1
青森県むつ市大畑町二枚橋。
2
アーチ橋の遺構。
3
大間鉄道跡です。といっても大間線は未完成で終わった路線(幻の大間鉄道)です。
4
大間の海軍の要塞強化工事に伴う資材運搬用として、むつ市の下北駅から大間までを結ぶ鉄道路線として計画。後に空襲で青函連絡船が被害を受けることが想定されたため、津軽海峡で最も幅の狭い大間-戸井間を代替航路として利用することが計画され、これに接続する鉄道路線として建設。
5
昭和12年に工事が開始され、同14年に大畑線として下北-大畑間が開通。大畑以北も工事が進められ路盤の大半が完成し、終点の大間以外では駅も建設されて、僅かな未着工部分を残すのみでしたが、昭和18年に戦時中の資材不足により工事は中断。
6
その後再開されることなく放置されました。ということで、今もなおその遺構はたくさん残されております。
7
戦時中の建設にて資材不足による粗悪なコンクリート(鉄筋が使えず木筋・竹筋・無筋)が使われており、更に長年の放置によってかなり老朽化しており崩落の可能性が高いので気を付けましょう。
8
西宮神社はこのアーチ橋をくぐった先にあります。
9
社号標と鳥居。
10
参道石段と御神木。
11
参道両脇にあった建物。何かはわからず。
12
ボロボロです。
13
こちらは末社。
14
稲荷大明神。元々は個人の家の屋敷神でしたが、時代の変遷とともに社会思想も変わり、明治の神仏統一分離も影響して疎かになるとの考えから村の氏神社の傍に鎮座したものと考えられます。棟札に「奉請稲荷大明神宇一乃廣前御殿、成就收、諸願成就、諸災悉除、願主杉本市●●明治参拾四年五月吉日」の銘があります。狐の石像が一対あり、左足に宝玉を踏みつけています。
15
西宮神社道路修繕寄附人名碑(昭和9年10月18日)。
16
参道脇の境内社。
17
熊野権現堂です。
18
西宮神社。
19
石灯篭一対。
20
20.5
宝暦4年(1754)に書類を焼失したため勧請年月日は不詳。安永3年(1774)再建。文化13年(1816)再建。明治17年(1884)10月再建。明治40年(1907)7月再建。現在の社殿は平成4年に改築されたもの。江戸時代までは蝦夷舘観世音と言われており、観音菩薩の仏像が祀られていましたが、明治の神仏分離令により取り除かれ、書類上は仏体を大安寺に譲り渡したことにして、実際は奥院に見えないように祀られているそうです。新たに兵庫県の西宮神社より蛭子命が二枚橋村の杉本源八によって勧請され、名称を西宮神社に改称。明治6年5月村社。昭和25年1月国有であった境内地を譲り受け、昭和27年8月に宗教法人西宮神社に。明治には一時、小目名から大山祇神社・羽色神社、高橋川から大山祇神社、孫次郎間から稲荷神社、釣屋浜から塩釜神社、木野部から玉垂神社、赤川から八幡宮がそれぞれ合祀されるも、同7年に復社。
21
西宮神社の由来…『【祭神】蛭子命(えびすさま)【例祭】10月18日【由来】宝暦4年(1754)に書類焼失のため勧請の年月は不明であるが、安永3年(1774)、文化13年(1816)、明治17年、明治40年と再建され、現在の社殿は平成5年10月に再々建された。江戸時代までは、「蝦夷舘観世音」と言われて観音菩薩の仏像が祀られていた。明治になり、神仏分離令により仏像が取り除かれ、新たに兵庫県の西宮神社より「蛭子命」が二枚橋の杉本源八によって勧請され、「西宮神社」と改められた。昭和21年3月「神道指令」により国の管理を離れ、昭和25年1月国有であった境内地を譲り受け、昭和27年8月宗教法人「西宮神社」となり、現在にいたっている。「えびす」には、古くは「戎」、「夷」の字があてられ、海のかなたからやって来て幸いをもたらす、漁業の守り神であり、また商工業繁栄の守護神として、福の神としての性格が強まり「恵比寿」、「恵美須」などと書くようになり、住民に広く信仰されている。大畑町教育委員会』
22
手水石(大正9年9月17日)。
23
狛犬一対。
24
24.5
紀年銘は明治40年9月5日かな。
25
手水石。
26
御神木。
27
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