1
山形県酒田市本町1丁目。本間家旧本邸の向かい。
2
本間家旧本邸別館お店(おたな)。
3
こちらは館内撮影OKです。
4
4.4
4.8
本間家は初代原光が「新潟屋」というお店を開業したことから始まりました。
5
5.4
5.8
別館「お店」は本間家が代々商いを営んだ場所で、現在は商人としての本間家を紹介しており、実際に使われていた帳場や度量衡、行灯等の照明具、看板などが展示されています。
6
6.5
当時多かった火事に備えて本間家が用意した消火道具も展示さており、本間家が地域とともに歩んでいたことをうかがい知ることができます。
7
7.5
本間家旧本邸と別館「御店」(おたな)…『本間家旧本邸は、三代光丘が幕府の巡見使宿舎として明和五年(1768)に新築し、庄内藩酒井家に献上、その後拝領し、本邸として使用してきました。旗本二千石の格式をもつ長屋門・書院造りの武家屋敷と商家造りが一体となっている珍しい建物です。本間家では昭和20年(1945)の春まで商家造りに住まいし、昭和24年(1949)から、昭和51年まで、公民館としても使用されてきました。本間家は商人でありながら、三代光丘の頃に、庄内藩酒井家の信望を頂き、財政支援の功績などから、武士の資格を許されました。その後も幕府御米置場の御普請、鶴ヶ丘城・亀ヶ崎城の修理を勤め、五百石を給されています。そこで本間家旧本邸では武家として。別館では商人としての本間家を紹介し、両館を通して酒田の町の発展と共に歩んできた足跡をご覧頂きます。身分社会の頃、三代光丘は武士として「本間四郎三郎光丘」、商人として「庄五郎」。四代光道は商人として「庄七郎」と名前を区別していました。別館は、元禄2年(1689)初代原光が本町一丁目に、「新潟屋」を開業して以来、「御店」として繁栄を見守り続けてきた建物です。取り扱い商品は、米、大豆、塩、茶、古手(衣料品)、瀬戸物、薬、紙等の、生活必需品全般にわたっています。寛政元年(1789)には、津軽に「御店」を出店し、事業も拡大していきます。その頃になると、北前船は一年一往復で千両の荷物を積んできたと言われるくらい、酒田湊は栄えてきました。文化5年(1808)四代光道の時代には、船場町に新問屋を設け、本間船を製造し、やがて海船六隻の船主となり、回船問屋として蝦夷地との交易を活発に行います。本間家は明治維新まで海商としても活躍することとなります。文化10年(1813)失業対策事業で築造された清遠閣・鶴舞園(現・(財)本間美術館)にも本間船(北前船)で運ばれてきた諸国の綿積石が使われています。これも海商の名残です。天保4年(1833)の大凶作にあたり、天保5年(1834)五代光睴は、米穀買付のため手持ちの船を、大阪、加賀、九州肥前に走らせ、救済にあたっています。明治14年(1881)六代光美の時代では、船場町で倉庫業を始め、米券を発行しています。この倉庫業の手法が後、山居倉庫などに受け継がれ、庄内米の名声を高めた事にも生かされます。この様に本間家では、西浜砂防林の植林事業・凶作の頃の備荒貯蓄米・救済施粥所の設置・酒田火防用金の積立・冬貸し助力銭等を行い、商人として活躍しながら、その利を地域に還元し、この庄内地方の発展と共に歩みを進めています。』
8
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