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横山不動尊(登米市)』からの続きです。
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金剛護童子像。不動明王の眷属三十六童子の二十六番目の童子。東北三十六不動尊霊場第二十六番札所(当山)に因むものです。
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石経塚群。祈願や供養のために小石に一字ずつ経文を記したものや経典を地中に埋め石塔を建てました。
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火留め木。その昔、本山の住持を務めた当山の住職が本山の火をこの地に持ち帰るのに使ったと伝わります。
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奥の院参道石灯籠一対。
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奥の院鳥居。
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本宮まで1,635mとありました。
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上の山遊歩道迂回路。
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更に月山・湯殿山・羽黒山を経由して宇南の大銀杏まで行く上の山遊歩道は全長4,000m。いつもの私ならば迷わす行くところですが、2019年の台風19号からまだ日が浅かったためやめておきました。一応受所の方に確認したところ大丈夫そうでしたが。本宮までは30分も歩けば着くようです。なお、本宮及び出羽三山はいずれも小祠です。
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上の山遊歩道案内図より…『◆横山不動尊…当山鎮守大聖不動明王は、古くより「横山のお不動様」の名で知られ、千葉の成田不動尊、新潟の菅谷不動尊と並び日本三大不動尊の一と称され広く信仰を集めています。今をさかのぼる約850年昔、77代後白河天皇の御代、保元(1156-1158)の頃、百済国(現韓国)より本吉郡南三陸町戸倉の水戸辺浜に丈六(一丈六尺)の尊像が着岸し、当横山の中の森山中央に鎮座したのが始まりと伝わっています。中の森山とは、現不動堂後方の山林を指し、当初、三條重信と称する供養の従士がその山頂に一宇を建立し尊像を安置し明王山金剛寺と称する真言の道場としましたが、いつしか衰退し、その跡地は不動尊奥の院と呼ばれています。この地域は当時、「本良庄」と呼ばれ平泉の奥州藤原氏の勢力下にあり不動明王像の製作にも奥州藤原氏がなんらかのかたちで関与した可能性は考えられる。また、当地は金の産地であり、その金は、平泉金色堂にも使われたと言い伝えられています。◆出羽三山…標高230mの上の山山頂付近に、羽黒山、湯殿山、月山の三神社が祀られています。「風土記」によると、この三神社は、その昔、藤原氏の流れをくむ京都の落人で、藤原義尚(よしたか)、義信という人が一族を率いてこの横山の地に落ち着き、この時二人は一族の守護神として出羽三山より分宮し横山の地に祀り、享保13年(1728年)に現在の石の祠に改修されたとあります。』
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天然記念物(■=魚+成)棲息地。「横山のウグイ生息地」昭和10年8月27日指定、昭和32年2月22日追加指定。
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横山不動尊不動堂前にある約400年前に造成された3つの池(御池・心の池・種池)に群生するウグイ(コイ科)は、不動尊の遣いとして古くから保護の対象となっており、参詣者から餌を与えられて愛護されてきました。池が湧水だったことから一年中水温の変化が少く、ウグイにとっては格好の住処として多数生息し、大変貴重なことから昭和10年に国指定天然記念物に指定されました。池は東西30m、南北15m、周囲80m程の楕円形で、水深1-1.5m位で底は砂泥質。池に続く久保川・中川・寺川流域も指定地域になっています。産卵期には雄の腹部が赤くなるのでアカハラとも呼ばれており、繁殖期にこれらの川に出て産卵。
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不動堂。後白河天皇の御宇、百済国より本吉郡志津川町水戸辺浜に仏像が漂流。三条重信と称する従士が霊感を得て横山中ノ森に堂舎を建立して安置。中ノ森は現地より600mの山中で、現在は奥ノ院と称しています。当時は明王山金剛寺と号し真言宗の道場でしたが、永正元年(1504)横山村館主男沢蔵人が禅刹に改め、白魚山大徳寺と呼称するに至りました。大正15年に起きた付近の出火に遭って類焼。像は災禍から免れましたが、多少の傷を負っています。現在の堂は昭和3年に造営され、本林流宝塔造りという希な建築様式を伝えています。木造平屋建、宝形造、銅板葺、正面千鳥破風、桁行4間、張間4間、正面1間軒唐破風向拝付。外壁は真壁造り板張り。棟梁気仙大工花輪喜久蔵、彫刻石井寅正。
