1
青森県三戸郡南部町斗賀。旧名川町。一之鳥居をくぐると参道が左右に分岐しており、左が下斗賀稲荷神社。右の赤い鳥居は下斗賀熊野神社です。
2
下斗賀熊野神社はその配置上、境内社のようになっていますが、歴史的背景を鑑み別記事にしております。また、斗賀神社についても関わりは深いのですが別記事にしております。
3
上の写真は熊野神社ではなく下斗賀稲荷神社の鳥居です。
4
狛犬一対。
5
5.2
5.4
5.8
石灯籠一対(明治41年9月3日)。
6
6.5
御祭神は宇迦能御魂神。例祭日は3月3日。元和元年(1615)の草創。享保3年(1718)斗賀稲荷の遷宮には藩から名代が派遣され、寛保2年(1742)には大明神の神位を受けています。明和年中(1764-1772)南部藩主より社領5石を賜り、以来藩主の尊崇厚く、従って農民の崇敬の的となったとしています。享保5年(1720)・天明8年(1788)には霊現堂とともに、巡見使無事安全通行の祈願もされています。しかし『水神竜神 十和田信仰』(小館衷三)によりますと、「名川町斗賀稲荷神社は正平21年(1366)に開創された斗賀観音堂が神仏分離の時に稲荷社にされたもので、別当は天台宗の涼源山東禅寺であったという。近郷の人が大変信仰した観音で、十和田湖の主の南祖坊もこの観音の申し子といわれている。境内に竜神を祀る十和田神社(小祠)がある。」とあります。すぐ近くの斗賀神社に十和田神社がありますが、斗賀稲荷神社にはありません。ちなみに『水神竜神 十和田信仰』では小祠と覆屋の写真も掲載されていますが、斗賀神社にある十和田神社の社殿は小祠ではなく、そこそこ立派な拝殿でした。※下の写真が『水神竜神 十和田信仰』にある十和田神社の小祠。
7
新撰陸奥国誌によりますと、下斗賀稲荷の御祭神は月讀命、伊弉冉尊、猿田彦命で、相殿として斗賀神を祀るとあります。旧本村にあり、天平21年に草創された観音堂で、明治6年に遷し祭ったとします。つまりこちらも元々は斗賀観音堂であり、明治6年に遷し祭ったとしています。斗賀神社自体も現存しており、創建年や御祭神も異なるため、釈然としない部分があります。どうも斗賀観音堂(斗賀神社)と斗賀稲荷神社が神仏分離に際して混ざってしまっている感じの説明です。分かりやすく言えば、斗賀神社が神仏分離の際に仏具等を斗賀稲荷神社に移して斗賀神社と改称したのであり、斗賀神社が遷ってできたのが斗賀稲荷神社ではなく、斗賀稲荷神社は元々存在していた神社であるということです。御祭神は斗賀熊野神社と関わるもので、相殿の斗賀神も神仏分離の際のものでしょう。よって私がその他の資料等で調べた内容と、上記のことをを照らし合わせながら以下のように由緒としてまとめておきます。
8
斗賀稲荷神社は下斗賀集落の西側の山腹(通称稲荷山)に宇迦能御魂命を主祭神とし、相殿として大宮比売命と太田命を祀る旧社です。元和元年の勧請。元々は下斗賀村最古の家系で、下斗賀村を開拓したという佐々木家の氏神であり、元和元年に本来の産土様であった下斗賀熊野権現堂(現熊野神社)と交換されて、斗賀稲荷神社が産土様になったと云います。石の御神体を納めた木箱には「陸奥國三戸郡斗賀村月齋稲荷神社幣帛祠佐々木秀重」、「元和元年幣帛覆破損ニ付明治六年更ニ拵え家主佐々木元大工佐々木傅三郎」と墨書きされていることから、明治6年にこの木箱を拵えたとわかります。また、寛保2年10月9日付の「大明神」の授与証も納められており、これは上記と同じで、当時からかなり格式が高い有名な神社であったことがわかります。翌年には、八戸天聖寺の則誉守西上人一行が、観音巡りをするために名川町内に入村し、下斗賀稲荷神社に立ち寄ったことが「奥州糠部順礼次第」に記されています。棟札としては明和2年9月26日出現福禄寿神、享和4年2月祇園三所天王大明神、明治4年2月斗賀村前塚山熊野神社一宇などがあります。旧社殿は平成2年10月の大雨による崖崩れにて崩壊しており、平成4年9月3日仮社殿を建立、平成6年に新社殿を完成させ、同年9月2日に遷宮式を執行しています。この当時は南側に参道があり、南向きに鎮座していたそうですが、現在は東側から上る参道になり東向きに鎮座。
9
拝殿内。稲荷神社の宮太鼓(町指定民俗文化財)は、1771年(明和8)卯2月吉日(1771年)大阪渡辺移北ノ町の細工人満屋源蔵が製作した後、1822年(文政5)壬午歳5月吉日(1861年)、1876年(明治9)5月5日に太鼓の張替をして現在に至っているものです。
10
手水石。
11
狐一対。
12
12.5
こちらの建物はわからず。
13
末社。
14
1つは稲荷社。
15
1つは山神御霊。
16
石祠一基。この石祠とは無関係かと思いますが、下斗賀稲荷神社の裏山の急斜面には25cm四方の稲荷石殿が安置され、地元の人はこの石殿を「オムロ」と呼んでおり、狐が隠れる場所であったといいます。高さ63cmの石殿の正面には「正一位稲荷大明神」、側面には「嘉永酉四月吉日長内氏」と刻んでいるそうです。
17
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