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十和田市相坂白上。青森県産業技術センター内水面研究所付近。
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白上はアイヌ語の「しらうい」で「大きな石のあるところ」、また「しらおい」で「魚がたくさんいるところ」という意味に通じるものがあり、これが地名の源と考えられているそうです。
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参道。
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こちらが本来の参道かと思われますが、すぐ横に道路が並行しているため、草木が茂って歩けない状態です。
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二之鳥居。
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6.5
二之鳥居より先は普通に歩けます。
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参道途中に金刀比羅宮が鎮座。また、付近には奥入瀬神社青龍神社も鎮座しておりますが別記事にしております。白上の湧水も別記事にしております。
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白上稲荷神社。
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隣に白上集会所があります。
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創立年月日不詳。御祭神は倉稲魂命。境内地212坪。幣殿1坪、拝殿11坪、本殿自然石。
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神社庁より一部抜粋…『城刕紀伊郡稲荷神社の御分霊を勧請し祭ると古老共の言伝あり、天の岩戸に以たる大石に鎮座す。本殿は自然石にして高さ二十六尺表巾二十二尺周囲百尺中央洞となり奥深十三尺入口四尺中巾十二尺なり。神社の近くに、古墳や天正年代の舘あとがあり大石自然崇拝していたと思われる。古く大石には白上の白藤といわれた老狐が住んで居たとも伝えられている。』
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拝殿内は真っ暗でした。
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拝殿前にあった石。何かは不明。
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拝殿横(向って右)へ。
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白上集会所との間にある小祠。
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稲荷社のようです。
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御神木。
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本殿。
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八ノ太郎の伝説にまつわる巨石です。八ノ太郎が最後の奮戦をした時に、十和田の山からつかんでほうり投げたとも言われる大石で、石には指あとを残しています。
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この巨石が磐座であり、幣殿から続く白上稲荷神社の本殿そのものとなっております。※四間に三間の拝殿、一間に三間の本殿とそれに通ずる幣殿を備えているとの資料もありましたが、上記のように拝殿内が真っ暗だったのでよくわからず。
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拝殿横(向って左)へ。
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拝殿横にあった木箱(賽銭箱・奉納敬神會代表松田馬助)と石。
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本殿。大きいですね。社殿ができる以前は大石の窪みに御幣を立てて、狐像を安置して拝んでいたといいます。戦争中供木の話のもち上がった頃、現在の規模に改めたといわれ、大池神社のカマド分になっていますが祭礼は9月3日。
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上から。
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こちらは社殿近く、白上の湧水寄りにあった石碑と石です。
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石碑には「正道」とあり、その横に「独立回復の年夏 苫米地義三書 七十三翁」(※七十二かも)とあります。※昭和27年4月28日に日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効。その横の碑文…『明治13年12月25日旧藤坂村に誕生。昭和34年6月29日79歳で没。昭和22年運輸大臣。昭和23年内閣官房長官。昭和26年サンフランシスコ講和会議全権委員。昭和31年~32年参議院予算委員長。平成25年4月29日建立。白上稲荷神社、白上町内会、加藤会・湧水会、孫苫米地正康。戸来石材店刻』
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