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横山不動尊は平安時代後期の保元元年に百済国出身の西條重信が志津川湾水戸辺浜に上陸し、当地を霊地と悟り一宇を設けて創建したのが始まりとされます。御本尊の大聖不動明王は真言宗の開祖で名僧として知られた弘法大師空海が彫刻したと伝わる古仏で、胎内には百済国から渡来した黄金の尊像(像高約5cm)が納められ日本三不動の1つに数えられています。その後、真言宗の明王山金剛寺が別当寺院となっていましたが、永正元年に領主である男沢蔵人が曹洞宗寺院として改宗開山し、寺号を「白魚山大徳寺」に改めています。男沢氏は陸奥国磐井郡高鞍庄男沢村(岩手県一関市花泉町老松字男沢)出身の氏族とされ、戦国時代には葛西氏に従い、永正年間には大森城(臥牛城:石巻市大森字清水)の城主に抜擢されていることから、男沢蔵人もその一族として当地に配されたと考えられます。男沢氏の主家である葛西氏も篤く帰依し、天正18年には葛西晴信が現在地に堂宇を造営。江戸時代に入ると仙台藩主伊達家の祈願所として庇護され、堂宇の造営や寺領の寄進が随時行われ寺運も隆盛。特に4代伊達綱村公の庇護が篤く貞享2年には本堂を造営し、同時に寺領の寄進と宝物が奉納されています。
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公式HP「横山不動尊略縁起」より…『仙台市より北東に80kmに位置する津山町の横山不動尊は日本三不動のひとつに数えられ、その不動堂は津山杉が蒼然と立ち並ぶ山麓に威風堂々たる構えを見せています。堂内には弘法大師の御作といわれる高さ約5mの木造の不動明王が安置され、その胎内には黄金の尊像が納められています。この像は保元の頃(1156-1158年)百済国から渡来したもので、この尊像を横山の中の森山中央に祀ったのが横山不動尊の始まりと伝えられています。明王山金剛寺として約350年間続いたこの寺院も永正元年(1504年)に真言宗から曹洞宗に改宗の際に、白魚山大徳寺と改称され横山不動尊として呼び親しまれてまいりました。境内に立つ青銅五重塔は明和3年(1766年)の建立で、県指定重要文化財であり、毎年9月末になると塔の周辺付近には淡紅色の花を開く秋明菊が咲き乱れ荘厳優美な塔の姿を一層趣のあるものに演出してくれます。境内全域が南三陸金華山国定公園に指定され、お池に生息する天然記念物のウグイもみどころの一つです。大祭は毎年4月と10月の27・28日に行われています。』
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唐破風懸魚、蟇股、木鼻等。
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奥行きのある寅正の彫刻は龍、獅子、鶴亀、干支などが見事。
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不動堂正面の「不動尊」の扁額。昭和15年の紀元2600年記念に、時の総理故近衛文麿公(従二位勲一等公爵)に揮毫して戴いたもの。向拝下に奥の細道三十三霊場第9番の木札もありました。
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参拝巡路案内板「本尊不動明王…気仙大工花輪喜久蔵の手による不動堂内に平安後期作の丈六の木造不動明王像(国重要文化財)をまつる。」※このように参拝巡路各所に案内板がありましたが、写真が多くなったので当記事では文章のみ載せています。
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参拝巡路通りに行くなら次は胎内秘仏(一寸八分の黄金仏)になりますが、12年に1度(酉の年)の御開帳です。御開帳の際には不動堂真裏から拝むことができます。
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ちなみに前回は平成29年。期間は4月27日-5月7日の11日間。よって次回は令和11年(2029年)です。ゴールデンウィークが無い方々には中々厳しい日程ですね。
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御参拝の皆様へ『不動堂内の拝観(無料)は、申し出により開扉いたします。ご祈祷・ご朱印帳・お守り等ご用の方は、左方の受所に申し付け下さい。』という看板がありました。ってことで不動明王座像を拝ませて頂きました。撮影は禁止です。時間内ならばいつでも拝観できるのが有難いことですね。是非現地で拝んでください。
