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里宮前にある本宮鳥居(平成元年10月吉日)。
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本宮鳥居をくぐり、東北自動車道をくぐり、小坂川を渡ったらすぐ右折。小坂川に沿って北上し、最初の分岐を左へ。そこからは心許ない細い道をひたすら道なりに進んでください。ちなみに途中小さな鳥居と社がありましたがスルーしました。
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道中には案内看板も無く、この先に本当に本宮があるの!?って思わせるような道ですが、いきなり正面に白い大鳥居が現れます。ここから歩いてもかまいませんが、この鳥居の先へも車で行けます。
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参道途中に鳥居と祠がありました。
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中には石祠。棟札はよく見えませんでした。不動明王でしょうか。
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祠の横には小さな滝があり、水が汲めるように工夫されていました。
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そこから更に進むとようやく石段前の鳥居に着きます。
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鳥居前には小さな川。
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ちなみにこの「縣社月山神社」の先にも道路が続いており、結果として本殿近くの手水舎前まで一応車で行くことが可能のようです。
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山奥ということもあり、いい雰囲気ですね。
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寛政7年(1795)に田山村(現岩手県安代町)の人々によって300段の石段が寄進され、苔むした今に至っています。
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自然に囲まれた気持ちのいい石段。寄進された方々に感謝です。
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でも里宮から歩いてきた人にとっては、恐らくここまで1時間以上かかっていると思うので、辛い石段かも知れませんね。
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何せ先が見えません笑
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途中、先程述べた道路の続きが交差します。
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そしてまたすぐ石段。
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まだ先が見えません。
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ようやく何か見えてきましたね。
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鳥居ではなく冠木門のようです。
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参道脇にあった壊れた石碑。置かれている場所は小さな祠か何かの基礎部分ですね。
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冠木門。
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参道を振り返るの図。
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一番下のように見える場所は途中の道路が交差している場所です。
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石灯篭一対。紀年銘は読み取れず。
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石灯篭一対(大正13年7月13日・毛馬内町有志奉納・石工成田里治・手傳川原一同)。
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冠木門裏側。
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「縣社ニ列ス」「大正14年7月9日」とあります。
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手水舎。
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手水石。水の勢いが凄かったです。
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手水石前の道路と駐車場的スペース。
