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大渕ヶ鼻城跡石柱より「津軽を創ったつはもの達の夢の跡」
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台座に大渕ヶ鼻城跡石柱建設賛同者名(平成25年11月)。
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こちらの木には…
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「2008年第1回認定津軽遺産」とありますが、特に説明はありません。
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木の裏には石碑がありました。
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1基は馬頭観世音(昭和4年4月13日)。
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こちらも馬頭観世音。
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発起人と紀年銘。「工藤」が多いですね。
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ってことは、その間にあるこちらの碑も馬頭観世音なのかな。
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大仏公園案内板。
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園内のみどころ…『①JR・弘南鉄道の撮影に最適なスポットです。②園内には約200本のサクラがあり、毎年4月下旬~5月上旬が見頃となっています。③園内には約2500本のあじさいがあり、毎年7月初旬~8月下旬が見頃となっています。』
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石川三十三観音参拝順路図。
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大仏公園の説明…『大仏公園は、もともと石川十三館の一つであり、この地が最高所で本郭の石川館としていた。ここはまた、鎌倉時代から曽我氏、やがて戦国時代には南部氏が津軽地方を支配した際の居城としていたのであるが、この城を「大仏ヶ鼻城」と号していた。元亀2年(1571)城主南部高信は津軽為信に滅ぼされ、その後為信は津軽統一を果たした。後に、慶長16年(1611)弘前城築城に際し、堀越城などと共に大仏ヶ鼻城は廃城とされたのである。明治になって、桜を植栽するなどして地域の人々の憩いの場として利用されてきたが、現在は、石川地区の地区公園となっており、公園面積は36.393㎡である。春の桜、夏のアジサイ、秋の紅葉が美しく、また、ここから見る岩木山の眺望が素晴らしいなど、四季折々、弘前市民の行楽の場となっている。弘前市』
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大仏公園紫陽花の由来
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大渕ヶ鼻城跡については過去の記事も参照ください。
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ちなみに弘前さくらまつりの準まつり体制の頃(4月中旬)に行きました。人は数人いた程度。
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ほぼ満開です。
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天気は良かったのですが岩木山は霞んでいます。
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天皇御在位六十年記念植樹標柱(昭和61年5月節句、大渕ヶ鼻城偲ぶ会建立)。
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桜を見ながら城址散策。
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人がいなくて静かで気持ちいいです。
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どうしても気になってしまう大渕ヶ鼻城内部の全貌。
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眺望。
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遠くに大鰐温泉スキー場。
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鉄道撮影スポットの一つ。
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大仏公園は紫陽花のイメージが強かったけど桜もいいですね。
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ここからは大仏公園の石碑を紹介。
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城主南部高信公主従追悼之碑。
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『元旧制中学校長地方視学官短期大学教授齊藤馨篆額 石川城主南部髙信公は天文二年此処に城を築き津軽郡代として諸城を随え大いに威を揮ったが大浦城主為信の奸計により元亀二年五月四日夜襲され親ら出でゝ防戦したが及ばず妻子を殺し躬は愛馬に跨り本丸から大浦に跳ねて悲壮な最後を遂げた遺骸は城の西南方の丘陵に葬られ上段は公及び妻子下段は討死した四十三士が埋められた処と云う時勢は為信に移り津軽一統の覇業空しく地下に眠る公の墓は世人懼れて訪れるものもなく荒涼とした場となり何時の頃からか煩悩塚と呼ばわれて僅かにその跡をとゞめ松籟ときに落城の恨みを今に傳えているこの現状を見るに忍びて有志相諮り没後三百九十年未だに無明にさ迷う公一族と諸士の靈を慰めるため法要を行い塚の由来を記してこの碑を建てた 昭和三十四年五月五日郷土史家工藤良兼撰 佐ゝ木如松書 大平福治刻』
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忠魂碑(陸軍中将男爵浅田良逸書)。
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従軍者名がびっしり。
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頌徳碑(篆額青森縣知事從四位勲四等鈴木登 大坂定次郎翁仰高碑文)…『翁通稱定次郎大坂氏文化元年九月二十八日大阪ニ生ル為人嚴正敦厚書ヲ能クス年甫メテ十四故アリテ叔父ニ隨ヒ弘前ニ住ス年二十選ハレニ我邑ノ記録係トナリ旁ラ童丱ヲ聚メテ讀書ヲ授タ庸ニ日用彝倫ヲ訓ヘ忠孝仁義ヲ重ンジ農桑樹藝ヲ尚フ教ヲ申ヌルコト六十八年明治二十五年十二月ヲ以テ卒ス享年八十九弟子一千又余各々受ケシ所ヲ躬ニ行ヒ邑里ノ中堅トナリ或ハ又撰ハレテ町村長町村郡縣會ノ議員トナル以テ翁ノ忠誠ヲ辰フ放戲大ナル哉翁ノ徳化ヤ今茲紀元二千六百年ニ方リ弟子前田藏吉工藤三吉發起シ工藤良兼事ヲ幹シ廣ク浄財ニ資リ碑ヲ建テ功徳ヲ勒シ元疆ニ傳ヘントシ文ヲ徴シ仰髙ノ譽ケタル洵ニ善シ即チ行實ヲ軒ケテ撰ス 昭和十五年七月三十日 從五位勲六等福士百衛撰 畠山愛石書』※見え辛かったのでかなり間違えていると思います。
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大佛鼻城址之碑(昭和3年11月10日尾張淺野哲夫撰 長谷川銊書)。
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こちらは写真でどうぞ。分割しているので読みにくいでしょうけど。
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裏面(昭和3年11月10日)。
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大洪水紀念之碑…『東奥日報嘱託工藤良兼題額 昭和十年八月二十二日夜半連日豪雨遂氾濫濁流吞地深一丈三尺家屋流失七床上浸水百四十五田畑悉化礫地亦幸橋崩壊寔未曽有之水災也事達 天聽畏賜御内幣金同月二十五日秩父宮同妃兩殿下親視察災状臆町民可不協力奮勵期復興以酬 聖恩無窮乎哉 昭和十年十一月三十日如松書』※ちゃんと見なかったので自信なし。碑の状態はいいです。
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裏面碑文…『弘化元年七月大鰐流ヨリ二尺増水 石工大湯清作』※弘化元年7月8日から10日まで降り続いた雨により、平川筋の碇ヶ関村湯の沢で山崩れがあり、谷が塞がれて大沼となり、これが決壊して洪水となりました。大鰐、蔵館、小金崎などでは家屋破壊200軒以上、死者49名(※51名もしくは57名とも)。この洪水が大鰐流と呼ばれているものです。その他の河川沿いの村々でも甚大な被害がありました。
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慰霊碑(満州事変支那事変大東亜戦争戦没者氏名、昭和34年8月23日建立)。
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御製「弘前の秋はゆたけしりんごの実 小山田の園をあかくいろどる」内閣総理大臣海部俊樹謹書
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裏面御製碑の意…『この地石川はりんごの優秀な産地なり。昭和37年日本全国第一階農業祭に於て当地冷水地区のりんごが天皇杯を受賞昭和52年天皇77才青森県下行幸の際石川字小山田のりんご園を詠んだもので、昭和天皇と弘前市石川との絡わりを記し、昭和天皇の御聖徳を永久に記念する。平成2年2月25日』
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以下、その他関連記事
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