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山形県飽海郡遊佐町吹浦布倉。
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出羽國一の宮鳥海山大物忌神社吹浦口ノ宮。鳥海山頂に鎮座する本社と、麓の吹浦と蕨岡の2か所の口ノ宮(里宮)の総称として大物忌神社と称します。出羽富士、鳥海富士とも呼ばれる鳥海山を神体山とします。今回紹介するのは吹浦口ノ宮です。
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一ノ鳥居(扁額「正一位大物忌神社・鳥海山出羽國一宮」)、社号標「國幣中社大物忌神社」(海軍大将正三位大勲位功一級伯爵東郷平八郎謹書)
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参道。二ノ鳥居が見えますが社殿はまだ見えません。右見える建物は下拝殿。
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石灯籠一対。
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参道脇の立派な建物。
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二ノ鳥居。
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手水舎。
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手水舎の横の碑(明治9年7月・松田令宜)。
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御池・オノコロ島。
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斎館。
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神庫。
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石灯籠。
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車御祓所。
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社務所。
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下拝殿前石灯籠一対。
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國幣中社大物忌神社・摂社式内月山神社御濱出神事齋場碑(大正15年5月)。
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下拝殿石段。
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下拝殿。
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故郷への報恩…『酒田市楢橋を新田家第17代当主として生を受け、若い頃、日本人の食を見つめ直し、養豚業に着手、平田牧場を創設し、苦心の末、日本一の三元豚を誕生させ、食肉の生産・加工・販売のみならず六次産業の魁たらんと邁進する中、郷土を見つめ、若人の育成の為、大学の設立に奔走、さらに中国ハルピンと酒田を繋ぐ物流ルート「東北シルクロード」の開設や北前船寄港地フォーラムの開催等を通し、日本海沿岸地域の観光を振興、さらに台湾との相互乗り入れによる国際チャーター便の運航を実現することにより、国際交流の促進・観光立国の実現に寄与したとの功績により、平成24年国土交通省の交通文化賞を受賞。傘寿を迎え、今尚、観光振興などに情熱を持ち続けていられるのは、専ら、郷土を守る産土神のお陰と深謝し、雪見灯籠を奉る。記:酒田市名誉市民、株式会社平田牧場会長、東方水上シルクロード貿易促進協議会会長、東北公益文科大学理事長、庄内空港環境整備基金理事長。平成25年3月吉日酒田市楢橋字大柳106番地新田嘉一、冨美子』
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鳥海山大物忌神社吹浦口ノ宮境内(国指定史跡・平成20年3月28日指定)…『鳥海山(標高2,236m)は、その山容の秀麗さから「出羽富士」とも呼ばれる信仰の山で、古くより、人々はこの山そのものを「大物忌神」として崇めてきた。大物忌神の文献上の初出は、「続日本後紀」の承和5年(838)5月11日条「奉授出羽国従五位勲五等大物忌神正五位下」という記述である。朝廷は大物忌神を国家に関わる重要な出来事を予言する神、そして、祭祀を疎かにすると、噴火鳴動する恐るべき神として認識していた。延長5年(927)に、大物忌神は吹浦で並祀される「月山神」とともに「名神大」となり(『延喜式神名帳』)、その神階を「正二位」にまで高めた。現在、鳥海山大物忌神社が鳥海山祭祀の中心的存在となっている。この神社は、鳥海山山頂の「御本殿」、そしてふたつの里宮「蕨岡口ノ宮」・「吹浦口ノ宮」の三社で構成される。とくに吹浦口ノ宮は、古代から鳥海山の神「大物忌神」と月山の神「月山神」を主祭神としてきたことから、「両所宮」と呼ばれてきた。この「両所宮」には、中世の鳥海山信仰の様態を示す貴重なふたつの文書(いずれも国指定重要文化財)が伝わっていることで知られる。「◆一、鎌倉幕府奉行人連署奉書…承久2年(1220)に鎌倉幕府執権北条義時の命に基づき、藤原氏と三善氏が連名で北目地頭新留守氏に送った書状で、庄内地方最古の文書とされる。