右門代より所持仕候。
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伏見橋(紀元2600年除厄記念)
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10.5
参道舗装工事、42才・33才除厄記念(平成2年5月2日、髙田幸雄・髙田善三・佐藤勇・飯田崇・三浦斉子・髙田正子・三浦まき子・蟹沢美也子・原田京子)
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入口付近に安置されている石碑等。
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こちらは何かわからず。
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馬頭観世音。紀年銘等読み取れず。
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青面金剛本尊塔(于時文化5戊辰天8月27日、願主二双子)。上部日輪月輪、梵字「阿弥陀三尊」、裏面碑文「平成三年十二月二日再建」
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猿田彦大神(文化5戊辰)。裏面碑文「平成三年十二月二日再建」
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鳥居(平成29年5月吉日建立、二双子町内会一同)
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鳥居。
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石灯籠一対(昭和42年5月2日)
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19.5
参道は右に直角に曲がります。
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社殿正面の鳥居。
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石灯籠二対(大正10年3月2日、明治廿亥年4月2日)
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22.2
22.4
22.8
狛犬一対(明治43年4月2日、二双子村中)。
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23.5
以前の記事で小鹿と紹介した…
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24.5
やっぱり小鹿?笑
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25.5
一対。昭和13年8月2日村中。
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26.5
手水石(大正7年8月2日、築舘金四郎62才建立)
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「奉祝皇紀二千六百年記念・伏見神社拝殿改築、奉祈願大東亜戦争完遂、皇軍武運長久」
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裏面「拝殿改築落成昭和拾五年九月二十八日・宣戰ノ大詔ヲ奉戴シ大東亞制壓ノ御稜ニ感激シ昭和拾七年五月貮日建之」
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社殿。二双子の伏見宮(権現堂)。御祭神は猿田彦尊、宇賀御魂命、大宮姫命。例祭8月2日。慶長19年創建と云われますが詳細は不明。貞享2年に二双子村の助太郎建立(最勝院神社微細調書上帳)。
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拝殿向拝神額。
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32.5
本殿。本殿前にも石灯籠一対(一基は上部崩壊)。本殿に架かる石橋には「昭和40年5月2日松竹会(※氏名省略)」とあります。
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また、周囲のブロック塀には「昭和47年5月2日42才33才厄除記念奉納((※氏名省略))」とあります。
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桜植樹(平成11年5月2日)の標柱。
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二双子だげぐら舞について…『寛政7年11月2日、江戸時代の旅行家菅江真澄は旅行記に、この地の伏見神社にて「産土祭り」が行われたと記している。「産土祭り」とは、“生まれた土地の守り神を祀る日”とされる。その一つ「だげぐら」は、毎年8月2日の伏見神社大祭に行われ、「太夫」と「獅子」がこの二双子(にそうし)地区の全家(103戸、平成22年)を廻り、“災いを祓い”“豊作を祈る”行事である。家の中では、神棚をまずお祓いし、台所をお祓いする。家人に病があればその痛むところを獅子に噛んでもらう。お囃子は大太鼓である。台車に取り付けられ、太夫と獅子の後を追う。由来は、菅江真澄の記した日付や獅子頭を保存する箱に記された「嘉永七甲寅年」などから、江戸時代に始まったと推定されている。』
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こちらは神社のすぐ近くにある二双子会館です。
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2020年に二双子子供育成会が、岩木山のお山参詣を描いた障子絵を二双子会館の窓に飾って住民を楽しませています。新型コロナの影響で市のねぷた祭りや町内運行が中止となったため、夏祭りの雰囲気を感じてもらおうと実施したそうです。同会がねぷた絵を依頼している渡邊康雲さんが、二双子地区が1978年に行ったお山参詣の写真などを基にして、リンゴと稲穂が実る秋晴れの下、御幣を持った住民らが参詣する様子を障子8枚分(1.6m×80cm)で表現。
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なお、2021年8月10日以降は同じく渡邊康雲さんが描いた迫力あるねぷた障子絵に変わりました。題材は水滸伝。9月中旬頃までは夜間点灯しているそうです。
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