三戸郡五戸町上市川桜沢。
上市川の人々は桜沢のことを桜沼公園と呼びますが、その桜沼公園に4月22日から鯉のぼりが飾られました(※令和3年)。
桜並木(オオヤマザクラ)もありますが、「正子のチューリッぷ園」からも近いのでチューリップに合わせて(大型連休中に)訪れるのがいいかも知れませんね。ちなみに開催時期は4月下旬から5月上旬までです。
端午の節句に合わせて毎年大小さまざまな鯉のぼりが数多く飾られます。五戸町の有志団体「桜沼を守る会」(通称桜沼守)が地域の子どもたちの健やかな成長を願って掲揚しています。
「桜沼コミュニティーを絆ぐ鯉」とありました。
約200匹あるそうです。
200匹もいるように見えませんが、小さい鯉のぼりもたくさんあるので、たぶんそのくらいはあるのでしょう。
この日は風が強い日でした。
鯉のぼりって凬が強すぎると逆にうまく撮れませんね。
明神平の前の桜沼。
谷地の堤になった所で、農業用水のため池にしており、昭和50年4月27日に発足した桜沼を守る会(中里政広会長)が美化と公園の推進に努めてきました。地元の青年団は大明神の社付近に桜の苗木を植え、毎年5月に地元有志によって桜まつりを開催してきたそうです。
こちらの公園は沼の周りを一周できるのでお散歩にもおすすめ、夏には蓮の花も見られます。
水潤地開作碑(理事長中里由衛書、天満下土地改良区)。
県営上市川地区排水対策特別事業・農地防災事業桜沢ため池整備事業竣工記念(昭和62年5月建立)。
桜沼入口左側の高台。沼の畔ですがGoogleMapだと住所的には上市川明神平。
昭和2年川内村在郷軍人会が付近一帯の土地を借りて公園化を計画し、沢田長七(中区)が子宝に恵まれず村のためにと私財(現在の金額で約500万円)を投じて三十三観音像を建立し、七まがりの遊歩道をつくり参拝するよう(付近の松林まで並列的に)に作りましたが、戦後の開拓の入植で観音像は撤去されて一ヶ所に集められたほか、松坂専太郎在郷軍人会長は村民100人を動員して山の切り払いをしたり、忠魂碑(昭和4年8月31日建立。明治27、28年役・陸軍大将一戸兵衛書)の建設に努め(※隣の丘)、碑は八戸から尻内まで木車に乗せ馬3頭、村民80人が引いて高台へと運び、以来慰霊祭を続けています。その他、高橋米蔵先生顕彰碑(昭和52年11月6日「還暦の空晴れ渡り鷹舞えり」「白紀逝って七年、われら教え子、いろり会句友、同教師等、先生に縁りあるもの師を讃え、この碑を建てる」「故高橋米蔵先生の碑を建てる会」)。
明神さまの神社かと思ったのですが、桜沼の蒼前神社のようです。昭和15年頃に馬の神様として作られて、部落の農耕馬を持っている人々が参拝したそうです。例祭は12月。ちなみにこの地方では花綿という種馬がいて、「君が代」と名付けた軽種馬が出場して活躍したとの話が伝わります。
松の根元に石の箱形になった小さな祠があり、女陰の型になった石が一つ入っていたとのこと。これは道祖神で子種に恵まれない人々の願いがこもった生殖器崇拝の石であり、婦人の祈りの対象神でした。松の根元じゃないけどこの石祠でしょうか。もしかしたら明神様の方かも。訪れた時は土地勘が無くてちょっと場所を勘違いしていたので。
社殿。
社殿内。
桜沢の三十三観音。
桜沼観音菩薩像を中心に能静観音、菜衣観音、瑠璃観音、下二観音など三十三の石仏に仏字が刻まれ、道路前まで並べられています。
桜沼観世音菩薩(昭和47年7月17日)。
委員長松原専太郎、委員中里兼松、原孫一郎、原兵左エ門、沢田誠治、原ふつゑ、中里よし、小山内なよし、中里すゑ、中里はるの、発起人中崎富雄、川村ふじ。寄付者207名。
高台から見た鯉のぼり。
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