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岩手県二戸市堀野東側。社号標「武内神社」(三船十段)。三船十段(三船久蔵)は日本の柔道家(柔道の神様・久慈市出身)。
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県道274号線沿いに社号標がありますが鳥居はないので少々わかりにくいかも知れません。
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御手洗池。
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御手洗池の清水は今なお冷たく、戦前に市内の造り酒屋で原料水として使われたそうです。
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御手洗池狛犬一対。
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御手洗池石祠・十和田山碑。
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「神泉」句碑(大野伴睦句謹書)。
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武内神社の神泉…『武内神社は仁徳天皇の時代の創建と伝えられ、蝦夷を鎮圧するため武内宿弥を祀っています。武内宿弥は朝廷の三韓討伐で神功皇后の供をした軍人です。その後、坂上田村麻呂が社殿を修繕、時代が下ってからは南部藩が修築しました。昭和8年までの社殿は宝暦13年の建立ですが、境内の老ケヤキが折れて社殿を大破、28年に修復されました。丸柱は、宝暦時代のものです。御手洗池の清水は今なお冷たく、戦前には市内の造り酒屋で原料水として使われました。』
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神社正面。
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不明の石と石灯籠一対(安政2年7月吉日)。
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湯殿山碑。「二千日山籠木食鐡門海」「四十八日」(文化9年正月8日。※四十八日寒行)。
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カツラ(カツラ科)二戸市指定天然記念物…『樹高約17m、幹回り6.3m、枝貼り(東西)約15m。山地の渓谷に良く生える落葉高木で、樹木の中でも特に水分を好む木です。秋に黄色く色づいた葉は山で目立つ存在です。雄雌異株で4月頃になると葉の出る前に、がくも花弁もない花が咲きます。実は長さ1.5cmくらいの円筒形で、爪の形に曲がります。地下水が豊富な地に生えているカツラは幹がすっと伸び、人に爽快な印象を与えます。中には樹高が30数mに達するものもあります。昭和48年4月1日指定』
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かつての堀野村に鎮座。「福岡通御代官所御郡分書上帳」によりますと寺社領13石余(聖寿寺・武内大泉院)が見えます。「邦内郷村志」によりますと神社は武内大明神で、社領3石、別当は羽黒派大泉院。武内社の大明神社は天正19年九戸政実の乱に際して南部信直が戦勝を祈願し、社領3石を与えられたといいます。別当は羽黒派修験大泉坊。
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狛犬一対。
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紀年銘は明治39年9月13日。
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参道石段。
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石段横の巨木。
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武内神社は仁徳18年(330)創建。御祭神は武内宿弥(たけのうちのすくね)公、神宮皇后、応神天皇。御利益は武運長久、長寿。例祭日は9月13日。
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仁徳天皇の時代の創建と伝えられており、蝦夷を鎮圧するために武内宿弥を祀りました。武内宿弥は朝廷の三韓討伐で神功皇后の共をした軍人です。孝元天皇のひ孫とされ、日本最初の大臣ともされます。
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その後、大同2年(807)に坂上田村麻呂が社殿を修繕。時代が下っては南部藩が修築。天正19年には南部宗家南部信直が戦国武将九戸政実の討伐に出陣する際、武運祈願したとも伝え、九戸の乱終結後に自筆の証書を書き所領を寄贈したと伝えられてます。
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昭和8年まで社殿は宝暦13年(1763)建立のものでしたが、境内の老ケヤキが折れて社殿大破。同28年に修復。丸柱は宝暦時代のもの。社殿老朽化が進み、平成30年に255年ぶりの大規模修繕。
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無形民俗文化財の武内神社神楽が伝わります。神楽は嘉保元年に流行した疫病から、神の加護によって救われようと、 笛、太鼓を打ち鳴らし踊りを奉納したのが起源。7頭の獅子頭の内、6頭が二戸市指定有形文化財(彫刻)となっているそうです。
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新しい社殿。
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幣殿・本殿覆屋。
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こちらの碑には何も刻まれていません。恐らく255年ぶりの大規模修繕に係るものでしょう。
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手水石。
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不明の石。
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拝殿前狛犬一対。
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紀年銘は明治23年9月13日。※下の台座の紀年銘は平成9年12月吉日。
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忠魂碑(伯爵南部利淳書)。
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犬魂碑。
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獣魂碑。
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末社。
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石祠群。
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庚申塔・勢至菩薩(文政4年6月吉日)。
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金毘羅大権現供養塔(文化3年6月吉日)。
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金毘羅山大権現(安政4年)。
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青面金剛童子(寛政12庚申年)。
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眺望。
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