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御祭神は月読命、誉田別命、金山彦命、大日霊命、伊邪那美命、倉稲魂命、菅原道真。社伝によりますと、大同2年に坂上田村麻呂が奥州と中央の対立を治めんとし、成就の暁には奥州に7つの月山社を建立する立願から始まり、この地に月読命を奉齋し、国家鎮護蒼生の守護神としたと伝えられています。代々南部藩藩主の崇敬篤く13石の社領を安堵され、明治維新に至まで藩費寄進をいただき、五穀豊穣・家内安全の祈願社として敬われてきました。また、地域住民の信仰も篤く、毛馬内通り(鹿角)総鎮守として尊崇。近世は荒沢月山大権現とも称しており、別当寺の廣増寺(真言宗)と羽黒修験不動院によって祭事や管理が行われてきました。明治6年郷社。明治41年1月神饌幣帛料供進神社に指定。同年に字大坊館無格社稲荷神社、同44年に字柏崎神明社、字中野平神明社、字八幡平八幡神社、字又四郎川原稲荷神社、字白根金山神社、字蟹沢稲荷神社を合併。大正14年には鹿角で唯一の県社となっています。
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拝殿との間を鞘堂(嘉永元年建立)で一体に覆い、風雪から守っているため見ることはできませんが、本殿は元文5年(1740)建立されたもので市指定有形文化財です。享保20年(1735)まで数度の火事に遭っていますが、文禄3年(1594)の再建をはじめとし、以来改築・再築が行われてきました。社殿の向拝、拝殿、幣殿と続く最も奥にあり、幣殿を鞘堂として、高床式、高欄を配した流造。組物が多用されており、蟇股、木鼻などに華麗な文様、丸彫が施されているそうです。流れるような庇部分も一連の繁垂木。
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川原大神楽(市指定無形民俗文化財)が伝わります。月山神社祭礼に行われる大神楽は獅子舞のひとつで伊勢流大神楽の系譜とみられています。二人立ち一頭獅子舞。祭礼で神前に奉納舞をした後、門舞といい神輿渡御の先祓いを勤めるもので、町内を巡る際にその都度獅子舞を行います。獅子舞は1演目だけしかなく、四方固めの舞といっているもので、鈴や幣束を採り舞うものです。大神楽には万歳がつき、太夫と才蔵の軽妙な掛け合いを披露します。始まりは明暦3年と伝わり、南部家重臣の桜庭光英が毛馬内の館主になった時に月山神社に奉納演舞したのが始まりといいます。かつては修験相川家で一切を取り仕切ってきたもので、明治以降は川原の若組が中心となって伝承。大神楽は隣接地域の下小路にもありましたがこちらは途絶えています。構成は舞方と囃子方にわかれ、太鼓、笛、チャガ(鉦)がつけられ、舞中には唱え言葉が掛けられますが、これを声掛けといって十数人で行うそうです。獅子舞の後には川原万歳といわれる太夫と才三による万歳が行われます。7月12、13日の月山神社例祭で行われ、12日の宵宮に里宮(休堂)で奉納、13日の本祭には御神輿の先祓いを勤め、更に各戸を舞いながら祓い清め、古町の神明社に奉納。
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毛馬内ばやしは月山神社祭礼に運行される屋台囃子で、宵宮祭の日には月山神社御休堂で奉納されています。その後、この囃子屋台は下小路へと移動しながら、道中囃子を奏でます。本祭日には各町内を巡行。演目は宇現響・鞨鼓・霧囃子・拳(剣)囃子・不二田・祇園があります。囃子の起源は不明ですが、祇園囃子があることから京風だとされており、中世には伝承されていたそうです。囃子の構成は笛、太鼓のみで、かつてはこれに三味線とあたり(鉦)がつけられていました。この屋台は、底がないために屋台のなかに付けられた太鼓を叩きながら、屋台移動に歩行を合わせながら運行していきます。かつてはそれぞれの町内から囃子が出されたといいますが現在は一台のみ。この囃子には踊りもつけられていたいいますが囃子のみ伝承されています。
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拝殿蟇股に何かがおります…うさぎ?面白いですね。
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狛犬一対(昭和9年7月・戌年會)。
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台座は新しくなっていますが、紀年銘は狛犬奉納当時のものかと思います。
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手水石。
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拝殿神額。
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紀年銘は明治。
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その両隣には國萃會献詠和歌(夏月・杜頭瀧)。
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更にその両隣に金剛力士(仁王像)。
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月山神社の由来(案内板より。里宮と同じもの)…『【一.由来】当神社創建の由来は遠い平安時代にさかのぼる。桓武天王の御代「延暦年代」坂上田村麻呂将軍が、東国と中央との対立を治めるよう天皇の詔を受け、成就の暁には奥州に7つの月山神社を建立する立願から始まり、その後、将軍の威令がよく行きわたって奥州が静まるに及び、この地に大同2年(806)月読命を奉斉して国家鎮護、蒼生の守護神とされた。中世には社殿が数度の焼失にあい、天文17年(1548)、南部22世政康公の五男武田靫負佐秀範が三戸から毛馬内古館(当麻館)に移って毛馬内を領するに至り、文禄年中(1592-96)に月山神社を再建す。以来近世には、代々南部藩公の崇敬厚く、明治維新に至るまで藩費寄進をいただき、五穀豊穣、家内安全の祈願神社として敬われてきた。また、寛政7年(1795)には田山村(現岩手県安代町)の人々によって三百段の石段が寄進され、苔むした今に至っている。明治40年に神饌幣帛料供進神社に指定され、大正14年から昭和20年まで県社に列せられている。現存の本殿は、元文5年(1740)に建立されたもので、後に拝殿との間(幣殿)を鞘堂で一体に覆い風雪から守っている。本殿は高床式に高欄を配し、粋な流造り形式で、百人一首掲額と共に市文化財に指定されている。【二.祭神】月読命、稲倉魂命、誉田別命、大日霊命、伊邪那美命、菅原道真、金山彦命。【三.御神徳】月読命は月齢暦を作って農耕を指導した豊穣の神であると共に厄除開運、延寿万福、病気平癒、安産、学業成就に霊験ありとされる。【四.祭日】春例祭3月13日、例大祭7月12、13日、秋例祭11月23日(勤労感謝の日)【五.鎮座地】本社:鹿角市十和田毛馬内字毛馬内沢。里宮:鹿角市十和田毛馬内字毛馬内50番地。(平成9年7月月山神社社務所識)』
