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秋田県秋田市八橋本町。面影橋交差点から草生津川に架かる面影橋を渡ると、まず左手に「宝塔寺七面山参道入口」の案内板があり、そのちょっと先に「宝塔寺石造り五重塔入口」の案内板がありますが、宝塔寺境内なので、宝塔寺参道途中からも歩いて行けます。
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車の場合はまず宝塔寺に向かい、そこから歩いて石造り五重塔を見に行くのがいいと思います。
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参道途中から向かった場合は裏側に出ますが…
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正面入口から向かえば石造仁王尊が出迎えてくれます。
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中々趣のある仁王像です。
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阿形。
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吽形。
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結構風化しております。
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9.5
塚原山の二丈余の石造建造物五重塔(市指定有形文化財)。
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10.5
珍しい花崗岩製の五重の塔です。土崎湊へ来航しようとして嵐にあった北前船が、宝塔寺七面山(七面大明神)の燈明を頼りに入港することができ、そのお礼として大坂から船で運び寄進されたと伝わっています。本来は仏塔であるため、中には多宝如来の石碑が祀られています。
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第一層内部。
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絵巻の中ではひっそりと立つ五重塔。
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案内板「石造り五重塔(秋田市指定文化財(建造物)昭和37年4月9日指定)」より…『全国的にも珍しい石造りの五重塔である。花崗岩製で、相輪の先端までの高さが約9メートル、第一層は1.85メートル四方を測り、均整のとれた精巧な造りである。塔の中に貞享3年(1686)銘のある石碑が安置されているが、延宝6年(1678)の絵図には三重塔として描かれており、建立年代は不明である。建立の由来には諸説があり、一説には土崎湊に来航した西国の商船が暴風雨によって難破しそうになったが、宝塔寺の守護神である七面大明神に祈願して、無事に入港することができ、難を免れたお礼として大阪から船で運ばれてきたと言われている。市制施行90周年記念・昭和54年。平成16年1月再設置秋田市教育委員会』
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愛國婦人會佩一等有功章長谷川ミト子之墓(法諱忠髙院殿妙義日英大姉)。
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狛犬…狛猫一対。
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16.5
裏面碑文…『古今婦人ノ節操貞烈克ク其夫ヲ助ケ家政ヲ理メ子女ヲ訓ヘ世ノ龜鑑タル可キモノ長谷川刀自ノ如キハ稀ナリ刀自諱ハミト子會津藩士北村源太孝度ノ第四女年十八ニシテ同藩士町奉行長谷川勝太郎常隆ニ嫁シ二男ニ女ヲ舉ク戊辰ノ役常隆朱雀隊長トシテ出陣シ復家事ヲ顧ルニ暇アラス若松城将ニ陷ラントスルヤ刀自硝烟彈雨ヲ冒シ四兒ヲ携ヘ難ヲ城外民家ニ避ク既ニシテ常隆負傷ノ報至ル輙チ其地ニ赴キ日夜衣帯ヲ解カス看護最モ勗ム常隆傷重クシテ遂ニ起タス刀自時ニ年三十ナリ後藩主ニ從ヒ斗南ニ遷サル赤貧洗フ力如ク飢寒交至ル刀自毫モ屈セス具ニ艱苦ヲ嘗メ子女ヲ教養ス子女亦克ク其意ヲ體シ飢渇ヲ忍ヒ成立ヲ期ス長男勝太郎(幼名豐彦)學成リテ職ヲ司直ニ奉シ後辯護士ニ轉ス夙ニ令名アリ母ニ侍シテ秋田ニ居住ス次男淸治刀圭ノ術ヲ修メ病院ヲ大阪ニ開キ起死回生ノ譽高ク奉養亦甚タ厚シ長女タツ子ハ永田氏ニ次女カネ子ハ川野氏ニ適キ倶ニ貞順ノ名アリ刀自老テ益慈善ノ心深ク鰥寡孤獨ヲ憫ミ大ニ力ヲ愛國婦人會ニ竭ス今茲病ヲ得ルヤ特ニ一等有功章ヲ受ク三月十七日遂ニ卒ス享年七十有四八橋寳塔寺ニ葬ル遠近訃ヲ聞キ悼惜セサルハ莫ク會葬スルモノ實ニ千餘人頃日親戚故舊等胥謀リ碑ヲ樹テ以テ之ヲ不朽ニ傳ヘントシ來テ余ニ文ヲ嘱ス余適本縣ニ令タリ親シク刀自ノ性行ヲ觀テ感スル所アリ廼チ其畧歴ヲ敍シ以テ與ク明治四十五年三月秋田縣知事從四位勲三等森正隆撰 泰城小林謙吉書倉田鹿嶋』
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長谷川雪子之墓。
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