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秋田県秋田市保戸野通町。旧金子家住宅を過ぎたところに丁字路があり、羽州街道はここを左に曲がります。旧上通町。久保田上通町・秋田上通町ともいいました。江戸期は出羽国秋田郡の内。秋田藩領。久保田城下町の1つ。成立は寛永6年10月21日といわれます。通町橋から大工町の六道の辻に至る主要道路の東側。寛永6年には通町3丁に家を2階建てとすることを命ぜられています。元禄2年、通町橋落成。同7年には番所の両門が建ち、橋の袂はさらし場でした。寛延2年に百姓が収納物の米もしくは銭の不足を通町の商人に立て替えてもらい、翌年春より夏秋まで青物・薪・柴・カヤその他の農作物を売り、借りを返しました。つまり大町・茶町物以外のいわゆる雑貨を、市場を利用して売る市場権を得ました。その後、文久4年に朝市の専業家督権を得ます。神社としては稲荷神社がありました。明治4年から秋田町の町名。同11年南秋田郡に所属。同22年秋田市の町名となります。明治9年進藤京兵衛が切手売下人に指定され、県内初の郵便差入柱函(ポスト)を設置。同23年には貯金預所、同38年に秋田通町郵便局と改称。明治14年の市場調べでは名称が南秋田郡郡市とあり、種類・野菜物・五十集物、開市日は毎日。また新旧ともに12月20日より30日までの市は、松葉をはじめ年越用品を扱いました。同17年12月の「秋田町商人録」によりますと、薬種小間物越後屋佐野八五郎の名が見えます。同18年の戸数79。同年市場税として上等に区分され年税15円を課せられ、同25年1等年税として15円を課せられました。同19年の俵屋大火により全焼。当町で「秋田アスファルト時報」(毎月2回刊)の業界紙が発行されていました。住居表示実施により昭和40年大町1-6丁目、同41年保戸野通町の各一部となります。
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広報あきた(「通町」「馬口労町」編)に『町人が暮らしていた「外町」は、土崎湊から久保田城へ通じる通町の通りと、新屋、牛島方面から城下に通じる馬口労町通りとの間にありました。当時、羽州街道を旅した人たちは、土崎湊から通町に入り、大町を通って馬口労町に抜けるルートを通りました。そのため、久保田城下の出入口にあたる通町と馬口労町は、交通の要所としてたくさんの人が行き交いました。通町の町割りは、大町と並んで古く、慶長(1596-1614)の中頃に成立しました。当初、「上通町」「中通町」「下通町」の三町がありましたが、下通町はのちに中通町に含まれたようです。通町は、寛永6年(1629)、大町とともに建物を二階建てにするよう秋田藩から命じられ、通り沿いはきれいに二階建ての屋敷が並びました。その整然とした街並みは「足栗毛」にも描かれています。お城への客人や多くの旅人が通るこの道は、いわば秋田藩の顔。他藩の人の目にふれても恥ずかしくないよう景観を整えたのでしょう。通町は、特定商品の家督(独占販売権)はありませんでしたが、城下と近郊の農村を結ぶ道であったため、毎日、朝市が開かれていました。市には近郊の農村や土崎湊から野菜、薪、日用品などさまざまな商品が集まり、たいていのものはここで買うことができました。また、近郊の農・漁民にとっては、諸産物を金銭に換える貴重な場でもありました。文久4年(1864)には、上通町、中通町、これに続く大工町の三町が朝市の家督を認められ、名実ともに市のまちとなりました。』とありました。なお、wikipediaによりますと『上通町・中通町は、「梅津政景日記」元和4年6月29日(1618年8月19日)の条が初見である。通町橋の旧名である「さかな町橋」の名は同日記の慶長17年(1612年)に記録されており、町割は城下建設の初期から行われていた。初期には「下通町」の記録もあり、何らかの理由で中通町に統合されたものと考えられているが、一般に「通町三町」と総称されていた。寛永6年(1629年)に大町三町とともに二階造りが命じられ、同8年に羽州街道の茶町筋から大町筋への変更に伴い上通町・中通町とも街道筋となった。家督専売権は認められなかったものの、寛延2年(1749年)、百姓が収納物の米・銭の不足を通町の商人に立て替えてもらい、翌年に青物・薪・柴萱その他の大町・茶町物以外の雑貨を売って借りを返す、市場権が認められた。文久4年(1864年)になって朝市の専業家督権を得た。通町橋のたもとに刑場と、処刑された罪人のさらし場があった。藩の御用油商人であり明治2年に八橋油田を開発した千蒲善五郎は、代々上通町で営業していた。』とあります。
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石灯籠一対・手水舎。
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招福会館。