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百人一首献額について(案内板より)…『嘉永3年(1850)に第40代盛岡藩主利剛公による月山堂並びに拝殿の大普請が完成し、遷宮式が執り行われております。これを機に拝殿の四面をとりまく百人一首の献額が、6年後の安政3年(1856)に奉納されております。奉納者104名で額装され、額の中が5つに仕切られております。筆頭額には、当時の毛馬内通り代官の氏名が記されており、その他武士・町人・村役人が書かれております。歌仙絵を描いた方は不明ですが、その背景には、武術だけでなく、文化的素養が尊重された鹿角の風土があったと思われます。百人一首の献額を御覧になって、あらためて献納された御先祖の方々のことを追想してもよいでしょう。』
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拝殿内。暗いですけど市指定有形文化財の本殿が拝殿扉の穴から見えます。ありがたいです。
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本殿両脇には御神馬や小祠も見えますね。
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同じく市指定有形文化財の百人一首献額もかろうじて見ることができます。
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百人一首献額。
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3人の芸妓が描かれた美人図や役者絵(白浪五人衆・弘化4年)、布袋様(文久元年)、その他絵馬などもあってかなり見応えありますね。
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境内にあった小祠。
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稲荷大神の小祠。
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石塔群。左は読み取れず。
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中央は鶴と亀の絵が彫られていました。紀年銘は寛永17庚辰年。
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右は上部凡字。下部は苔で読み取れず。紀年銘は同じく寛永17庚辰年。
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こちらの石碑も読み取りにくかったです。じっくりと見れば読み取れるレベルではあります。上部梵字。紀年銘は寛永18辛巳年6月13日。
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鹿角市指定有形文化財「月山神社本殿一棟」(昭和58年7月15日指定)標柱…『月山神社は、大同2年(807)坂上田村麻呂によって祭られたと伝えられています。毛馬内通の総鎮守として崇敬され、現存する本殿は元文5年(1740)の再建で高床式、高欄を配する粋な流造りを特徴としています。』
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鹿角市指定有形民俗文化財「百人一首献額20枚」(昭和52年2月4日指定)標柱…『社殿の大修理を記念し、安政3年(1856)に毛馬内通の代官をはじめ、御給人・商人・村役人などによって奉納されました。20枚の大額に百人一首の彩色された歌人と和歌が描かれ、拝殿の四方をとりまいています。』
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「毛馬内町瀬田石字小山根 奉納 田壹反五畝六歩 毛馬内商人一同」。
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月山神社創建千二百年記念碑。
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裏面碑文「由来」…『桓武天皇の御代大同2年(807)、坂上田村麻呂将軍が東国と中央の対立を治めんとし、成就の暁には奥州に7つの月山神社を建立する立願から始まり、この地に月読命を奉齋して国家鎮護、蒼生の守護神とされたと伝えられている。中世には社殿が数度の焼失にあうも、文禄3年(1594)の再建をはじめに、以来近世には改築、再築が行われ、代々南部藩公の崇敬厚く、明治維新に至るまで藩費寄進をいただき、五穀豊穣、家内安全の祈願社として敬われてきた。また寛政7年(1795)には田山村の人々によって三百段の石段が寄進され、苔むした今に至っている。明治時代には神饌幣帛料共進神社に指定され、大正14年(1925)から昭和20年(1945)まで県社に列せられている。現存の本殿は、元文5年(1740)に建立されたもので後に拝殿との間を鞘堂で一体に覆い風雪から守っている。氏子の皆様に敬われて来た月山神社も、平成19年(2007)で創建千二百年に当り、ここに記念碑を建立するものである。(下部寄進者名ほか省略)』
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