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山形県酒田市二番町。本間家旧本邸。本間家三代光丘が幕府の巡見使一行を迎えるための宿舎として、明和5年(1768)に新築し、庄内藩主酒井家に献上した二千石格式の長屋門構えの武家屋敷。巡見使一行が江戸に戻ると屋敷を酒井家から拝領し、商家造りの方で昭和20年(1945)の春まで住んでいました。桟瓦葺平屋書院造りで、武家造りと商家造りが一体となっている建築様式は全国的にも珍しいもの。
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旧堀端…『慶長4年(1599)東禅寺城主志田義秀は関ヶ原戦に備えて鵜渡川原と旧内町組の一部を堀と土塁で囲んだ。その内、鍛冶町から本間家本邸東側にかけての所を特に堀端と称し大欅が並び美観を呈していたが、明治2年埋立てられた。平成20年12月酒田市教育委員会』
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二千石格式の長屋門。特別な時や賓客の来訪時にのみ使用されました。
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漆喰の白壁とそれに続く薬医門。屋敷東側の門。日常、家族はこちらの門から出入りし、他にも様々な用途・場面で使用されました。本間家は商人であるため、普段は「くぐり戸」だけを使用し、身分をはっきり区別して生活。
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薬医門(内側)。
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6.5
七社ノ宮。三代本間光丘が天下泰平五穀豊穣酒田繁栄のために、明治3年(1766)、土蔵の中に七つの神々を勧請・合祀し、代々拝礼を行ってきました。伊勢内宮・外宮、奈良春日大社、北野天満宮、摂津住吉大社、紀伊熊野大社、男山石清水八幡宮、駿河浅間神社、更に鳥海山大物忌神社、日光東照宮が祀られています。
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庭。
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8.5
船体を安定させる綿積石(海神石)として諸国から北前船で運んできた銘石を配しています。上方に米等を運んだ帰りは積み荷が軽くなり船が不安定になるため、交易した先の港でその土地の石を積んで船を安定させました。北海道の神居古潭石・佐渡の赤玉石・伊予の青石、灯篭には岡山の万成石など全国の石が配されており、庭の一角の石だけでも家が1軒建つほど高価なものとのこと。
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伏龍の松。樹齢400年以上の赤松で、本間家では「門かぶりの松」とも呼んでいます。「奢り高ぶらず、常に低姿勢でいなさい」という本間家の精神を表しているそうです。
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本間家旧本邸(山形県指定有形文化財)…『本間家三代光丘が明和五年(1768)に庄内藩主酒井家のために幕府の巡見使宿舎として建造し、献上した建物である。旗本二千石の格式を有する長屋門構えの武家屋敷で、その奥が商家造りとなっている。その後拝領し、本邸として使用、戦後には公民館としても利用されていた。武家屋敷と商家造りが一体となっているのは極めて珍しい。県文化財に指定されている。酒田市・(社)酒田観光物産協会』
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本間家旧本邸附長屋門(山形県指定文化財)…『江戸時代中期以降、大地主として全国に知られた本間家の邸宅である。本家三代、光丘翁が庄内藩主のために幕府の巡見使宿舎として、明和5年(1768)建築し献上した。その後、本間家の本宅として昭和20年、春まで居住していた。正玄関は、藩主、県知事、菩提寺の住職のみ使用し、一般には使用しなかった。母屋桁行33.6m・梁行16.5m、平家建、書院造り、桟瓦葺で、旗本二千石の格式をもつ、長屋門構えの武家屋敷である。』
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表玄関の上り口にある式台には欅、板戸には神代杉を使用。
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中は撮影禁止です。是非現地にてお楽しみください。もしくはブラタモリ(「山形・酒田はなぜ日本の中心!?」)を見る!(※展示・公開されているものは期間で異なるようです。)
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ってことで…以下、パンフレットより一部抜粋。
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酒田風景図・本間家旧本邸付近(江戸時代文久年間)
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酒田十景に描かれた本町通りの図から、本間家旧本邸の古の姿をうかがえる。版木は本間美術館蔵。
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本間光丘像公巖賛。本間家三代光丘の肖像で、著者は不明であるが、酒田浄福寺第十四世住職公巖が光丘の業績を記した賛があります。公巖は、20歳のとき京都に出て仏典を研究し、のちに儒学の大家で文人画家の皆川淇園(1734~1807)に入門するなど、詩文章および書に秀でた学僧です。【訳】真心を以て仏を拝み、誠意を以て神を崇む。神仏の助けにより、新しい業績を成し遂げた。富は一家を存分に豊かにし、己は質素倹約を旨として民の生活を潤した。ああ、これより後、その思いやりの心に及ぶ者は誰一人あるまい。亀崎の住職釋公巖
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本間家の家紋。右が表紋、家紋・屋号などあらゆるものに使用している。左は龍胆車(りんどうぐるま)の裏紋で女性の紋として使用している。
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御仏間。欄間に金箔の家紋をはめ込み、扉の周囲には本朱が塗られている。二百年以上経った今も、昔のままの色をとどめている。
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本間家の歴史…『本間家初代久四郎原光が元禄二年(1689)本町一丁目に「新潟屋」を開業した。三代光丘は千石船による商いを始める一方、農業振興のため土地改良・水利事業を行い、又、永年にわたる風害軽減のため砂防林の植林に心血を注いだ。また、荘内藩主酒井家の信望を頂き請われて藩財政の相談に預るなど、地域社会の発展に努めた。以来、商人の地主の任を全うしながら、代々酒田と共に歩を進め、今日に至っている。』
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歴史を刻む武家屋敷…『本間家旧本邸は、三代光丘が幕府巡見使一行の本陣宿として明和五年(1768)新築し、荘内藩主酒井家に献上し、その後拝領した。この建物は、母屋桁行33.6m、梁間16.5mの桟瓦葺平屋書院造りの武家屋敷と商家造りが一体となる珍しい建築様式。商家造りの方で昭和20年春まで生活し、昭和24年から51年まで公民館として利用された。昭和57年に一般公開し、様々な企画展を開催、建物と代々受け継ぐ志をご覧頂いている。』
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酒田は江戸時代に、河村瑞賢が西廻り航路を開いてから、北前船の拠点として栄え、春になると大小廻船が出入りし、諸国からの荷でにぎわった。日和山には船の道標として、常夜燈と方角石が置かれ、常夜燈には、夜毎灯がともされた。諸国の船主たちは、廻船の安全と航海の無事を祈願し、競って、鳥居を寄進したり、船絵馬を奉納した。
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日和山眺望(五十嵐雲嶺謙雅作)
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高野浜舶(五十嵐雲嶺謙雅作)
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