秋田県男鹿市北浦。曹洞宗北浦山雲昌寺。
寺前の市道は道幅が狭いため、開花期には車での進入禁止。寺の裏手の道路沿いに約30台の駐車場があり、その他、あじさい期間中は鈴木金栄堂本店近くの賀茂川沿いにも駐車場があります。
入口からあじさいだらけ。
ポスターって多少盛っているものと思っていましたが…
想像していた以上にあじさい寺でした。※写真はすべて未補正・未加工。
期待を裏切らない風景。
一度は行っておくべきです。
山門。
金剛力士像。
扁額「北浦山」(勅賜慈光圓海禅師永平廉芳)

山門横の祠。

見晴らし台付近。
ちなみに訪れたのは6月下旬です。
良縁地蔵。


副住職の古仲宗雲が、境内の片隅に咲いていたたった1株の紫陽花から、株分け、挿し木で1500株以上にまで増やしたそうです。費やした歳月は15年。
「仏様に護られているお寺の花園で花の心を感じ、お参りいただく皆さんの心にも花を咲かせて戴けたら」というのが副住職古仲宗雲さんの願い。
満開の頃には境内が青色に染まることから「雲昌寺ブルー」「極楽青土」と呼ばれます。
独自の育成方法によって一株につく花の数が多いそうです。
夜間にはライトアップも実施されるそうですよ。
御朱印・お守り受付方面。
近くにカフェ(あじさいカフェ)もありました。
御朱印・お守り受付。

なまはげ。
本堂へ。
御本尊釈迦牟尼仏(大阪市の仏師作の墨書有り)。男鹿西国三十三観音霊場第25番札所「眺むれば恵みの海も晴れにけり浦の雨がや煙なくして」。
江戸時代に建立された本堂。
唐破風懸魚等。
扁額。

本堂内。
梵鐘。

龍頭観音菩薩像(山田耕健作)。

龍頭観音菩薩像前には大きな龍の絵がありました。
文殊菩薩像。
その他、本尊釈迦牟尼仏像、達磨大師像を拝むことができます。

北浦は男鹿半島北岸中央部、賀茂川が海に注ぐ所に位置。古くは北ノ浦(秋田風土記)、北野浦(享保郡邑記)とも記します。地名の由来は北岸の入江によります。縄文土器及び土偶残欠を出土した五輪野遺跡があります。戦国期の北浦村は出羽国秋田郡のうち。天正19年正月17日、豊臣秀吉が秋田実季の当知行地を安堵した朱印状写に「北のうら村 たる沢村 さんからた村」631石余とあるのが初見。江戸期、現日枝神社に保存されていた棟札には康永3年当社建立のこと、及び嶋郡地頭安東兼季、神官紀真清等の字句が記されていたといいます(男鹿の春風)。隣接する相川に南北朝期兼季が居城したという染川城があり、複郭状平坦面と土塁を僅かに残します。五輪野に南北朝期の五輪塔が数基現存。絹篩にも梵字不明のものが7基あったことを記します。真山入口に位置しており、また北岸唯一の着船適地にあることから、安東氏も鎌倉末期には定着していたと思われます。江戸期以降、秋田郡小鹿島のうち。秋田藩領。「正保国絵図」では本田当高492石余、「享保黒印高帳」では村高435石余・当高490石余(うち本田451・本田並9・新田30)。「寛政村附帳」では当高357石余(うち蔵分332・給分24)。「天保郷帳」で490石余。戸数は「享保郡邑記」で110軒、「秋田風土記」で150軒。北磯地域の親郷で枝郷はありません。半農半漁で他村のハタハタ引舟が引き揚げた代銭の高から10分の1を徴収するほか、他村のハタハタを納坪に入れてその地代を郷収入とし、更にハタハタ干鰯も生産(絹篩)。漁船朽損の時は滝川安全寺御留山から船材を給与する例があり、寛政9年には川崎船分の元木1本、丸木船分5本が与えられた半面、御城米船が難風に遭った時は引船役を負担することになっていました。寛政20年に唐船番所が置かれ、宮沢浜から湯本海岸までを担当、久保田給人が6か月交代で勤務(絹篩)。天保15年五升備蔵、嘉永4年には郷御備蔵をそれぞれ設置。相川から入道崎方面に延びる街道が通じ宿駅が整備され、絹篩には脇本まで本駄116文・無荷76文・人足58文、湯本へは本駄36文・無荷24文・人足18文とあります。鎮守は山王社(現日枝神社)。他に白山・天神・神明社等があり、社家紀丹後正が山王以下諸社を司ります。曹洞宗北浦山雲昌寺(久保田正洞院末)・臨済宗妙心寺派鳳凰山瑞光寺(久保田応供寺末)・臨済宗妙心寺派九鬼山常在院(久保田大悲寺末)、修験の松雄山竜泉寺(湯本常楽院末)等があります。
本堂前にある手水鉢。綺麗です。
境内にはしあわせ地蔵が点在しております。
むむっ!!

出店もありました。イベント期間限定のババヘラあじさいアイスもあります。

出店もありました。イベント期間限定のババヘラあじさいアイスもあります。
むむっ!!
タピオカタイム。
景色もよかったのでサザエとホタテも頂きました。
赤紅葉とあじさい。
境内7箇所にあるハートの石。



微笑み地蔵。
「人生辛く苦しい時も有りますが微笑みを忘れずに あなたの笑顔が自分を誰かを幸せにするから」

福嶋亀蔵翁…『北浦山雲昌寺は開山本寺佐竹義宣公夫人の菩提寺として正洞院二世、観安喜察大和尚を勧請し開創した四百年の歴史をもつ名刹で山寺と称す。建造物は二百五十年を経て地震その他の災害により損傷著しいものがあった。翁は四十歳にして檀家惣代となり萱ぶき屋根、庫裏の修復など永年にわたって寺の維持管理に努め、特に昭和五十二年第二十八世宗賢和尚の晋山結制式にあたっては東奔西走、自ら率先して多額の浄財を寄進し、御拝、位拝堂の新設ならびに前庭、後庭、参道の整備及び駐車場を設置し、本山永平寺監院老師以下県内百余名の僧侶の参列を得て盛大に挙行、多大の成果をあげるとともに寺の面目を一新する等、大きな功績を残した。平成五年十一月吉日北浦山雲昌寺建立』

あぁ…飽きない…
むむっ!!
ハートのあじさい。
庚申塔。
雲昌寺花御守り。雲昌寺の紫陽花が使われています。他のお守りの中にもあじさいの花びらが1枚入っているそうです。あじさいには魔除け、女性の病気を防ぎ、家族団欒やご縁を結ぶ謂れがあるとのこと。

竹林の小径へ。

観音像合同墓。

竹林もいい雰囲気です。
石灯籠。
竹林と和傘。
以上、あじさい満開の雲昌寺でした。



コメント
コメント一覧 (2)
やっぱりyukiさんのレポは丁寧だねぇ
見てないとこあったわ~(◞‸◟)
>あぁ…飽きない…ほんとそう思う
むむっ(´∀`*)ウフフ
次回の紫陽花の頃はどう変化してるか楽しみだね(^^♪
yuki
が
しました