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山形県鶴岡市馬町宮ノ腰。荘内に六社ある延喜式内の小物忌神社(出羽国飽海郡郡鎮座)で欽明天皇年間創建と伝えます。
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石鳥居(山形県指定有形文化財)…『この鳥居は両部鳥居の形式に属し、全体的に関西文化の影響がみられる。石材は越前産硬砂岩を用い島木、笠木は一石で作られており両柱の銘文から桃山時代末期の慶長16年に、最上氏の家臣下次右エ門尉藤原實彦および美濃守源頼秀によって建てられたものであることがわかる。昭和28年2月13日県指定を受けた。』
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県文化財石鳥居沿革及修復工事の碑…『◆創建:慶長16年7月◆中貫取替修理:明治23年10月◆県文化財指定:昭和28年2月◆解体修復:昭和58年11月※工事請負者、工費等省略』
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参道。
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参道脇に永福寺(神宮寺)がありました。馬町、馬町村の歴史については『永福寺(鶴岡市)』の記事を参照ください。
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石灯籠一対(昭和6年春二代目、加藤嘉八郎、有邦)。
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7.4
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二之鳥居。
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昭和7年春建立。
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石灯籠一対。
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手水舎。
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手水石(日露戦役凱旋紀念)。
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玄武。
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羽州大守武藤家御霊殿。
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「羽州大守武藤家御霊殿」(奉献平成12年1月吉日・朝参り10周年記念)
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「義民公辞世 打太刀(うちたち)のひびき則(すなわち)覚(さ)めにけり実(け)に夢の世の人のたわむれ」
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御霊殿。
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御霊殿内。中央に本殿小祠と鏡が見えました。
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石碑と小祠。何かはわからず。石碑は上部破損しており下部は「…宮大神」。
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獸魂饗饌碑。
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石段参道寄附者名碑(昭和15年5月)。
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参道石段。
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石段途中にめっけ犬像一対。
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めっけ犬伝説…『昔々、椙尾神社の裏山に化け物がおりました。毎年お祭りの日には、美しい娘を人身御供として差し上げなければ田畑を荒らすので、不作に苦しまねばなりませんでした。ある年、大山を通りかかった一人の六部(修験者)がこのことを聞き、お祭りの夜、人が居なくなってから一人椙尾神社の天井に隠れて見ていると、二人の大入道が現れて、舌をなめずりながら「丹波の国のめっけ犬にこのことを聞かせるな」と繰り返しながら娘を二つにし、頭の方を東の坊、足の方を西の坊が持って「また来年の今日お目にかかろう」といいながら暗闇の中に姿を消しました。これを見ていた六部は、丹波の国へ行き「めっけ犬」を探し出し、大山に帰ってきました。お祭りの日、六部は娘の代わり「めっけ犬」をかごに乗せて、いつもの通りお宮に供えました。やがて夜中になって現れた二つの大入道は、かごの戸を開け娘を出そうとすると「めっけ犬」は一声高く吠えて化け物に飛びかかり、とうとう化け物を噛み殺しましたが、自分も血に染まって倒れてしまいました。以来、化け物を退治しためっけ犬は椙尾神社のお前立となり、毎年この伝説をなぞらえて人身御供をかたどった「仮女房」と「犬ひき」を交えた行列が町を練り歩き、犬祭りというようになりました。』
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300年以上も昔から続く6月5日の例大祭「大山犬祭り」では、椙尾神社の裏山に住むムジナ(化け物)をメッケ犬が退治し部落の苦難を救ったのを祝し、箱車にのせたメッケ犬を先頭に行列が町中を練り歩きます。行列は武藤大守、参拝の大名行列、ムジナに捧げた仮女房の巫女舞等、祭儀は古式豊かにそのまま行われ、華やかなからぐり山車も登場し、「庄内三大祭」の一つに数えられています。
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石段途中の石灯籠一対。
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石段を振り返るの図。
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手水舎。
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こちらの石碑は見にくかったのできちんと見ていません。
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狛犬一対(奉献昭和13年5月氏子有志援助)。
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石灯籠一対と一基。
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苔生して古そうな方の紀年銘は安政2年卯正月。
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台座付の六角雪見灯籠一対。
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椙尾神社の御祭神は積羽八重事代主命(主祭神)、天津羽々命、龍田彦大神、龍田姫大神、大物忌大神、月山大神の計6柱。主祭神の事代主命は国土開発、酒造、漁業の神。
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正保年間の火災によって社殿等悉く焼失し創建不詳なるも、欽明天皇3壬戌年(542)創祀と伝え、勧請の神社ではなく古来の神跡とも云われています。当初は積羽八重事代主命と天津羽々命を祀っており、中世に至り農耕が盛んになるにつれて、風の神である瀧田彦神・瀧田姫神(竜田彦大神・竜田姫大神)を勧請。鎌倉時代には地頭武藤出羽守が月山神・大物忌神を勧請し、大山の城山を居城とし尾浦城と称し厚く当社を崇敬し、大祭には自ら奉幣使前駆、後衛美々しく仕え奉ったといいます。
