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山形県酒田市二番町。本間家旧本邸のすぐ近くです。
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保存樹のケヤキと社号標「薬師神社」「桶屋町鎮座」。
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3.5
御祭神は大己貴命(大国主命)、少彦名命(薬師如来)。
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境内案内板より。藥師神社由来…『桶屋町鎮座薬師神社本尊は髙倉院の御宇治承年中又は養和年中に建久から建保年間(1200年)頃出羽國大和の荘田河(田川)郡の由良村の沖に漂い光の発するを見た漁師達は占師に頼みしところ霊仏乃尊像が海に漂い給へる為とて近郷の漁師集いて舟を出し網をおろし海底を尋ねるに海藻をまといたる怪しき箱を得たり。箱の中こそ占文の如く中尊薬師如来左右には日光月光の菩薩誠とに霊妙不測の尊像なり。當時泉流寺の尼公とてやんごとなき禅尼袖の浦に住庵居る処に彼の霊仏を送る。尼公これを由良の薬師と崇め奉り之を信仰した。その後建保5年夏(1217)4月15日尼公は遺言し寂し給う霊仏の遺言どおり髙野の浜の満福寺に移し湊の薬師と崇められた。秋田町西南に満福寺を引移しと同時に薬師如来も別殿に安置し奉る。以後40余年後の慶長年中(1596~1614)時の僧故ありて無量院専海寺は荒れはてるを嘆き悟真山の住僧自らこの三尊を抱き暫く善導寺に安置せり。天文年中(1532~1549)当院の始祖無量院専海より二世千手院賢清右の尊像を深く念じ善導寺より乞うけ今の地に薬師堂一宇を建立し安置せり。三世宝鏡院清安法師(万治3年1月16日寂)が羽黒山より月光山薬師王寺なる号を授け明治9年の神仏混淆令以後薬師神社と改めて現在に至るが桶屋町の産土神として鎮座する薬師神社はご承知のように昭和51年酒田大火の災禍から幸いにも免れいささかのいたみもなく残り町内の安泰と繁栄をお守護して下さる崇髙なお社であります。昭和60年仲秋吉日桶屋町氏子一同』・薬師の森と其の由来…『天正年間(1573~91年)上杉氏と最上氏との戦乱時には現上ノ山付近に柵が設けられ戦場となる(江戸時代には亀城第一の木戸たり)慶長年間(1614年)頃に薬師堂、無量院(宝鏡院)が亀ケ崎城主の祈祷を命ぜられ御免地賜わる。寛永20年(1643年)無量院専海より二世千手院賢清が別当となり善導寺より現地に薬師堂を建立、比後三世宝鏡院清安法師、羽黒山より山号を受け、月光山薬師王寺となる。亦文献によれば出羽三山神社、参詣者の宿坊が有った。明治に入り薬師神社となり桶屋町の神社として信仰を集め昭和10年桶屋町、大工町で山王祭り下の神宿で高橋喜吉宅、其の時に神社の欅に鯉の滝登りを飾り数万人の目を楽しませた。昭和51年晩秋、酒田大火の時、欅の空洞に飛火が入り20メートル位いの火柱が立ち懸命な消火により鎮火、幸に欅も残り神社や近くの民家も類焼から救われ、この欅の巨木は桶屋町のシンボルとして見守り、又上部幹よりは今尚若木の枝が繁り、時代を越えた御神木として欅の保存に氏子一同万全を期して御守りして行き度いものです。平成8年夏 薬師神社氏子一同』
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境内案内板より。薬師神社行事…『1月1日初詣、1月14日道祖神祭、4月8日春祭、9月8日秋の大祭、12月7日お年夜。神は人の敬により威を増し、人は神の徳により運を添う。薬師神社のご本尊は薬師如耒様で十二の誓願を発しあらゆる病を治し健康を守って下さる如耒様で右手は掌を外に向けて指を開き左手には霊薬の収まった薬壷を持っていらっしゃいます。平成4年7月吉日、奉納高橋孝治郎、仝とみ子』
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手水石。
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社殿。
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拝殿向拝。
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拝殿内。真っ暗ですが。
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庚申塔。
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