上の写真はあまり紹介されることのない金華山黄金山神社一の鳥居(鮎川浜黒崎・山鳥渡)です。明神鳥居。ちなみにまだ金華山へ渡っていません。鳥居をくぐり下の写真(金花山街道表浜道路)を下って行くと正一位稲荷神社があり、山鳥の渡しへと至ります。
一ノ鳥居…『この鳥居は、天保14年(1843)9月、當時地元十八成組一浦十浜の大肝入長沼平左衛門が主立となり、藩の費用で稲井の石工勝右衛門に作らせ、造立したものである。高さ5.72メートル、周り2.34メートル、重さ数百貫の稲井石は、十八成組、狐崎組から集められた数百の弁当自弁の人夫によって2日がかりで鮎川浜から運び揚げられた。扁額は山形の三浦権四郎以下8名の発願により、二口峠を経て蒲生より船で運んで奉納された。鳥居は風当たりの強い場所にあるため藩に願って翌15年に、厚さ10センチメートル、高さ58センチメートルの石8枚で根巻きし、さらに厚さ6ミリ、幅5センチメートルの鉄輪で締めつけ補強している。当時の金華山島は女人禁制の為、女性は此処より奉拝して帰ったという。』
「一の鳥居」の古い案内板。は文字がほぼ消えていたのでやや憶測で…『天保14年(1843年)に金華山黄金山神社の「一の鳥居」として建てられた。高さが約5.5米石造りである。金華山は天平の昔から出羽三山、恐山と共に東北の三霊場として知られているが、明治の初期では女人禁制の霊場だったため、女性は、この鳥居から参拝した。二の鳥居、三の鳥居は金華山の島内にある。牡鹿町文化財保護委員会・昭和57年9月』
鳥居付近に馬頭観世音などの石碑がありました。
石巻街道図・金花山道。
金花山道案内図。
案内板より…『金花山道は、石巻から牡鹿半島西岸の萩浜、鮎川浜を経て、突端のこの山鳥に至る道でした。この道は、江戸時代中頃以降、金華山への参詣の道として盛んに利用されましたが、景観美には恵まれていたものの、難所として旅人を悩ませました。金華山へはここから船で渡りました。』
鮎川港(宮城県石巻市鮎川浜南)へ。鮎川からの定期便(臨時運航便もあり)、海上タクシー、また女川町からの便もあります。「ホエールタウンおしか」内にて当日券も買えますが、日によっては混み合うことも予想されますので事前の予約をおすすめします。満席の場合は乗船をお断りすることがあるそうです。定期便は1日1便なので遅刻厳禁です。石巻市の中心市街地から鮎川港までは結構時間がかかるので余裕を持った方がいいです。
食事も済ませてきた方がいいです。ちなみにホエールタウンおしか(観光物産交流施設Cottu・牡鹿半島ビジターセンター・おしかホエールランド)内には食事処(プラザサイト―・黄金寿司・海鮮レストランなぎさ)がありました。鯨料理がメインでした。
捕鯨船「第十六利丸」。陸上にて保存されています。津波によって陸に打ち上げられたわけではなく、東北大震災の津波にて全壊した、かつての「おしかホエールランド」の展示物の一つです。
『昭和33年に大洋漁業株式会社の大型高速捕鯨船の1番船として建造。初代砲手は「日本一の砲手」と言われた「泉井守一」氏。「利丸」の名は、大洋漁業株式会社が社運をかけて臨んだ南氷洋捕鯨(昭和11年)で、南氷洋を前にオーストラリアのフリーマントル港で不慮の最後となった船団長「志野徳助」氏の代わり、船団長を務めた「中部利次郎」氏の名前から命名。◆昭和33年-51年(大洋漁業株式会社)…南氷洋捕鯨(操業18回)、第13次(昭和33-34年)-第30次南氷洋捕鯨(昭和50-51年)。北洋捕鯨(操業13回)、第9次北洋捕鯨(昭和35年)-第24次北洋捕鯨(昭和50年)。サウス・ジョージア島捕鯨(操業1回)、第1次(昭和38-39年)。◆昭和51年-57年(日本共同捕鯨株式会社)…南氷洋2回、南太平洋西部海域の試験操業で活躍。◆昭和57-62年(日本捕鯨株式会社)…鮎川を主とする日本沿岸捕鯨の操業に参加するなど、優秀な捕獲成績を上げる。◆昭和62…鮎川沖での操業を最後に、同年12月、鮎川港を後に塩釜港で展示船として改修。』
