岩手県盛岡市名須川町。
御祭神は少名彦名命、四柱大神(稲荷大明神他)。古来、当社境内の三ッ石を三ッ石大明神と仰ぎ、少名彦名命を始め四柱の大神を祀り、増産・医療・縁結びの神として信仰されていましたが、南部27代利直公が盛岡に城を移したとき、南部初代光行公の神霊を三ッ石神社にお祀りしてからは、益々郷土の守護神として住民に篤い信仰を集めました。
古くから神仏習合し本地仏として十一面観音菩薩座像が祀られていましたが、明治の神仏分離令により、十一面観音菩薩座像は東顕寺に移されています。
三ツ石神社拝殿は木造平屋建て、切妻、銅板葺き、平入、桁行3間、張間2間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。
御神木のケヤキ。
推定樹齢260年(平成26年6月4日)。
ケヤキの近くに並ぶ石碑。
石碑。
石鳥居一基奉納碑(昭和12年4月19日)。
三ツ石神社由耒…『「岩手」の呼び名について大和物語によれば、「平城天皇の御代に、みちのくの国から鷹が献上され帝はこれを岩手と名づけた」とある。俗説では「三ツ石と鬼の手形」の物語りが岩手の地名や不耒方(こずかた)の起源や地名であるといわれている。伝説によるば、むかしこの地方に羅刹という鬼が住んでいて、付近の住民をなやまし旅人をおどしていた。そこで人々は三ツ石の神にお祈りをして鬼を捕えてもらい境内にある巨大な三ツ石に縛りつけた。鬼は二度と悪事はしないしまた二度とこの地方にはやってこないことを誓ったので約束のしるしとして三ツ石に手形を押させて逃がしてやり、それからこの手形のあとには苔が生えないといわれている。しかし長い年月がたっているので今ははっきりしません。この岩に手形を押したことが「岩手」の県名の起源だといわれる。また鬼が再び来ないことを誓ったことからこの地方を「不耒方」と呼ぶようになったと伝えられている。鬼の退散を喜んだ住民達は、幾日も幾日も踊り神様に感謝のまごころを捧げた。この踊りが名物「さんさ踊り」の起源だといわれている。「さんさ踊り」の名まえは「さしあげ踊り」、つまりお供え物をして踊るというのが短かくなったとか、三十三も踊りの種類があるので「さんさ」というのだとかいろいろの説がある。三ツ石はもと一個の大きな岩であったが、長い年月の間に三ツに割れて現在の三ツ石になったのである。むかしこの地方「愛宕町、名須川町、三ッ割」を三ッ石野とよんでいた。神社には少名彦尊、稲荷大明神を祀っており増産、医療、縁結びの神さまとして崇敬されている。慶長4年10月24日(1599年)南部二十七代利直公が盛岡に城を移したとき、初代光行公のみたま
を三ツ石神社に迎え東顕寺に52石を寄進されたのである。その文書は今も東顕寺に保存されている。この大石の碑は三ツ石の割れた一部分で土中に埋もれていたものであるが社殿新築にあたりこの場に移し由耒文を挿入したものである。昭和47年8月27日社殿落成日三ッ石神社奉賛会』
手水石。
赤鬼が青鬼を…仲間割れ。
さんさ踊り三ツ石会。
第41回盛岡さんさ踊りポスター。
三ツ石神社例大祭ポスター。
三ツ石は社殿の真横にあります。
高さ約6m、周囲約9mの巨石が2つにそれより小ぶりな石が1つ。
一見すると2つに見えますが、後側にあります。
言い伝えによりますと、この地方には羅刹と呼ばれる鬼が住んでいて、住民や旅人を悩ましたので、住民は三ッ石の神さまにお願いして、この羅刹を捕まえてもらい、三ッ石に縛りつけたところ、羅刹は二度と悪事はしないし、この地方にはやってこないと誓ったので、その約束の印として三ッ石に手形を押させたと伝えられています。住民たちは羅刹を許し逃がすと二度とその姿を見ることは無かったといいます。
羅刹の退散を喜んだ住民たちは、喜び踊って神様に感謝を捧げました。この踊りが盛岡名物の「さんさ踊り」の起源といわれています。
また、坂上田村麻呂が蝦夷の3人の首領を捕まえて、再びこの地へと戻らないことを約束した際の証文としての手形とも伝えます。
いずれにしましても「岩手」の県名はこの三ツ石の伝説から生まれ、鬼がもう来ないと誓ったことから「不来方」と呼ばれるようになったといわれています。この手形の跡には苔がはえないことから、今でも「鬼の手形」として信仰を集めています。
現地に行って鬼の手形探してみてください。結構わかりにくいです。
三ツ石と鬼の手形…『伝説によると昔この地方に羅刹という鬼が住んでいて付近の住民をなやまし旅人をおどしていました。そこで人々は三ツ石の神にお祈りして鬼を捕えてもらい境内にある巨大な三ツ石に縛りつけました。鬼は二度と悪さをしないし、又二度とこの地方にはやってこないことを誓ったので約束のしるしとして三ツ石に手形を押させて逃がしてやりました。この岩に手形を押したことが「岩手」の県名の起源といわれ、又鬼が再びこないことを誓ったのでこの地方を「不来方」と呼ぶようになったと伝えられています。鬼の退散を喜んだ住民達は幾日も幾日も踊り、神さまに感謝のまごころを捧げました。この踊りが「さんさ踊り」の起源といわれています。』
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