この書状は、承久元年(1199)に発生した将軍源実朝の暗殺事件の影響で両所宮の社殿の造営作業が遅滞したが、これを速やかに行うよう北目地頭新留守氏に催促するものである。◆二、北畠顕信寄進状…正平13年(1358)に、南朝の重臣北畠顕信が天下再興と奥州の平安を祈願するために、由利郡小石郷乙友村(現在の秋田県由利本荘市)を「出羽國一宮両所大菩薩」に寄進したことを示す文書である。「両所大菩薩」とは、大物忌神の本地仏にあたる薬師如来と、同じく月山神の阿弥陀如来のことを意味する。」中世に入ると、修験者たちは鳥海山山麓周辺に定着して修験集落を形成し、近世期以降、これらは鳥海山参りの拠点(登拝口)として機能するようになる。近世の吹浦には二五坊・三社家・一巫女家が存在し、これらの修験世帯の人々が「両所宮神宮寺講堂」(現在の吹浦口ノ宮)で鳥海山祭祀を行った。彼らが継承してきた修験道の年中行事は明治初期の神仏分離を契機に、「管粥神事」(1月5日)、「大物忌神社例大祭」(5月4・5日)、「月山神社例大祭(御浜出神事・玉酒神事)」(7月14・15日)として神式で執行されるようになり、今日に至っている。本境内の一ノ鳥居と二ノ鳥居をくぐり、参道を進むと右手に拝殿がある。これは桁行七間(約16.8m)梁間五間(約9.4m)の豪壮な社殿である。さらに約百段の石段を登ると「大物忌神社」と「月山神社」の両本殿が並び立っている。5月4日の例大祭宵宮には、この両社の前で「吹浦田楽」(山形県指定無形民俗文化財)の花笠舞が奉納される。宵宮においては花笠を山吹や八重桜の生花で彩るが、5日の本祭りでは鮮やかな赤い造花を装飾に用いる。このように、本境内は、古代から現代に至るまでの鳥海山信仰の歴史・文化を伝える重要な史跡となっている。遊佐町教育委員会』
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境内案内図。
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境内案内板「出羽國一之宮 鳥海山大物忌神社 由緒(略誌)」より…『◆御祭神…大物忌神(倉稲魂命・豊受姫神と同神)、月山神(月読命)。◆御由緒…社伝によれば、第12代景行天皇の御代当国に現れ、神社の創祀は第29代欽明天皇25年(564)の御代と伝えられている。鳥海山は活火山で、噴火などの異変が起こると朝廷から奉幣があり鎮祭が行われた。本殿は山頂に鎮座し、麓に「口ノ宮」と呼ばれる里宮が吹浦と蕨岡の二ケ所に鎮座する。大物忌神社は貞観4年(862)11月官社に列し、延喜式神名帳には名神大社として、吹浦鎮座の月山神社と共に収載されている。後に出羽国一之宮となり、朝野の崇敬を集めた。特に歴代天皇の崇敬篤く、八幡太郎義家の戦勝祈願、北畠顕信の土地寄進、鎌倉幕府や庄内藩主の社殿の造修など時々の武将にも篤く崇敬されてきた。中世、神仏混淆以来、鳥海山大権現として社僧の奉仕するところとなったが、明治3年(1870)神仏分離に際し旧に復して大物忌神社となり、明治4年(1871)5月吹浦口ノ宮が国弊中社に列したが、同13年(1880)7月に山頂本殿を国弊中社に改め、同14年(1881)に吹浦・蕨岡の社殿を口ノ宮と称えて、隔年の官祭執行の制を定めた。昭和30年(1955)に三社を総称して現社号となる。山頂の御本殿は、伊勢の神宮と同じく20年毎に建て替える式年造営の制となっている。現在の御本殿は平成9年(1997)に造営された。平成20年(2008)には、山頂本殿から口ノ宮にいたる広範な境内が、国の史跡に指定された。◆主な祭日(吹浦口ノ宮)…1月5日管粥神事。4月8日祈年祭。5月5日例大祭、吹浦田楽舞奉納。7月1日鳥海山山開祭。7月14日御浜出神事。7月15日摂社月山神社祭。10月1日鳥海山山納祭。11月8・9日新嘗祭。平成23年3月吉日復元NPO法人遊佐鳥海観光協会、鳥海山大物忌神社』
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鳥海山大物忌神社吹浦口ノ宮例大祭通称「吹浦まつり」(パンフレット)より…『5月4日・5日に開催。この地域の豊作と大漁を祈願して行われています。豊作祈願の花笠舞は、手にささらをもっています。ささらは「びっき(蛙)」の鳴き声、さらさらと風に揺れる白い紙は「稲穂」、赤い花は「稲の花」を表しています。両日花笠舞を舞い終わると同時に、舞手は花笠をはずし、舞台から観客へ向けて投げます。幸運が味方すればこの花笠の花を取ることができます。是非、ゲットしてください。』
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末社風神社。御祭神は級長津彦命、級長津姫命。
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石灯籠一対。
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雪見灯籠一対。
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平成25年(2013)4月、当社の責任役員であり平田牧場会長である新田嘉一氏の奉納により、高さ約3.6m、周囲3m、重さ約19t(1基、台座含む)という巨大な雪見灯籠1対が設置されました。この雪見灯籠は中国産の淡いピンク色が特徴的な桜御影石から成ります。
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ということで長くなりましたので『大物忌神社(吹浦口ノ宮)~其之弐』へ続く。
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