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青森県八戸市大字河原木八太郎山。八太郎ヶ丘公園。八太郎崎は夏の夜、蛍が飛び交い美しかったので「蛍崎」と呼ばれました。この地は景色がよく、八戸八景の一つ「蛍崎の夜雨」としてうたわれています。
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蓮沼神社へ至る登り口付近に八太郎山の行屋堂があります。
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平成3年11月に新築されたもので、毎月8日講を催しており、祭壇には出羽三山のお札や掛軸が祀られており、重軽石も安置されています。重軽石は願が叶うと軽く持ち上がり、叶わないと重くて持ち上げることができない石のことです。
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こちらは行屋堂の隣の建物です。
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中には小祠が見えましたが何かはわかりませんでした。
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その付近からちょっと下った場所に…
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井戸のような建物もありました。
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水が溜まっています。河原木の太平洋沿岸には数多くの池沼があり、灌漑用と生活用に利用されていました。その池沼を支配する神として崇められてきたのが丘陵西南端部に鎮座する蓮沼神社です。
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石碑には「奉沼之龍神」と刻まれていました。
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蓮沼神社鳥居(写真1枚目)へ戻ります。
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鳥居・階段建設奉納碑(昭和16年6月22日)。
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階段。
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階段上の鳥居。
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社殿正面に出ます。
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社殿の横にも別の参道がありました。
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こちらがもう一つの参道の鳥居です。
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こちらから来るとこのような感じで社殿が見えてきます。
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手水舎。手水舎の向こうに見える鳥居が社殿横の参道です。
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手水石(昭和8年旧8月22日)。
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薬師明神。裏には「二体 昭和58年旧8月8日 木村まつの建之」と刻みます
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こちらは壊れた石灯籠かな。「奉納御神燈」と刻みます。
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紀年銘は天保13寅6月22日。
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破損しているのですべては読み取れません。
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石灯籠一対。こちらは新しいですね。
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狛犬一対。
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小さめの狛犬です。古い狛犬かと思いますが年代はわかりませんでした。
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狛犬一対(昭和14年旧6月22日、消防記念)。
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社殿。
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『水神竜神 十和田信仰』(小館衷三)には、「河原木の八太郎にある蓮沼神社は高龗神その他を祀るが、古い伝えに、八太郎がここの沼の水を呑み干して大蛇となり、十和田湖に移り、さらに追われて八郎潟へおさまったという。現在この蓮沼は工場の一部となって面影をしのぶことはできない。」とあります。
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八の太郎と南祖坊伝説について。昔、新井田川の畔にお藤という美しい娘が住んでいました。そのうち一人の若者と仲良くなり、素性を明かさないその男の子を身ごもってしまいます。男は「八の太郎と名づくべし」といって別れようとしたため、お藤が必死に出自を尋ねると、男は大蛇になって八太郎沼の方へ飛び去ってしまいました。八の太郎が若者となったある日、山へ仕事に入って川で釣り上げた岩魚を串焼きにして食べました。すると猛烈に喉が渇き、川の水を飲むも一向におさまらず、流れを飲み干しそうな勢いで水を飲み続けていると、いつしか大蛇に姿を変えていました。その後、新井田川の水をせき止めて島守盆地を湖にしようとしましたが、母や村人を沈めるにしのびず、遠い地の湖沼を求めて十和田湖へ行きました。そこで龍子姫を恋人に得て、十和田湖の主になったといいます。ところが八の太郎の平和な暮らしは長くは続きませんでした。一方、糠部郡斗賀村に生まれた南祖坊は、7歳の時に七崎村永福寺に弟子入りして学問を修め、13歳の時から諸国修行に出て各地を遍歴しました。ある時、紀州熊野で白髪の老人から鉄の草鞋と錫杖を与えられ、「草鞋の緒が切れ、錫杖が重くなるところをお前の住みかとしろ」といわれ、霊場を探し求めて諸国の神社仏閣、湖沼、山岳を巡りました。郷里に近い十和田湖にやってきた76歳の時、草鞋の緒が切れ、ここを住みかとして切り拓こうと断食祈願を始めます。すると、八の太郎の竜の化身が現れて、「我こそはこの湖の主なるぞ、速やかに立ち去れ」とわめきました。南祖坊は「お前こそ立ち去れ」と戦いに挑み、法力に勝る南祖坊が勝ちました。十和田湖を追われた八の太郎はその後八郎潟の主となり、南祖坊は中湖に入水し、十和田湖の主となりました。この八の太郎と南祖坊伝説は、全国的に残されている水神伝説の一類型であり、あらゆる事象に霊魂の存在を認める日本古来の精霊崇拝を基調にした土俗的水神信仰に、仏教系統の法力が加えられた説話です。その背景には延喜15年の十和田火山の噴火による災害の記憶と、古代国家が進めた天台宗による北東北の民心掌握が関係しているものと思われます。
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奥院には各時代の棟札が納められており、文政4年、文政12年、嘉永6年、明治4年などの銘が読み取れます。
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「伝説」源義経北方コース「ほたる崎」…『悲劇の名将と世にうたわれた源九郎判官義経は兄の頼朝に追われ、文治5年(1189年)4月平泉の高館において31歳の若さで自害したといわれている。短く華麗だったその生涯を想い、後世の人々は「義経はその前年にひそかに平泉を脱出し、北をめざして旅にでた」という伝説を作りあげたのである。世に言う「判官びいき」であろう。当地方に伝えられている伝説によれば、八戸に上陸した義経は高館に住んだが、その高館より東北の洲崎の下通りは5月頃から夜になると蛍火が多く遍満し、これを見た義経が大変面白く思い「ほたる崎」と名づけたといわれている。』
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境内東には子安堂があります。
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子授け・育児に御利益があります。平成8年に蓮沼神社境内に移されたといいます。
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子安堂の隣には神楽舞堂という小祠が建っています。
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夢に蓮沼の観音が現れて、そのお告げによって建てられたものと伝えます。恵比須と大黒天を祀っています。
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その隣には稲荷の石殿があり、陶製の狐像が納められています。
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碑文は読み取れませんでした。
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こちらは庚申塔でしょうね。
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表面が激しく破損しています。
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境内西には金毘羅大権現の碑があります。
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弘化4年(1847)に建立されたものです。
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その横には「奉納蓮沼神社」と刻まれた碑。紀年銘は明治30年かな。自信ありません。奉納者の名前も刻まれています。「工藤仁太郎」かな。同じく自信ありません。なお、下調べでは山神石殿があり、石殿の中に馬の人形が納められているとのことでしたが見逃したかも知れません。
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社殿裏に道があり、その道を少し登ると…
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八太郎ヶ丘公園。八太郎トンネルの真上に位置します。
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公園内にも鳥居がありました。
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社殿。
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社殿内には天照皇大神と見えますが…
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本殿を見る限り稲荷様です。
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正一位稲荷大明神とあります。棟札等は確認しませんでした。
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手前には地蔵尊も。
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