東日本大震災の記録(2011・3・11鮎川の被災状況)…『地震発生時刻14時46分。地震規模М9.0、石巻で最大深度6強、津波の浸水範囲は73k㎡と市域沿岸部の広範囲に及んだ。』
このような状況です。
上記の捕鯨船「第十六利丸」も普通に海上にいるように見えるほどです。
この青色のオブジェの上部に設置されているクジラも海面スレスレにいます。
出港時間までのんびりしていてら、急に周囲が賑やかになってきました。
威勢の良い掛け声と共に御神輿が来ました。
鮎川港の近くに熊野神社(鮎川浜黒崎)がありますが、神輿殿もあるので、恐らく熊野神社の御神輿でしょう。
トラックには権現様と鯨。
その下の小さな鳥居の額束に「熊野神社」とありました。
しばらく港にいたので一緒に金華山に渡るのかな?って思ったのですが、しばらく経って戻っていきました。
さて出発です!
同船していた子供たちが餌をあげていたのでウミネコがどこまでも追いかけてきます。餌(かっぱえびせん)は船内で売られていました。子供たちよ!私にもかっぱえびせんを!!
ちなみにウミネコたちは出港と同時に一斉に追いかけてきたので、どうやら餌が貰えることを理解しているようです。
さて、金華山は宮城県石巻市の太平洋上に浮かぶ島です。居住者は黄金山神社の神職のみ。対岸の牡鹿半島との間に内海「金華山瀬戸」があります。島全域が山となっており最高点は445m。山頂には二等三角点(点名「金華山」)が設置されています。平地はほとんどありません。
神社付近を除く大部分が国有地。古くから信仰の島であり、昭和54年には南三陸金華山国定公園として指定がされ、平成27年には三陸復興国立公園へ編入されたため、手つかずの自然が多く残されています。植生はブナ・モミ・マツなどが多く、固有種である金華芝が自生。東日本大震災による地震と津波では、金華山桟橋の港湾施設が甚大な被害を受けており、黄金山神社に至る参道や島南西部の道路が一部崩落しました。
島全体が黄金山神社の神域となっており地場の信仰の対象として有名です。恐山、出羽三山と並ぶ「奥州三霊場」に数えられています。「三年続けてお参りすれば一生お金に困ることはない」という言い伝えがあり、多くの参拝客を集めています。また、神の使いとして保護されている多数の鹿が生息しており、毎年10月第1、第2日曜には鹿の角切りの神事が行われます。初巳大祭は黄金山神社で行われる雄大な行事で、弁財天の神使が蛇(巳)である事に因む祭儀。毎年5月に開催され期間中の日曜日には神輿渡御が行われます。
金華山観光ホテルが見えてきました。
私が知っているかつての状態から更に荒廃が進んでいるようです。
ってことで金華山に到着。桟橋からは無料送迎車で社殿前まで行くことができます。歩いて往復しても余裕かと思いますが、体力には個人差がありますし、参籠・宿泊の方以外は滞在時間も限られているので、ご自身で判断してください。
もしも船を降りて他の方々とは逆方向に足を進める人がいたら、恐らく金華山観光ホテルを目指す廃墟マニアの方でしょうね。
ってことで島に辿り着いたばかりですが、長くなりましたので…
『金華山黄金山神社(石巻市)』へ続く。
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