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門外熊野宮です。以前の記事も参照ください。
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社号標は日露戦役紀念(明治39年旧6月14日)。
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旧社号標「熊野宮」。
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紀年銘は明治二十…までは読み取れます。
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保存樹林「【樹種】門外熊野宮境内叢林。【指定】第九号。【指定年月日】平成3年2月19日。【所有者】宗教法人門外熊野宮。【説明】イチョウの大木五本の他スギ等を混ぜた境内叢林で、面積は小さいが近隣の緑地として目立ったみどりをなしており、景観的に貴重である。」
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一之鳥居(大正11年11月竣工・門外中)。
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鳥居建設寄附金者芳名碑(昭和56年7月10日建之)。
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二之鳥居。
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10.5
保存樹林ですが…以前の記事と比較するとかなり伐採されているのがわかります。
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御神馬。
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昭和8年10月14日村中一同。
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三之鳥居。
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石灯籠一対(大正14年旧6月14日)。
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15.5
四之鳥居(昭和32年旧6月14日)。
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参道。
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石灯籠一対。
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18.5
紀年銘は私には読み取れず。
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19.5
五之鳥居(昭和4年6月14日、齋藤喜作)。
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参道。
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狛犬一対(明治32年旧4月14日)。
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22.5
台座。
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23.5
手水石(五十嵐太治郎)。
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僅かに盃状穴が見られます。昔から子どもたちがままごと遊びに、草花などをのせて石で叩いて潰したことが長年繰り返されたものであると、「津軽ふるさと散歩」に説明があります。このままごと遊びは「おふるめコ」といったそうです。一般的には、このような穴を盃状穴(はいじょうけつ)と呼び、病気治癒や子孫繁栄などを願った盃状穴信仰と言われます。
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社殿。
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26.5
拝殿向拝神額(明治6年4月)。
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27.5
本殿。
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物置かな。
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何かの痕跡。
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門外村、かつての加土計郷についてです。加土計郷は南北朝期から戦国期に見える郷名。平賀郡のうち。暦応4年7月7日の曽我師助預状に「平賀郡加土計郷〈除曽我小次郎内河又三郎知行分〉、依為朝敵跡闕所地、奉京都御左右程預者也」と見え、当郷が曽我貞光に預けられています。天文年間の津軽郡中名字には平賀郡山辺のうちとして「角懸〈カドゲ〉」と見えます(津軽一統志)。
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江戸期からは門外村。津軽郡平賀庄のうち。弘前藩領。村高は「正保高帳」では門家村と見え361石余、「寛文高辻帳」361石余、「貞享4年検地水帳」801石余(田655石余・畑屋敷146石余)、「寛保高辻帳」361石余、「天保郷帳」654石余、「旧高旧領」705石余。集落は弘前城下より掟ケ関(いかりがせき)村を経て秋田領へ抜ける羽州街道沿いに発達し、「慶安2年道筋帳」には小道の1つとして「門家村大道より福村迄十八町」と見えます。また脇道の1つとして「館田村より門家村迄拾三町四十間大道へ出ル」とも記されています。「貞享4年検地水帳」によりますと小字に「村井・川面・栄田・枝之下・冨岡・松本」があり、反別は田77町6反余・畑屋敷38町4反余(うち屋敷3町1反余)の計116町余。このうち田は上田から下々田まで、畑は上畑から下々畑まで設定されていました。他に開発場として田畑地10町7反余、河原4か所、永荒地6町余があり、漆木は37本。元禄3年には堀越組に属し村位は下。村内の寺社としては「貞享4年検地水帳」によりますと、高2斗1升3合で行人重海坊抱えの熊野権現堂と村中抱えの観音堂があります。熊野権現堂は現在も字村井にある熊野宮で御祭神は伊邪那伎命・伊邪那美命。また「国誌」によりますと明治初年当時、当村の北に蔵館村の大円寺末寺の真言宗園円林寺があり、開山・開基とも不祥で本尊は薬師如来とあります。明治4年弘前県を経て青森県に所属。同11年中津軽郡に所属。戸数103、村況は「土地菲薄にして作得少く田多く畑少し」とあります。同9年門外小学開校し、同12年為善小学、同15年為善小学校と改称。同校は同18年大清水村の水哉小学校を合併し、当村に隆親小学校として発足。同20年には隆親簡易小学校と改称。
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明治12年の「共武政表」によりますと、戸数115・人口660(男361・女299)馬53、物産は米・大豆。同22年堀越村の大字。昭和30年からは弘前市の大字。明治22年字松元に堀越村役場設置。同24年の戸数124・人口717、厩73、学校1、水車1。同24年から39年の間、当地には泉流寺がありました。明治28年奥羽北線弘前~掟ケ関間が開通し、地内の南西を列車が通行することになります。同25年隆親簡易小学校は隆親尋常小学校と改称。大正14年字上松元に校舎を移転改築。昭和16年堀越国民学校、同22年堀越小学校と改称し堀越中学校を併設。同23年に取上に松原分校設置。同24年に堀越中学校は小学校西側の字上松元に校舎新築移転。同29年松原分校が独立。同30年弘前市立堀越小学校・市立堀越中学校となります。同41年同中学校は豊田中学校と統合、小比内に市立第五中学校として生徒数595、教員24、学級数16で発足。大正10年中津軽郡統計書には小字として栄田・下松元・川面・富岡・村井・上松元がみえ、門外郵便局もおかれていました。昭和52年国道7号弘前バイパス境関~堀越間が開通し地内の東北を通ります。
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33.5
閻魔堂。
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扁額。
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中はよく見えず。木彫りの像や絵馬があります。
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36.5
末社。
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穴開き石っぽい石がありますね。
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薬師様かも知れません。
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末社。
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こちらは判断できず。
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観音石像。
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観音石像について…「当境内には、鎌倉時代以来、弥佗、観音、勢至の三尊を熊野宮本殿と共に信仰厚く祀らる(享和3年寺社領分限帳)。本尊年代不詳なるも其の一部と思われる。本年11月20日境内裏道川堰改修工事中発掘され修復元再建に至る。敬白。昭和61年12月13日。門外町会、熊野宮氏子総代、門外婦人講中。※右記録を平成11年7月再製作したものである。」
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猿田彦大神(大正15年旧4月20日村中)
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庚申塔(天保14卯年7月19日村中、願主名省略)。
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二十三夜講中(元治元癸子年6月23日)。
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こちらは不明。「願主門外村」はわかります。
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