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八戸市坂牛。坂牛の中ほど。坂牛川の左岸、坂牛地区の丘陵地。坂牛観音の隣。曹洞宗福聚山涼雲寺。名久井村(現南部町)法光寺末寺。
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御本尊釈迦如来。寛保3年「奥州南部糠部三十三観音順礼次第全」には第十三番札所として坂牛観音堂(現坂牛八幡宮)が記されています。
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坂牛村は馬淵川下流右岸の丘陵地。坂牛と書きますがかつては「さごし」という言い方も聞かれていました。現在は田面木から八幡へは水田地帯を通る国道104号線で行きますが、以前は田面木南側丘陵の麓沿いの道が利用されていました。そのため、田面木から坂牛に入り、その後、八幡・櫛引方面に向かう経路を取っていたようです。また、櫛引八幡宮から坂牛西側の丘陵を越えて、沢里を抜ける新井田方面への道が通っていました。櫛引八幡宮に近い坂牛は、神社と一体の地域として存在していたものと考えられ、神社からの交通路としての役割も持っていたようです。元禄10年の記録では櫛引通村の支村として記載。櫛引通村は櫛引、坂牛、樺木、上野の4ヶ村で構成。文久元年3月に当村の福蔵が桶屋鑑札の交付を得ています。明治初年の新撰陸奥国誌では「山渓に添って高い陽の地に住んでいる、田は少し」と記載されています。この記載の中で、支村として堰合と鵜対を記していますが、この二字は現在大字八幡に属しています。
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草創は不詳ですが、開山した遷化年代の慶長11年以前とされます。「御領内寺院来由」によりますと、開山は法光寺八世久室英長大和尚といわれています。開基は不詳。
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更に工藤祐光が当地に居住して坂牛氏の祖となり、同氏が建立したとする言い伝えや、坂牛氏が在村の頃に馬淵川対岸の烏沢凉雲院より隠居を招請して供養のために草庵を建立し後に寺院になったとする古老の言い伝えがあります。
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現在の寺号は宗教法人令をきっかけに昭和17年に改称しており、延享元年の「諸寺院寺号山号帳」によりますと、それ以前は烏沢凉雲院と同じく「凉雲院」であったとされます。法人となる際に糠塚光龍寺が法地開山し、寺号改称への変更手続きを烏沢凉雲院が手伝ったといいます。また、専任の住職がいない期間があり、その時には名久井法光寺と関わりのある烏沢凉雲院や糠塚光龍寺、南部町瑞泉寺の諸寺院が兼帯し、あるいは地域住民が管理していました。
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以前は庵寺のような状態でしたが、本堂が昭和32年に改築されて現在に至ります。御本尊の釈迦如来は一木造りで内部に元禄と墨書きされているもので一度修復されています。また、同じく本堂に安置されている地蔵菩薩は糠塚大慈寺六世奇峯学秀の制作で制作年代は不詳(像高44cm)。
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境内には寛保元年に八戸市十三日町与五兵衛らによって建立された一石一字供養塔等があります。
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おまけ。グランドサンピア八戸。
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八戸市東白山台。
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八戸産とらふぐ特別会席料理コース。
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食前酒はひれ酒。
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念のための食前酒。
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念のための追加酒。
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御献立※季節により内容が変わります。
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以下、酔っぱらいの写真。
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