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東京都中央区銀座3丁目。御祭神は宇迦之御魂神。
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宝珠稲荷神社は元和元年頃、板倉内膳匠重昌の江戸屋敷内に、家内安全・火除の神として祀られたことに始まります。
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板倉重昌(1588-1638)は徳川氏の家臣・板倉勝重の次男として駿河駿府にて誕生。
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慶長10年4月10日、主君徳川家康の参内に伺候し従五位下内膳正に叙任。松平正綱・秋元泰朝とともに徳川家康の近習出頭人と呼ばれました。慶長19年の大坂冬の陣では豊臣方との交渉の任にあたっています。
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寛永14年11月、島原の乱鎮圧の上使となり、嫡子の重矩を伴い、副使の石谷貞清と出陣。動員された西国の諸侯を率いる命を受け下向するも、九州の諸侯は小禄の重昌の指揮に従わず、小身の重昌では統制が取れないことや一揆勢の勢いの強いこと、長期化した際に幕府の権威が揺らぐことや海外からの勢力の参加の恐れなどを鑑みた幕府は老中松平信綱を改めて大将とし、大幅な増援も決定。重昌は功を奪われることに焦慮を覚えたとされます。
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寛永15年1月1日に総攻撃を命じるも、やはり諸軍の連携を失い4000人とも伝わる大損害を出しました。重昌自身は板倉勢を率いて突撃を敢行し、一揆勢における鉄砲の名手三会村金作が放った銃弾を眉間に受け戦死。墓所は島原市の江東寺。
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拝殿扁額(神宮大宮司坊城俊良謹書)。
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社号標(昭和58年12月吉日・368年)。
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手水石。
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狛犬一対。
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拝殿前狐一対。
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宝珠稲荷神社の由来…『宝珠稲荷神社は1615年の頃三河の国深溝の領主板倉内膳匠重昌の江戸屋敷内に家内安全火除の神として祭神せられたるものなり。内膳匠重昌は京都所司代及江戸町奉行として令名髙かりし板倉勝重の次男として1588年、後陽成天皇の御代天正13年の頃の生れである。重昌は、武勇に富み敬神の念厚く大阪冬の陣、島原の乱等に追討軍令として鎭台に務めたるも不幸にして島原に於て年令50才にして戦死したるものなり。時の将軍は家光であり第110代後光明天皇の御代である内膳匠の兄周防の守重宗は下總の国関宿の城主なり。年経て1760年宝暦年間岩見の国津和野の城主亀井家に譲渡せられたるものなり。明治の維新に於ける亀井滋玄の功積は太鼓稲荷と共に有名なり。更に大正7年岡山の岡崎家に売却されたるも爾来本神社は敷地と共に地元木挽町3丁目氏子に寄進せられ、1950年地元氏子有志相計り隣接地を買収し社殿及社務所を建設して今日に至るものなり。1972年5月宗教法人宝珠稲荷神社・東京都中央区銀座三丁目東町会』
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