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青森県むつ市大畑町正津川高待。優婆寺の近くです。正津川(上流域:恐山の三途川)沿い。
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かつての正津川村。原始謾筆風土年表によりますと、村内関根橋の開拓は寛文年間に五戸より逃散してきたものが土着したことによるといいます。享保2年の家数は正津川49、関根橋23。邦内郷村志によりますと、家数79(うち関根橋23)・人数249、馬36・牛13、地船2・漁船6、大明神社があります。享保採薬記によりますと、「正津川に昆布を産す、大きなるもの三五丈、幅三四尺あり、土人屋上を葺いて暑雨を除くとぞ」とあります。昆布取舟には1艘につき100本ずつ藩に納入させたといいます。当村沿岸には江戸初期尻屋・大間から漁夫が入会した大漁場がありました。当村からはエトロフ島支配人元締川口寅吉、通詞畑山又四郎が輩出しています。また、2人はエトロフ島開拓者として文化2年に幕府から千石船の新造を許可されています。神社は天保3年勧請の光主神社、慶安2年勧請、天和3年創立の妙見神社があり、寺院には大畑の浄土宗宝国の末寺である優婆寺があります。明治元年弘前藩取締、以後黒羽藩取締、九戸県、八戸県、三戸県、斗南藩、斗南県、弘前県を経て、同4年青森県所属。同11年下北郡所属。明治9年に木造平屋の公立小学校が正津川に開校。同15年頃の生徒数27(男24・女3)。また、同14年借家で関根橋小学開校。この頃の生徒数は男生徒のみ11。物産は粟・そば・昆布・大豆。同22年大畑村の大字となります。
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天和3年9月、氏子勧請にして鎮座。釜臥山山頂に祀っている釜臥山嶽大明神を勧請したもので光主神社の奥の院となっています。釜臥山嶽大明神は田名部の修験大覚院が代々別当をつとめており、大湊の兵主神社と正津川の光主神社は共に釜臥山下居大明神と号しています。明治維新前までは釜臥山下居光主大明神と称え、明治2年7月に社名を光主神社に改号。拝殿内の扁額は「正一位釜臥山下居光主大明神」でした。
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最初の御神体は釈迦の像でしたが、明治の神仏分離令により取り外されました。明治6年5月村社、明治40年4月19日神饌幣帛料供進指定神社。昭和21年3月宗教法人光主神社。現在でも大覚院熊野神社の神職が祭事を司っています。
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神幸祭には神楽の先導、御輿、山車が町内を巡り、又、海上安全、農漁祈願の海上運行をして大変賑います。昔から光主神社の例祭(7月15日)の頃になると、前沖の夏イカが多く獲れ出すので、漁師の人たちの1つの目安にもなっており、大漁祈願や海上安全など漁業の人たちの信仰が篤い神社となっています。
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光主神社の由来…『【祭神】蛭児命(伊邪那岐命と伊邪那美命の御子神)【例祭】7月19日、20日【由来】天和3年(1683)9月、釜臥山の山頂に祀っている、釜臥山嶽大明神を勧請し、明治の神仏分離令により、「光主神社」と改められた。釜臥山嶽大明神は、光主神社の奥の院である。光主神社と大湊の兵主神社は、釜臥山下居大明神ともいわれ、田名部大覚院熊野神社が神職をつとめ、祭事もつかさどっている。両社は、釜臥山の登山口であり、参拝者はここでも禊をしたという。拝殿の欄間にある昇龍の彫刻は、昔、大畑で進水した松前航路の弁財船の船首にあったもの、弁財船の処女航海は、あいにくの大時化に見舞われ、いまにも船が大波にのまれそうになったとき船首から巨龍が翔け昇り、海をしずめ無事航海できたという故事から、船頭畠山松之助が船の守り神として、神社に奉納したものと言われている。例祭は、前沖の夏イカが豊漁になる頃に行なわれ、神楽、神輿、山車が行列をつくり町内を練り歩き、また、金比羅祭には大漁祈願と海上安全を齊行している。むつ市教育委員会』
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拝殿の蟇股・木鼻。
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由緒にある弁財船の船首にあったもの。
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手水舎。
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拝殿前には石灯篭二対と狛犬二対。
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石灯籠。
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狛犬。
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狛犬(大正元年12月・氣仙氏奉納)。
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石灯籠。
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東宮殿下東北行啓紀念樹碑。白い竜が立て掛けられていました。
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倉庫も含めて境内には建物がいくつかあります。境内社として大々式稲荷神社と、同じく稲荷神社があるようです。
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大々式稲荷神社は通称稲荷様の家と云われている気仙常吉氏の先祖より受け継がれた神様。
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古老の話によりますと、江戸時代の末期、三代前の人が西通り川内戸沢より正津川村に移住してきた時に護持され、朝晩太鼓を叩いて御祈祷していたといいます。祈祷師か占術者であったと考えられます。後に村の産土神である当神社に気仙家が遷座したと考えられます。大々式正一位稲荷大神の扁額があるそうですが外からはわからず。
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大きな魚がいます。その上にも宝珠紋と可愛い魚が二匹。
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手水石と崩壊した灯篭。
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同じく境内社の稲荷神社は国田健太郎家が代々護持してきた家の守護神。正津川村では唯一の専業農家であり、五穀豊穣・家内安全・子孫繁栄を願い信仰してきたもの。主人生前中に産土神社境内に遷座。
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