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また、延喜式内社出羽の九座を奉招し、羽州一国の総祭を奉行したといいます。慶長17年6月4日、最上義光より黒印高百七十石五斗二升二合を寄進され、最上家が滅び酒井家入国後も、代々の古例を存続して崇敬参拝され、今尚当社の神事として斎倉祭と称し武藤家の古例を継いで斎行されています。
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明治以前は小物忌椙尾大明神といわれていましたが、明治2年に椙尾神社と改称、同6年郷社に列し、同9年には県社に列格。明治37年、当時全国でも珍しかった神社後援の財団法人椙尾神社保存会を設立。当時の氏子総代が発起人となって氏子全域に呼びかけて設立したもの。
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ちなみに椙尾神社は始め西浜の宮沢の海岸に鎮座していましたが、産業等の発展に伴い現在地に遷座され、その名残りとして毎年6月の大祓には神輿が元の浜に臨幸し祭典を行い、帰りに氏子の有志の方々が松明をもって迎えます(水無月大祓/松明行列)。また、社家は古来六供八太夫といわれ神宮寺六ヶ寺、社家八軒を数えましたが、明治初年の神仏分離によって寺院は一寺を残し、社家は一戸の減少をみただけで現在も続いて奉仕。東南に月山を仰ぎ、東北に鳥海山を眺望、氏子数三千五百戸、旧大山、西郷、大泉、袖浦、湯野浜、宮沢、金沢の広範囲に及んでいます。
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38.5
社殿は応永年中に武藤左京大夫讃岐守武藤政氏により造営されましたが、後に改築され、現存する本殿は萬治4年(1661)の造営で、大正4年に大正天皇御大典記念として大修繕を加えており、拝殿は文政9年(1826)造営のものとなっています。
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神紋は三つ巴で拝殿鬼瓦には三つ巴があり、武藤氏崇敬後は、武藤家家紋の六つ目も使用するようになったそうで、紋章には六つ目。
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拝殿向拝蟇股、木鼻等。
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木鼻、手鋏、海老虹梁等。
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入口は両脇にありに絵が描かれています。
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何やら書かれています。「明治二年己巳五月十一」「明治十七年旧四月十八日参拝」「秋田県羽後国山本郡」などと見えますが状態が悪くて全部は読み取れません。
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拝殿内神額「椙尾大神社」。
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拝殿内。うまく撮れませんでしたが拝殿内両脇にもめっけ犬がいました。
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本殿。
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境内にいくつか建物があります。
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何かはわからず。手水石もありました。
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こちらは「焼却料」と書いているので古神符納所的な場所でしょうか。でも焼却料は500円以上です。
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こちらもわからず。神輿庫かな。
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青面金剛、庚申塔等。
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庚申塔の由来…『中国の道教の教えに人の体内に宿っている三尸の虫が60日目ごとにまわってくる庚申の夜天にのぼってその人の罪過を天帝に告げるため生命をちぢめられるといわれていた。庚申の夜は眠らず言行をつつしみ健康長寿を祈念する信仰が行なわれていたがその後仏教的な信仰が加わって時代と共に変化し悪疫を調伏する青面金剛やその神使である猿が彫られたり道案内にかかわる猿田彦神などを本尊とするようになりました。この庚申塔群の理由は不明であるが椙尾神社例大祭の際宮廻りする道から約二米という極めて近い叢の中に散在していたのが偶然発見されました。この度御神輿様の約百年目の大修繕が完成した慶事に呼応する様に永い眠りから覚めて再建立できたのは不思議な因縁と言えましょう。合掌。柴田豊太郎撰文。大山石材(有)寄贈。平成10年6月5日』
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鈴木重胤顕彰碑…『「椙尾の神のみ山の樹むらなすしけり栄えむよろつ代まても」「天皇の御楯となりてしなむ身の心は平生に楽しく有けり」。鈴木重胤は文化9年(1812)淡路国津名郡仁井村に生れ、若くして京阪の間に遊学して学問に励みました。節操堅くして記憶力抜群古人の及ばざる所をも究めた幕末の偉大な国学者であり又熱烈な敬神家であります。天保14年(1843)平田篤胤を慕い秋田を訪れたが歿後にて墓前に入門の誓約をした。帰途荘内に滞留し大山の大瀧光憲の賢木舎に学塾を設けて教授し後江戸に居を定め、祝詞講義日本書紀伝等天下国家の為に数多くの著書をなし乍も、屢来荘して社中門人の啓発指導にあたられた。又神社の由緒を考証したり、和歌の宗匠としても優れた歌を残しています。文久3年(1863)8月15日ぬれぎぬによる暴徒の凶刃に倒れました。時に52才。其学徳を敬慕する人々諸国に見られます。大正8年11月15日その学徳偉業の功績、天聴に達し贈正五位の恩命に浴しました。荘内の国学、勤皇思想、神道の発展は鈴木重胤に負うところが大きく、門人中、大瀧光憲・大瀧光賢・広瀬厳雄・照井名柄・星川清晃・萩野庸彦の六人は高弟にしてその教えを守り伝えた功労者であります。平成27年9月厳橿会』
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五重塔。
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石鳥居。八幡宮、大山祇神社、八坂神社・疱瘡神社、猿田彦大神、天照皇太神宮といった境内社があるようです。
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社殿。たぶん天照皇太神宮と猿田彦大神。鬱蒼としていたのできちんと見ていません。
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こちらは大山祇神社(大山津見神)。
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赤い鳥居。
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疱瘡神社・八坂神社。
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社殿内。
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八幡宮。
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おまけ。マンホールの蓋が「大山犬まつり」でした。
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