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秋田県鹿角市十和田毛馬内毛馬内。毛馬内月山神社。桓武朝に坂上田村麻呂が陸奥国に建立した月山社七座のうちの1社月山権現。鹿角観音霊場第30番。写真で紹介するのは毛馬内沢の本宮(奥宮)ではなく里宮です。鳥居の位置関係がおかしいと思う人もいるかも知れませんが、上の写真の鳥居は里宮鳥居で、下の写真は里宮のすぐ前にありますが本宮鳥居になります。本宮鳥居の向こうに見えるのは本光院。本宮はここからかなり離れた山中にあるのです(茂谷山山中)。
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社号標「月山神社里宮」(昭和35年7月建立)。
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手水舎。
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「皇紀2600年記念 御休堂社地195坪 毛馬内町市場組合奉納」(昭和15年6月吉辰)。
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御祭神は月読命、誉田別命、金山彦命、大日霊命、伊邪那美命、倉稲魂命、菅原道真。社伝によりますと、大同2年に坂上田村麻呂が奥州と中央の対立を治めんとし、成就の暁には奥州に7つの月山社を建立する立願から始まり、この地に月読命を奉齋し、国家鎮護蒼生の守護神としたと伝えられています。代々南部藩藩主の崇敬篤く13石の社領を安堵され、明治維新に至まで藩費寄進をいただき、五穀豊穣・家内安全の祈願社として敬われてきました。また、地域住民の信仰も篤く、毛馬内通り(鹿角)総鎮守として尊崇。寛政7年(1795)に田山村(現岩手県安代町)の人々によって300段の石段が寄進され、苔むした今に至っています(※本宮の石段です)。近世は荒沢月山大権現とも称しており、別当寺の廣増寺(真言宗)と羽黒修験不動院によって祭事や管理が行われてきました。明治6年郷社。明治41年1月神饌幣帛料供進神社に指定。同年に字大坊館無格社稲荷神社、同44年に字柏崎神明社、字中野平神明社、字八幡平八幡神社、字又四郎川原稲荷神社、字白根金山神社、字蟹沢稲荷神社を合併。大正14年には鹿角で唯一の県社となっています。
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拝殿との間を鞘堂(嘉永元年建立)で一体に覆い、風雪から守っているため見ることはできませんが、本殿は元文5年(1740)建立されたもので市指定有形文化財です。享保20年(1735)まで数度の火事に遭っていますが、文禄3年(1594)の再建をはじめとし、以来改築・再築が行われてきました。社殿の向拝、拝殿、幣殿と続く最も奥にあり、幣殿を鞘堂として、高床式、高欄を配した流造。組物が多用されており、蟇股、木鼻などに華麗な文様、丸彫が施されているそうです。流れるような庇部分も一連の繁垂木。※本宮の説明です。
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川原大神楽(市指定無形民俗文化財)が伝わります。月山神社祭礼に行われる大神楽は獅子舞のひとつで伊勢流大神楽の系譜とみられています。二人立ち一頭獅子舞。祭礼で神前に奉納舞をした後、門舞といい神輿渡御の先祓いを勤めるもので、町内を巡る際にその都度獅子舞を行います。獅子舞は1演目だけしかなく、四方固めの舞といっているもので、鈴や幣束を採り舞うものです。大神楽には万歳がつき、太夫と才蔵の軽妙な掛け合いを披露します。始まりは明暦3年と伝わり、南部家重臣の桜庭光英が毛馬内の館主になった時に月山神社に奉納演舞したのが始まりといいます。かつては修験相川家で一切を取り仕切ってきたもので、明治以降は川原の若組が中心となって伝承。大神楽は隣接地域の下小路にもありましたがこちらは途絶えています。構成は舞方と囃子方にわかれ、太鼓、笛、チャガ(鉦)がつけられ、舞中には唱え言葉が掛けられますが、これを声掛けといって十数人で行うそうです。獅子舞の後には川原万歳といわれる太夫と才三による万歳が行われます。7月12、13日の月山神社例祭で行われ、12日の宵宮に里宮(休堂)で奉納、13日の本祭には御神輿の先祓いを勤め、更に各戸を舞いながら祓い清め、古町の神明社に奉納。
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毛馬内ばやしは月山神社祭礼に運行される屋台囃子で、宵宮祭の日には月山神社御休堂で奉納されています。その後、この囃子屋台は下小路へと移動しながら、道中囃子を奏でます。本祭日には各町内を巡行。演目は宇現響・鞨鼓・霧囃子・拳(剣)囃子・不二田・祇園があります。囃子の起源は不明ですが、祇園囃子があることから京風だとされており、中世には伝承されていたそうです。囃子の構成は笛、太鼓のみで、かつてはこれに三味線とあたり(鉦)がつけられていました。この屋台は、底がないために屋台のなかに付けられた太鼓を叩きながら、屋台移動に歩行を合わせながら運行していきます。かつてはそれぞれの町内から囃子が出されたといいますが現在は一台のみ。この囃子には踊りもつけられていたいいますが囃子のみ伝承されています。
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石灯篭一対(昭和12年7月13日)。
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狛犬一対(昭和18年11月23日・横濱市鶴見區市場町741熊谷鐡工所職工一同)。
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拝殿内。
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拝殿にあった由来案内板より…『【一.由来】当神社創建の由来は遠い平安時代にさかのぼる。桓武天王の御代「延暦年代」坂上田村麻呂将軍が、東国と中央との対立を治めるよう天皇の詔を受け、成就の暁には奥州に7つの月山神社を建立する立願から始まり、その後、将軍の威令がよく行きわたって奥州が静まるに及び、この地に大同2年(806)月読命を奉斉して国家鎮護、蒼生の守護神とされた。中世には社殿が数度の焼失にあい、天文17年(1548)、南部22世政康公の五男武田靫負佐秀範が三戸から毛馬内古館(当麻館)に移って毛馬内を領するに至り、文禄年中(1592-96)に月山神社を再建す。以来近世には、代々南部藩公の崇敬厚く、明治維新に至るまで藩費寄進をいただき、五穀豊穣、家内安全の祈願神社として敬われてきた。また、寛政7年(1795)には田山村(現岩手県安代町)の人々によって三百段の石段が寄進され、苔むした今に至っている。明治40年に神饌幣帛料供進神社に指定され、大正14年から昭和20年まで県社に列せられている。現存の本殿は、元文5年(1740)に建立されたもので、後に拝殿との間(幣殿)を鞘堂で一体に覆い風雪から守っている。本殿は高床式に高欄を配し、粋な流造り形式で、百人一首掲額と共に市文化財に指定されている。【二.祭神】月読命、稲倉魂命、誉田別命、大日霊命、伊邪那美命、菅原道真、金山彦命。【三.御神徳】月読命は月齢暦を作って農耕を指導した豊穣の神であると共に厄除開運、延寿万福、病気平癒、安産、学業成就に霊験ありとされる。【四.祭日】春例祭3月13日、例大祭7月12、13日、秋例祭11月23日(勤労感謝の日)【五.鎮座地】本社:鹿角市十和田毛馬内字毛馬内沢。里宮:鹿角市十和田毛馬内字毛馬内50番地。(平成9年7月月山神社社務所識)』
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