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平川市八幡崎宮本。※一之鳥居(昭和51年8月1日、奉納桜田金之助・桜田キヱ・桜田旭 施工工藤建業)
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江戸期以降の八幡崎村についてです。津軽郡平賀庄のうち。弘前藩領。貞享4年検地水帳によりますと、小字に「高野・宮元・松橋・本宮」があり、反別は田57町余・畑屋敷43町余(うち屋敷1町余)、田は上々田~下々田まで、畑は上畑~下々畑まで。屋敷のうち郷蔵屋敷1畝余。他に村抱え畑地1畝余、池床2か所1畝余、漆木25本、永荒田1反余、専太夫抱え屋敷地6畝余、八幡社地1畝余、境内林8反余があります。元禄3年には猿賀組に属し村位は上。宝暦9年郷村位付帳でも村位は上。東西へ猿賀・日沼道、北へ蒲田道、南へ野曽江・杉館道が通ります。明治初年の国誌では、土地は肥沃で冬には藁細工をつくると記します。八幡宮を西部の字宮本に祀っています。享和3年寺社領分限帳では大同2年に坂上田村麻呂が創建し、天正年間に津軽藩祖為信により再建されたとあります。八幡崎村有馬家の系譜によりますと貞享4年検地水帳にみえる神主専太夫は7代目有馬千太夫家知(尾上町文化誌)。猿賀山神宮寺の末庵と伝わる草庵が松枝にあり、宝暦年間の記録が残ります(明堂院)。村では江戸期から独特な獅子踊り(荒駒太刀振・疫ノ神送り)が盛んで現代まで伝承されています。
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八幡崎遺跡…『縄文時代晩期を主体とする低湿地・泥炭層遺跡。昭和36年~同38年にかけて発掘調査が行われ、晩期前半の大同B式~C1式土器、石器、石製品、土製品、籃胎漆器、木製椀、丹漆塗腕輪、丹漆塗櫛ならびに草本を用いたアンペラ(敷物)などが出土している。昭和44年に県史跡の指定を受けている。』
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史跡銀杏盛跡…『ここ八幡宮境内の西端にかつて大きな土盛があり四方に空堀をめぐらしていたという。その頂に銀杏の大木が生えており、誰言うことなく銀杏盛と呼ばれるようになった。古墳との伝承もあるが昭和24年に旧猿賀中学校の敷地となり造成され、現在となっては確認することはできません。』
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社号標「村社八幡宮」(明治28年4月15日※石壇寄附人名省略)。
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二之鳥居。
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御神馬一対(奉納御大禮記念、昭和3年旧6月15日※25日かも)。
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8.5
三之鳥居(御太禮紀念、大正4年11月10日、八幡崎・野曾江両村中)。
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四之鳥居(昭和6年4月15日、小林泰助)。
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石灯籠一対(安政2乙卯年4月25日※自信なし)。
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11.5
五之鳥居。
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石灯籠一対(明和8辛卯年4月15日)。
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13.5
六之鳥居。
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石灯籠一対(明治39年4月15日、八幡﨑・西野曾江両村中)。
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15.5
なお、由緒等については以前の記事も参照ください。
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手水石(明治24年4月15日※発起人名省略)。
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八幡宮社殿新築記念碑…『八幡宮 御祭神 誉田別命 御由緒 延暦十二年坂上田村磨神威天長万民豊楽を祈願して当地に建立 大同二年再建 御神徳 産業政治経済学問の神 戌亥年生れ一代守護神 淡嶋神社 御祭神 少彦名命 御神徳 医薬学問の神 氏子から深く信仰されかねて新築を念願されていた八幡宮社殿造営については社殿建設委員会が委任を受けてこれに当り氏子崇敬会並に関係者各位の多大な御協力により昭和四十一年七月無事八幡宮社殿の新築落成及び淡嶋神社補修工事の竣工をみることができた ここに神恩に感謝し奉り碑を立てゝ記念とする 敬白 尚記念事業として豊後梅百本杉五百本の苗を植樹したことを附記する 昭和四十一年十一月二十三日八幡宮社殿建設委員会』
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狛犬一対(明治26年癸巳4月15日)。
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20.5
社殿。昭和41年7月新築。
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御祭神は誉田別命。祭日旧6月15日。
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拝殿向拝神額(松堂敬書)。
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拝殿内。
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本殿覆屋。
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25.5
上記とかぶりますが、享和3年の寺社領分限帳によりますと、「大同二丁亥年(807)坂上田村麻呂建立、天正年間(1573~1591)津軽為信再建」とあります。貞享4年の検地帳に「堂建有之」とみえ、社殿が建てられたことがわかります。
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同じく上記とかぶりますが、当神社境内及び周辺は重要な縄文晩期前半の遺跡となっており、昭和44年「泥炭層遺跡埋蔵文化財」として、県から指定されています。昭和36年から同38年までの3次にわたる当第一号遺跡(舌状台地先端)の発掘調査により、泥炭層のみならず、広範囲にわたる台地上に遺物を包含し、年代も縄文後期から平安時代までの複合遺跡ですが、主体は縄文晩期。竪穴住居跡も発見されており、古代の集落があった場所と推定(※竪穴住居跡は昭和23年に猿賀中学校建築工事に際し破壊されています)。また、三重と見られる壕址が発見されており、鎌倉・南北朝・室町時代にわたっての地方豪族の対立抗争を繰り返した時代の一基地に比定されることで、八幡宮はその館神として祀られたものとも推定されます(大光寺安東の第一線はこの八幡崎であったともみなされ、地形的にも頷けるものですが、どの時代に誰が居館したかについては手懸りなし)。
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27.5
境内社の淡島神社。
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鳥居額束。
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社殿。昭和41年7月補修工事。この神社の地下に舟の帆柱が埋っているとの記録あり。
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拝殿向拝神額(松堂敬書)。
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拝殿内。御祭神は少彦名神。
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向って右に馬頭観音、左に稲荷様も祀られています。
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33.4
33.8
本殿上部神額「淡嶋大明神」
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こちらの「淡嶋神社に奉る」という句額(明治16年癸未旧3月上巳ノ日)は達筆過ぎるので私には解読不能。
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頭弱くてすいません。
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36.5
奉納絵馬。
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37.1
37.2
37.3
37.4
37.5
37.6
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37.8
「南部田舎舘村大字畑中 佐藤徳」
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38.5
「明治卅七年旧正月鹿内孝之進」
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「明治二十二年旧九月十八日鹿内孝之進」
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「明治十二年四月穀旦樋口伊與・油布喜和」
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こちらの建物は不明。
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中はこのような感じ。
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八幡宮社殿右奥に鎮座する竜神様への石段(昭和59年8月22日献納、福士政雄、工藤金次郎、浅原操寄贈)。
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竜神様。
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御祭神は闇淤加美神。高龗神と同一神(あるいは対の神)。水の神であり、雨乞い・止雨・灌漑・養蚕の守護神。
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竜神様から見た八幡宮社殿。
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