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青森県八戸市大字新井田石動木。
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灯籠一対。
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3.5
石碑。
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「奉書冩 天下泰平 五穀豊穣 國家安全 萬民快楽 宝筺印塔陀羅尼経卅三巻 大般若理趣分転読祈祷法經壹百巻 大來妙法蓮華經壹部 石經供養塔」
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石動大明神と呼ばれています。お年越しの祭礼は12月14日。石動信仰は、石川県鹿島町にある石動山にある伊須流技比古神社を本源とする山岳信仰で、山には超自然的な威力が存在するといい、修験、僧徒によって江戸時代に広く信仰されるようになったといいます。
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元々は新井田「風の道トンネル」の出入口付近に鎮座しており、道路造成のために平成2年(1990)2月14日に、寺分生活館隣りの安田家の敷地に遷座。元は二間四方の御堂でしたが現在は間口二間半、奥行三間半。
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内陣の内御堂に直径15cmの懸仏2体が御神体として納められています。内陣のもう一つの内御堂にはお蒼前様が祀られています。また、見えませんでしたが真っ赤な獅子頭(権現様)も安置されているようです。獅子頭は石動大明神の仮の姿とされており、信者が奉納したものです。手前には石動稲荷大神も祀られていました。その他棟札を3枚所蔵。
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境内にある小祠は石動子育八大龍神。
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石動(いするぎ)神社(石動大明神)と石碑群…『この神社は「石動大明神」と呼ばれ内陣の内御堂に直径十五糎の懸仏二躰がご神体として納められている。棟札を三枚所蔵し、最も古い棟札の表には「石動大明神」の裏に「寛文四歳甲辰天九月十五日石動村甚四郎」とあり、お蒼前様も合祀されている。平成2年2月に風の道トンネルの出入り口付近より遷座した。御堂左側の石経供養塔台石には寺分領五村「石動、松山、重地、門前、後庵」と刻まれている。いずれも安田氏によりお祀りされている。道路を挟み左側の釜石家の敷地内には庚申、金比羅神社、金比羅大権現、二十三夜の碑が祀られている。この中には道路の整備等により当地に移動したものもある。平成26年3月吉日』
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石動神社への通路入口に寺分生活館があり、神社への通路を挟んで西側の釜石家の敷地内に4基の石碑があります。
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これらはすべて同じ場所にあったわけではなく、道路整備によって現在地に移されたものもあるそうです。この場所から坂を下っていった松山から重地に向かう杉の根元に立てられたものだと伝えます。なお、今回は紹介しませんが、寺分の重地交差点にある2基の石碑ついて説明します。元々湊街道のセメントの軌道沿いにあったものです。1基は金毘羅大権現碑で右に「安政五午年世話人傳右エ門」、左に「九月有十日」と刻み、もう1基は上部に日輪、中央に「二十三夜」、右に「□嶋神社」、左に「十和田山」と刻んでおり、紀年銘は不明。
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こちらは「牛頭天王」と「秋葉山」の文字が見えますが年号等は不明です。
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庚申塔。上部に日輪・月輪、中央に「庚申」、右に「文政七甲」、左に「申八月三十日」と刻みます。
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種字「ア」(大日如来)の下に右から「三尺坊大士」「金毘羅神社」「石動神社」と並記。刻まれた文字には赤色塗料の痕跡が残ります。右には「明治十七年申十二月當村安全」、左に「施主釜石傳…」(土台がコンクリートで固められており読み取れず)と刻みます。ちなみに文政7年から明治17年まではちょうど60年後になります。
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庚申塔。上部に日輪・月輪、中央に「庚申」、右に「文政七申」、左に「子七月廿八日」と刻み、もう1基の庚申塔とは2日違いです。
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