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青森県三戸郡階上町鳥屋部天摩窪。階上町立階上小学校の南、フォレストピア階上の近くです。
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鬱蒼とした林の中に鎮座しており少々分かりにくい場所かも知れませんが、案内板はあります。
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中世の鳥屋部館跡(鳥屋部修理之介)です。
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鳥屋部村は、元和4年の八戸内儀宛南部利直知行宛行状では西鳥屋部で82石余、東鳥屋部で136石余と見え、盛岡藩領下では根城南部氏の給地であったとみられます。根城南部氏の家臣に鳥屋部氏がいました。天明の飢饉では当村をはじめ、赤保内・正部家(角柄折地内)・金山沢・筋違(金山沢地内)の5か村は壊滅的な打撃を受けており、天明5年の5か村の合計本高413石余は141石余、家数207軒が65軒、人数1,196人が316人、馬数496が112と激減。文化年間には男42名を教授した寺子屋があり、文化元年から弘化3年にかけては男1,842名を教授した大規模な寺子屋が開設されていました。
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鳥居。
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参道を振り返るの図。
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当熊野堂には文武朝時代(697-707年)の公家藤原治視来村伝説を残し、伊勢国から来た公家の一族が奉造した「近海山熊林寺」という山伏達の霊場であったと伝えられています。
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文献等にも「階上町西鳥屋部近海山熊林寺」とあり、西鳥屋部に伊藤姓を名乗る一族が氏神として千余年にわたって奉持してきた熊野神社とあります。なお、この神社の由来書として明和2年(1765)に竹簡(竹のふだ)より書写されたものがあり、「奥州階上の郡南部領鳥屋部村」と記されてあり、文献の写真で目を通してみましたが達筆過ぎて私には全然読めず。
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内陣の中央には熊野三山の御神境が祀られています。更にその脇には熊野三所権現の本地仏である阿弥陀三尊の三体仏が納められており、熊野信仰の霊場であることをあらわしています。また、境内には階上町内最古となる明和4年建造の庚申塔が建てられており、大変古くからこの地域の守り神として人々の信仰を集めていたと考えられています。堂内には梵鐘(「奥羽 以南部八戸領鳥屋部邑熊野三社大権現者高祖勧請地裔林中而崇敬年尚矣掘指建久四年之創造歟雖虫書巻為荒鼠矢却不分黒白雖然代々家孫栄者惟神之加護巴所謂神衣敬増威仁神徳添運信哉今世為拝報慈恩造建半鐘一口永奉祈子々孫々慈子栄矣 銘日 晨夕一声破無明暗 功徳窮響徹黄泉 音通天宮離三途苦 梵聖天子孫水盛 安永三甲午矢秋仲旬 禅林虎山謹鋕 発願納主社主 藤原孫助 施主康兵衛 江戸西村和泉守作」)も納められているようです。
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蟇股には鷹かな…
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猛禽類の何かです。
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そしてこの蛙股の裏側には眠り猫が刻まれています!!
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珍しいですね。眠り猫といえば日光東照宮ですが…ちょっぴり似ています。ちなみに階上町ではつくし森大山津見神社の蟇股においても同様の眠り猫が見られます。
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手水石。梵字が刻まれています。
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境内の石塔と石殿。草木や蔦が邪魔だったので詳しくは見ていません。石塔の方は「金剛青明王 庚申 時明和四丁亥八月 願主孫之尉」と刻む階上町内では最古と考えられる庚申塔です。
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