1
秋田県男鹿市船川港椿家ノ後。椿は妙見堂霊山にツバキが一面に生えていたことに由来。
2
能登山の椿は「ツバキ自生北限地帯」と呼ばれ国天然記念物に指定されています。本来椿は暖かい土地に自生する植物ですが、男鹿半島は暖流などの影響で秋田県内では比較的暖かいことが原因とされているようです。
3
3.5
ツバキ自生北限地帯…青森県の「椿山(浅虫夏泊県立自然公園)」は!?
4
案内板「ツバキ自生北限地帯(大正11年10月12日指定・指定面積9,566.82㎡)」より…『ヤブツバキが自生する北限地帯として、青森県の夏泊半島とともに、国の天然記念物に指定されています。能登山とその周辺を中心に自生が確認されており、能登山では308株のヤブツバキが自生しています(平成22-23年調査)。能登山に椿が自生する由来が語られる若い男女の悲しい伝説、「椿」という付近一帯の地名など、男鹿市とツバキの関係はとても深く、地域の方々によって大切に守られている貴重な文化財です。』
5
星辻神社(椿妙見堂)社殿。八百比丘尼。通称妙見様。神仏分離にて社名改称。能登山と呼ばれる小さな丘の上に鎮座。秋田六郡三十三観音霊場26番札所補陀落山長谷寺十一面観音。「岩島や実に打浪の観世音利益のふかき西の海面」。
6
社殿内。
8
棟札には「奉齊星辻大神社殿新築記念・椿家内安全・海上安全大漁満足」(裏面)「昭和44年12月28日執行 棟梁 椿 船木章吉 齊主 金為吉 元山栄太郎 部落代表船木利吉役員一同」、「奉星辻御神璽並神社新築椿部落海上安全・大漁満足祈殿」(裏面)「昭和12年1月27日旧12月15日」などと見えました。
9
御幣の隙間からは女性の神像が見えていました。
10
椿歌…『椿名所を詠みあげまする。東は石山山高く 西は白岩名勝地 南はのか島 北は能登 能登は椿の公園で 春、秋二回の紅椿 そこに生まれし我々は 長生きするのも無理はない。』
11
椿山の伝説(6年内田美樹子)…『私の住んでいる椿地区には、「能登山」といって、椿がたくさん咲いている小さな岩山があります。ここは、椿の自生の北限地帯として知られています。この能登山には大変悲しい恋の物語が伝えられています。怒とう逆まく男鹿半島にも春が来たころ、遠い国から椿の港に、船で行商に来る若者がいました。この若者は、椿に住む純情でかれんな乙女と知り会い、甘く楽しい日々を過ごしました。将来は結婚しようという約束をするまでになりました。やがて、夏も過ぎ、コバルト色の海も色あせ、秋になったころ、若者は、仕事の都合で故郷へ帰らなければならなくなりました。乙女は、この別れをとても悲しみました。「一年たったら、また椿に来るよ。」、「来る時は、きっと椿の油を持ってきて下さい。」、「ああ、いいとも。お互いに、一年のしんぼうだ。」若者は、故郷へ帰って行きました。それから毎日、乙女は、朝夕岩山に登っては沖の方をながめ、若者の帰りを待っていました。でも、若者は、次の春が来ても、その次の春が来ても、帰ってきませんでした。若者への想いがますますつのる乙女は、いつしか、見るかげもなくやせおとろえてしまいました。そして、ある日、若者の名を叫び続けながら、切り立つ断がいから、身を投じてしまいました。一方、仕事に追われていた若者は、三度目の春に、約束の椿の実を持って帰って来ました。しかし、乙女の姿は、もうありませんでした。若者は、せめてもの供養にと、持って来た椿の実を、思い出の丘にまいて、そのみたまをとむらいました。地区の人々は、乙女の心を思いやり、能登山にほこらを建て、この話を語り伝えてきています。若者がまいた椿は、今では、約四百九十本に増えました。』
12
社殿からの眺望。
13
「悲恋伝説の地」とあるように、この能登山の椿には悲しい伝説が伝わっています。案内板より…『その昔、毎年男鹿の椿港から南の国に木材を運んでいた若い船乗りが、村の娘と恋に落ちました。必ず戻ると約束し別れてから3年が過ぎ、若者が死んでしまったと思いこんだ娘は、悲しみのあまり能登山から海に身を投げました。4年目に村に帰ることができた若者は、娘の死をなげき、土産で持ってきたツバキの実を能登山にある娘の墓の周りに植えました。能登山は毎年春に花を咲かせ一面がツバキの花で覆われるようになりました。』…椿山伝説と似ていますね。
14
パンフレットより。
15
15.2
15.4
15.6
15.8
山から下りて裏側(椿郵便局向かい)へ。
16
五輪塔。崩れた五輪塔もありました。
17
両脇の建物もよくわからず。
18
石造の堂宇には慈覚大師が造ったとされる仏像が安置されていたと伝えられますがこれとは恐らく無関係です。
19
標柱も風化しており「天然紀念…」しか読めず。椿に関するものでしょう。
20
向かいの山に見えた祠らしき建物。未確認です。
21
菅江真澄の道(椿・男鹿の秋風)標柱…『文化元年(1804)8月25日、椿の浦に着く。椿中山の神、椿の群生地、白岩のことなどを記す。』
22
椿の白岩(別名まいたけ岩・火山礫凝灰岩)はここより少し南に行った場所にありました。車から見ただけなので写真はありません。
23
椿漁港・関連道完成記念碑(秋田県知事小畑勇二郎書)。
24
台座碑文…『本港は男鹿半島南岸に位置し豊富な水産資源に恵まれた好漁場を控え古来沿岸漁業の根拠地として活用され大正15年船溜場として修築に着手昭和22年漁港として整備昭和36年第二種漁港指定し来防波堤泊地の増設昭和38年第三次漁港整備により二億五千万円の工費を投じ新内港を建設県内外漁船の利用増大し水産物の水揚県下随一を誇るに至るこのすう勢に対応流通対策の強化を計るため漁港関連道の新設見事に完成された かくして本港は永い年代にわたり国県市の支持援助および関係者の努力により着々整備されてきた今般関連道の完成と第三種漁港昇格指定第五次整備計画による大型漁港としての修築着工を記念しこの碑を建立本港の将来の発展拡充を祈念する 昭和48年8月船川港漁業協同組合・椿漁港修築期成同盟会・協賛男鹿市』
25
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