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青森県上北郡おいらせ町舘越。おいらせ町本村地区。元下田町字舘越。下川原・明土・南下田・館越・中谷地・丈ノ端を含み、下田小学校のある町内会名を「本村」と呼ぶようになったのは、それほど古いことではありません。旧下田町は、藩政時代を通じて下田将監領下田村でした。その中の集落を小村とし、木内々村・下田村・木ノ下村がありましたが、明治22年の町村制施行で新しい下田村が誕生し、3つの小村はそれぞれ中下田・南田・北下田の字に改められました。但し、小村名も町内会名として残したため、下田村は新下田村との混同を避けるために「本村」と改められました。本村には本村鶏舞・本村獅子舞が伝わります。町の無形文化財である本村鶏舞は、天保年間(1835年)の大凶作に豊饒祈願のために五戸町切谷内地方から伝承されたと云われており、盆中には神明宮内にある枡斗権現の御堂に集って準備をし、神明宮神前で踊った後、正福寺の墓地に行き、村の領主であった下田将監の墓前で墓念仏を踊ります。同じく町の無形文化財である本村獅子舞は、江戸時代初期の山伏神楽の流れをくみ、北国の厳しい風土の中で生き続けた先人が生み育てた郷土芸能であり、毎年大晦日に本村神明宮に奉納されます。
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二の鳥居。
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鳥居額束に「舘稲荷大明神」(寛永9年8月下田将監直徳建立)とあります。
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一瞬困惑しますが、神明宮と稲荷社の両方が鎮座しております。その理由は下記の「天然記念物杉の木」の案内板を参照ください。
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石灯篭二対(嘉永元年、平成元年)。
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6.5
おいらせ町立下田小学校グラウンドに隣接。下田小学校周辺は、下田将監家の居館「下田館」があったと伝えられ、今でも堀をめぐらした跡があります。その館神として創建された稲荷神社は、旧村社神明宮と合祀されて本村神明宮となりました。境内には神霊の代りとして植えられたと思われる大杉が、町指定天然記念物になっています。また、近くには下田将監家菩提所の正福寺もあり、本村から下田村が始まったことが納得されます。
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案内板がありました。
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案内板「下田館」より…『居館、「下田館」があったと伝えられています。現在でも堀をめぐらした跡が残っています。「下田町誌」には、下田館についての記述があります。南部氏二十二代政康公の三子南遠江守長義は五戸町の浅水城主となりました。その三男南河内守直政が、南部氏二十六代信直公から六戸通り下田二千百石を賜わり、その嫡男治太夫直勝は館を築き下田氏を称するようになりました。父直政が亡くなったので家督をついで父の居館に帰りました。寛永元年(1624年)弟下田将監直徳を下田館に置いて、やがて三百石を分地することを願い、南部氏二十七代利直公の許しを得ました。これが下田将監家のはじまりで、(※一行消されています)には直徳は盛岡に移り、下田館は廃館になったということです。詳しい創建年代は分かっていないのですが、今のところの慶長年間(1596年から1614年)と推定されています。道路配置や堀跡から中世まで遡る可能性を指摘している研究者もいます。』
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航空写真(平成8年9月28日撮影)。
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古地図(明治時代のもの)。
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堀跡かな?と境内の横の傾斜を覗いたら手水舎が下に見えました。
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かつてはこちらにも参道があったのかな。降りていないので詳細は不明。
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境内にあった征清紀念碑より(※自信ありません)…『明治三十七八年日露戦役従軍明治廿七年九月廿五日充員ノ命下リ青森歩兵第五聯隊ニ召集十月廿八日為征清屯営出員十一月一日廣嶋着仝廿八年一月十一日宇品湊ヨリ出帆営成湾ニ上陸在清今日ニ至ル迄六百二十有余日山東省ニ盛京省ニ台湾ニ或ハ■寒酷暑ノ下ニ暴露シ或ハ飢餓固憊ノ中ニ■■シ或ハ哨烟弾遂ノ間ニ馳驅シ以テカ艱ヲ仝チ死生ヲ共ニシタル者ハ我同隊戦友ナリ其相頼リ相親ムノ情豈啻父子兄弟人々ナランヤ然リ而シテ此方艱死生ヲ共ニシタル結果ハ倏チニシテ威海衛ノ陥落トナリ施ヒテ北洋艦隊ノ全滅台湾全嶋ノ平定トナリ同廿九年五月十五日凱旋 明治三十一年九月十八日建立』
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社殿。
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唐破風懸魚、蟇股、木鼻。蟇股は丸に五三桐の家紋。
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蟇股裏にも二重菱に四つ目菱っぽい家紋。
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拝殿向拝神額「神明宮」。神額自体新しいものですが、「建久3年6月源朝臣仲綱建立」とあります。
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御祭神は大ひるめ貴尊、倉稲魂命。例祭日9月3日。神社庁によりますと『旧南部藩士下田将監寛文九年八月大ひるめ貴尊を勧請建立の神社にして社料一石を賜り嘉永元年十二月社料二石七斗五升一合を賜り崇敬された神社である。昭和二十一年宗教法人となり神社本庁に所属す。昭二十二年法律第五十三号に依り境内地が国有地であったのを昭和二十五年一月三十一日付を以て神社有地に無償譲与される。』とあります。
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狛犬一対(下田町字本村、柏崎文一、下川原秀志。昭和59年旧8月3日)。
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20.5
神明宮社殿横の鳥居。
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枡斗大権現。由緒等は不明です。
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枡斗大権現の蟇股・木鼻。
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境内社。
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棟札は何となく「明」の文字が見える気もしますが読み取れず。
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境内社。
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石祠があります。「秋葉神社」と彫られているようです。棟札は見えず。
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境内社。
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山ノ神の神像でしょうか。判別不能。
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本殿裏に巨木。
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30.5
天然記念物杉の木(町指定文化財・昭和61年11月17日指定)…『町文化財に指定された大杉は神明宮境内の北側に位置し、他の古木と共にそびえ立っている。天正18年(1590年)頃、南治太夫直勝が父直政の新しい采地下田に進出し、下田舘を築いて拠点としたが、その舘神として稲荷神社を勧請したと言われる。その時に神の依代としてこの杉が植えられたものと思われる。後年、この稲荷神社に旧村社神明宮が合祀され、いつの間にか、稲荷様から格式の高い神明宮と言われるようになった。胸高周囲東側3.81メートル、西側3.80メートルとほぼ同じ太さで、樹高は両杉とも27.41メートルで樹齢約400年と推定され歴史的にも重要な文化財であるので「神明宮の杉」として指定した。昭和62年12月町教育委員会』
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こちらは境内から出て、一之鳥居向かいにある「カドのイチイ」です。
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天然記念物「カドのイチイ」(指定文化財・昭和61年11月17日指定)…『この地より西方約百メートルの地に、神明宮があり本村の氏神様として祀られている。この境内付近は、南治太夫直勝が構築したと云われる下田舘の跡地である。後、直勝の弟直徳が下田領を分地された。これが下田家の始まりである。このイチイは後年直徳が、舘を訪れる要人、使者等のために道標として正門前のカドに植えられたものと云われる。樹齢は350年と推定され、胸高周囲3.01メートル、樹高9.85メートルである。平成3年12月町教育委員会』
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