『横手神明社(横手市)』からの続きです。本殿裏手へ。
石灯籠一対。
紀年銘は明治28年8月。古いからここにひっそりと安置されているのかと思ったのですが、そういうわけでもなさそうですね。
石祠。何かはわからず。
狛犬もいました。
旧狛犬でしょうか。台座は崩れており紀年銘はわからず。
再び社殿前に戻りまして境内神社の紹介。といっても一部社名等はわかりませんでした(下の写真は不明)。ちなみに境内社として木匠神社(聖徳太子)、古峯神社(日本武尊命)、稲荷神社(宇迦御魂大神)」が記されています。
向って左が古峯神社、右が横手澤神社。
古峯神社。
横手澤神社。
金精様。結構な数があります。
三吉神社。
稲荷神社。
狐。
石祠。
こちらもわからず。
千子供養塚。
「武茂匡専藤原綱貞建立」※自信なし
「華の香もまたなつかしき卯月かな」應命葊以栗(明治28年5月建設)。
小祠。何かはわからず。
「秋立やすみきる空と水の色」松庭(明治39年12月吉辰)。
愛染明王(陸軍中将正四位勲二等功四級松井庫之助謹書、横手愛染講、昭和5年)。
小祠。何かはわからず。
愛染明王(慶應4年5月)。
二十三夜塔(明治4年4月吉日)。
天照皇大神。
裏面碑文…『自大正5年、至仝11年。發起人柴田連藏。大正11年9月10日建設。関口石工大山金之助』。
挿花宗選流紀念碑…『挿花宗選流紀念碑 狩野良知撰 挿花之枝風雅之士喜之其流派分為數十家遍傳於四方行於羽後横手者曰千家宗選流宗選稱古樂齋寛延年中所開創也寛政十年光明寺良功始傳之於横手良功稱窺月菴松故文政九年木林亭孚山承其師業天保八年旭月菴松洒継之嘉永元年黙思堂松阿継之松阿早没故松洒再執師業明治八年翫花齋松雲継之十四年待月菴柏甫継之二十七年松月菴宗洒継之現執師業松故始自傳斯道至百有餘年門葉益盛矣今茲門人相謀勒其傳系於石以為紀念云爾 明治三十六年歳在癸夘五月 陸軍中将正三位勲一等子爵三浦梧樓題額 従六位勲六等戸村義得書 石工福田松三郎』
神農(2基)。
庚申塔等々。
大黒天。
三吉神社(明治)。
その他石仏等。
神生神社(神額:皇紀2600年11月19日)。
二十三夜塔(嘉永6年9月)・青面金剛像・三吉神社など。「豊竹中平」という碑もあります。「義太夫節人形浄瑠璃の豊竹座」と関連するのかな。だとすれば下記の「鶴澤」などの碑にも関連が見られます(※文楽義太夫節三味線)…が、なぜここにあるのかまでは調べていません。
邪鬼がいい感じ。
花塚(千家宗選流)。大正10年5月。
長い年月をかけ多くの神社と合祀しており古い石碑も多いです。
故竹夲大鶴齋碑(明治38年5月建設)。
鶴澤大鶴碑。
鶴澤小馬助(紀州和歌山之産)・野澤末廣(山城國伏見之産)紀念碑(明治26年6月建設)。
小祠(昭和11年11月・小川家建立)。
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