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案内板「重要文化財木造不動明王坐像」(国指定彫第3464号・平成9年6月30日)…『「横山のお不動様」の名で今もひろく信仰を集めるこの尊像は、通常みられる仏像では最大の基準(丈六=一丈六尺。約4.8メートル。坐像はその半分)を用いた巨像であるばかりでなく、製作時期が平安時代にまでさかのぼるという、わが国屈指の不動明王像の雄作である。仏敵を打ち砕くべく忿怒の形相を示すものの、全体に温雅な気分の漂う作風は平安時代後期の特色をよくあらわしており、この尊像が保元年中(西暦1156-1159年)に近くの浜辺に流れ着いたという寺伝を製作時期のひとつの目安とすることは可能である。東北地方の仏像に多いカツラを用材とすることから、この地方で活躍した仏師の製作になるものとみられる。これほどの巨像を破綻なくまとめ上げ、さらには手先に至るまで内部を空洞にして荷重の軽減を図るなど、その技量は賞されよう。この地域は当時、「本良荘」と呼ばれ、平泉(今の岩手県西磐井郡平泉町)にあった奥州藤原氏の勢力が及んでいたと考えられている。この尊像の製作にも奥州藤原氏がなんらかのかたちで関与した可能性は考えられる。この地域の歴史を語る上でも貴重な存在である。また、修理による改変が少なく当初のお姿をよくとどめ、手先、宝剣までがほぼ当時のままであることは大変喜ばしい。平成10年3月設置津山町・津山町教育委員会』
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不動明王御尊像。像高275㎝、重量約300㎏。正中線と側面中央で矧ぎ合わせた4材から彫出したカツラ材寄木造。
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不動堂前石灯籠一対。
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26.5
不動堂前狛犬一対。
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27.2
27.4
27.8
不動堂正面、池に薬師堂があります。薬師橋手前に石灯籠一対。
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薬師橋は透かし橋。私の体重にも耐えてくれました。
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薬師堂。薬師如来は人々の現世的願いをかなえ、「除病安楽」のご利益で知られます。
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杉並木を通り大徳寺方面へ。
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31.5
心の池。心の池の先に大徳寺。
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加茂川とたな池。
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横山不動明王略縁起…『当山鎮守大聖不動明王は、日本三不動の一と称され、丈六の尊像は弘法大師の御作であります。凡そ今を去る約800有余年の昔、77代後白河天皇の御代、保元(1156-1158)の頃百済国より本吉郡志津川町水戸辺浜に着岸、三條重信と称する供護の従士、霊感により当横山中の森山中央に一宇を建立し尊像を安置し給うたと言われます。中の森山とは現境内を去る六百米余の寺有林山上で不動尊奥ノ院と称されます。当時は、明王山金剛寺と称し、真言の道場でありましたが、その後、永正元年(1504)当横山邑館主男沢蔵人殿が改めて禅刹(曹洞宗)とし、白魚山大徳寺と呼称いたしました。天正18年(1590)葛西佐京太夫晴信殿が山麓に本堂を移され、深く霊像を信仰し給うたと言われます。その後、貞享2年(1685)仙台城主伊達綱村公、高堂五間四面に御再営、仏供料として地行高弐貫文並びに宝物等の御寄付があり、代々御墨附を頂戴し、霊験あらたかな不動尊として広くその名が知られ、多数の善男善女により深く信仰されてまいりました。大正15年(1926)2月5日附近の民家より出火、折節風は烈しく、炎は忽ちにして本堂に延焼し、惜しくも全焼しましたが、幸にして御本尊は災禍を免れ昔の姿をとどめております。現在の堂宇は、昭和3年(1928)5月7日完成し、現在に至っていますが、建築流儀は本林流宝塔造りと称されます。なお、縁日は毎月28日、大祭典は春秋の2回、4月及び10月の各28日であります。昭和54年2月30日、当不動尊境内および寺有林全域は、南三陸金華山国定公園の一部に指定されました。』
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横山不動尊伽藍配置図。
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東北自然歩道「新・奥の細道」杉香るもくもく路…『天神山中腹に林業センターがある。そこから山に登ると眼下に北上川や市街地が一望できる。南沢川に沿って進むと、もくもくランドに到着。更に国道に出て、青銅五重塔やうぐい生息地のある横山不動尊へと向かう。そこから県道に入ると伊達小次郎の眠る右年山と菩提寺長谷寺がみえる。右年山を登ると小次郎君の墓、忠臣小原縫殿之助(おばらぬいのすけ)の墓が立っており、参道には多くの吉野桜が咲き乱れて乱世を想い起こさせる。』
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以上、横山不動尊でした。
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