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狐一対。
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招福稲荷神社社殿。
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拝殿向拝神額。
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社殿内。大きな狐面が見えます。通町商店街では「招福狐の行列」(10月)が行われます。その列の先頭を飾るのがこの狐面です。
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旧羽州街道に見立てた通町商店街を、上通町招福稲荷神社の本宮である東京の王子稲荷神社を目指して練り歩く行事。商売繁盛や家内安全を願う神事に続き、神狐、裃狐、黒留狐、供狐、子狐など、顔に化粧を施したり、お面をかぶって狐に扮装した人々の行列約150人が、通町商店街周囲の約1kmを1時間かけて練り歩きます。「福が来ますように」と観衆や通行人らに大福餅や稲穂が配られます。地元関係者のみならず一般参加者も募集していますが、狐のメイクは必須(秋田公立美術大学の学生によるメイク可能。衣装は貸出可能。招福狐の行列実行委員会へ問い合わせください。)。フォトコンテストも開催しているようなのでメイクをして是非参加してみてはいかがでしょうか。
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招福稲荷神社由緒記…『御祭神は、世に「稲荷大明神」と称え、衣食住の祖神で、古来より産業の守護神として広く人々の信仰を集めお祀りする神様です。招福稲荷神社は文政13年(1830年)正一位大明神広面錢塔額が奉納された記録を基に偲ぶと、170年有余の歴史が思われます。招福稲荷神社は、東京都北区王子稲荷の分神として祀られ、御祭神は「宇迦之御魂神・宇気母智之神・和久産巣日神」の御三体が御鎮座されています。当社お稲荷様は火防守護の風守を授けしこれをもって火難を免れ息災繁盛するといわれ多くの人々を集め稲荷信仰が隆昌されました。先賢の訓に信仰あるところ必ず神助があり、神は人の敬いによりて威を増し人は神の徳に依り運を添うとあります。招福稲荷様の神徳を讃える古歌に「かくてこそ祈るかひあれ衣食住なにくらからぬ三つのともしび」と歌われ、信仰の徳を讃え幸福の道を教えています。当社の例祭は旧暦2月初午の日であります。この日は稲荷大神が初めて祀られた日に因む日です。平成13年10月吉日』
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招福稲荷神社のはす向かいにある、こもせもうる大町商屋館(南蛮屋秋田大町店・ギャラリー杉・青井陶器店・トガシ電器等)と、秋田市民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)。こもせもうる大町商屋館は市民が選ぶ都市景観賞受賞(平成4年度)。
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近くにある佐野薬局通町本店。
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こちらも近くにある高砂堂本店(国登録有形文化財)。明治35年から営業している老舗菓子店。大正時代の建物で、外観は純和風、内部はアールデコ風を取り入れるなど、和洋折衷が見られます。通町の道路が拡幅された際には曳家を行い、その歴史ある風景が守られています。
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旭川沿いにある宮城屋蒲鉾店大町店。昭和2年に秋田市大町に開業。蒲鉾製造業として創業時に建築。宮城屋は市民が選ぶ都市景観賞を受賞(平成3年度)。
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旭川。
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通町橋。旧名「さかな町橋」。
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親柱の横にひっそりと「秋田地方海軍人事部跡」標柱がありました。
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横には「昭和十六年四月一日設置・昭和二十年十一月三十日廃止」とありました。
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