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入口には鳥居はありませんが案内板があります。上吉田正一位稲荷神社由来(案内板より)…『建立:元治元年(1864年、江戸時代)。祭神:稲倉魂命(穀物の神)・毘沙門天(別名多聞天王、財福の神)。ご利益:満願成就(家内・交通安全、学業成就、入試合格)。祭礼:1月2日、6月第1日曜日』
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案内図。鳥居前まで車で行くことは可能ですが、一応駐車場となっているので徒歩で向かいます。車で行くほど遠くありません。
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赤線の経路で向かいます。
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住所は青森県上北郡六戸町上吉田字長谷。吉田集落の産土様として崇敬を集め、上吉田と下吉田両集落の境界、上吉田集落寄りの丘陵地に鎮座。
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参道。既に鳥居が見えていますね。
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鳥居。
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額束には「稲荷神社」とあります。
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二之鳥居。
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二之鳥居の先左手に社殿があります。
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案内地図では毘沙門天です。
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しかし社殿内を見る限りは蒼前神社に感じます。棟札は見えませんでした。由来記では足仲彦尊(蒼前社)を合祀。御神体の毘沙門天像は稲荷神社の奥の院にあるとしています。
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上吉田稲荷神社に向かいます。
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写真は途中にあった巨木。中々の太さでしたが特に説明はありませんでした。
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上吉田稲荷神社鳥居。
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狐一対(昭和12年旧6月3日)。
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狛犬一対。
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17.5
台座にはそれぞれ「六戸ヘルスセンター掘削三週年記念 関川光」(漆澤清美夫妻還暦記念)、「還暦記念現職 六戸町町議会議員・厚生常任副委員長二期 十和田消防事務組合議員 六戸町農業委員会委員 漆澤清二 大正11年9月1日生 昭和57年9月1日建立」とありました。
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18.5
石灯篭一対(昭和58年8月吉日)。
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狛犬一対(文久3癸亥年)。
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破損している石灯篭二対。
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21.8
社殿。神社庁によりますと御祭神は多聞天・倉稲魂命。例祭日は6月2日。天正10年(1582)、南部藩士吉田孫六に依って創建。
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社殿は切妻平入りの4間4方の拝殿に1間4方の奥の院です。
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拝殿の唐破風懸魚・蟇股・木鼻等。
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拝殿海老虹梁・手鋏。
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奥の院覆屋。奥の院は昭和11年旧6月2日に建立。奥の院の蟇股には鍵を咥えた狐が刻まれています。
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社殿内には神社再建10周年を記念して掲げられた由来記額があり、それによりますと御祭神は正一位稲荷大明神を主神とし、足仲彦尊(蒼前社)、天照皇大御神(神明宮)、誉田別尊(八幡宮)外合祀とあります。由緒としては「此のところに天正12年6月2日旧南部藩御給人吉田孫六により創建されたものである。実は南部藩諸家系図によれば、吉田一族の始祖吉田左近弥次郎は、南部信直公(元亀3年)に仕て吉田村に住し、御使番を勤め、百足指物十二騎の内也。後六拾壱石九斗四升三合を賜ふとある。又、当初神仏混淆の習慣から多聞天を祀り毘沙門堂としていたものが、明治5年の神仏仕分令(廃仏毀釈)により、稲荷神社として届け出、更に蒼前社名合祀されたものであり明治6年村社に列格された。その間旧南部藩御給人吉田弁弥(天保9年)の社地をはじめ、多くの篤志家の寄贈を受けると同時に、吉田村全域の産土神として、住民の厚い崇敬を集め、今日に至っている。」とあります。
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社宝として毘沙門天一体と仏像二体があります。上吉田稲荷神社は元々海傳寺(海伝寺・現六戸町上吉田前田)の北方を鎮護する毘沙門堂として建立。奥の院の御神体は、ガラス戸の木箱の厨子に納められた高さ73cmの立派な木彫毘沙門天立像です。右手には宝棒を携え、左手に宝塔を持っていますが、宝塔の塔身が欠損し、台座のみを持っています。甲冑に身を包んだ御顔は忿怒相で、大きく目を見開いて邪鬼を踏み付けています。また、客仏として、破損した仏像も数体安置。毘沙門天の右には首が落ちてしまった木彫地蔵菩薩立像、左には朽ちてしまった菩薩立像・毘沙門天立像があり、恐らくこれらは廃仏毀釈によるものと思われます。なお、これらの仏像については「六戸町史上巻」(P234-235)に写真(モノクロ)がございます。当神社が独立した毘沙門堂として鎮座していた裏付けとして、海傳寺に当時の毘沙門堂の扁額が保存されています。その扁額には「夛聞天」「文久壬戌五月 匠人上野忠兵衛 塗師掛端英吉 施主八戸松橋長助 甥嘉兵衛 洞斎翁衝山敬書」とあります。
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稲荷神社と蒼前社(※案内地図の毘沙門天)の社殿はこのように境内が細い道で繋がっています(※参道ではありません)。
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正一位上吉田稲荷神社再建竣工記念碑(昭和55年9月吉日)。
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この碑によりますと神社の創立は天正12年6月2日とあり、明治15年5月再建、昭和55年9月に再建されたものが現在の社殿になります。
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社掌勲八等海老名子之吉之碑(昭和16年旧6月2日・上吉田村中建立)。この頌徳碑は教員であった海老名子之吉の徳を偲んで教え子や氏子たちが建立したものです。
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