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青森県八戸市湊町縄張。曹洞宗東圓山海安寺。新井田川河口右岸、湊地区の通称「ホロキ長根の高台」と呼ばれる丘陵にあります。御本尊は釈迦如来。北国八十八ヶ所霊場巡り第68番札所。
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竜宮門形式の山門。
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設計は寺院建築業界の泰斗といわれた八戸市新井田出身の中村松太郎氏。
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4.5
昭和60年に完成。
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金剛力士。
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密迹金剛力士。
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山門前の狛犬一対。
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8.5
門をくぐると本堂はこのように見えます。
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手水舎。
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石の盥。
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三猿。
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石の盥と三猿の説明。
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灯籠、十月桜、龍延の松など。
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六地蔵。
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渚守眞砂命之碑。湊町大沢の俗にいう長谷川丁の防潮林に建てられていたものを移設。明治35年9月13日に長谷川藤次郎によって建立されたものです。鰯釜を作る際に掘り出された遺骸を祀ったもの。
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裏面碑文…『維持明治二十七年七月八日宅地内ニ鰮竈造設ノ砌骸骨數體ヲ發掘ス依テ其亡霊ヲ祭祀シ永ク此濱浦一帯ノ守護神トシテ此處ニ奉鎮。明治三十五年九月十三日長谷川藤次郎建立。八戸町石工吉田富次郎』
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龍神堂です。
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18.5
山形県鶴岡市の善寶寺から龍王尊を勧請。
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19.4
19.8
海上安全や大漁満足を願う漁業者の信仰を集めております。
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龍神池。
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山門を振り返るの図。
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22.5
元湊消防組頭神田重雄氏頌徳碑。
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裏面碑文「湊消防組沿革」…『湊消防組ハ元湊村私立消防錨組ヲ基トシ明治三十三年四月公立消防組ニ組織替ヲナシ爾來幾多ノ改善シ設備ノ充實ハ縣下ニ於ケル優良消防組トシテ推賞セラルルニ至リ昭和四年五月八戸市制施行ト共ニ八戸市消防組第六部ト改穪セラレ今日ニ至ル茲ニ其ノ沿革ノ大要ヲ記シ併テ創立以來ノ先輩諸氏ノ功勞ヲ永遠ニ記念セントス 一明治三十三年四月創立當初ノ組織ハ組頭加藤和五郎氏小頭久保三之助神田重雄ノ両氏ニシテ消防手三十名ヲ以テ定員トセリ明治三十五年四月加藤組頭神田小頭辞任シ久保三之助氏組頭ニ泉山長兵衛柳谷春松ノ両氏小頭トシテ就任セリ其後柳谷小頭ニ代リテ東山寅吉氏泉山小頭ニ代リテ髙谷初大郎氏小頭ニ就任シ勵精職務ニ盡瘁セラレシヲ以テ我ガ消防組ノ基礎又茲ニ定マル其ノ功勞真ニ大ナリト云フベシ明治四十一年一月久保三之助氏組頭ヲ辞シ同年三月神田重雄氏推サレテ組頭ニ就任シ昭和四年二月マデ職ニ在ルコト前後實ニ二十四年其ノ問鋭意消防組ノ充實ヲ圖リ組員ノ更新器具器械ノ新調等大ニ其ノ陣營ヲ整ヘ更ニ四十三年八月現在ノ第六部消防屯所ノ新築成ル内ニ外ニ卓越セル消防精神ノ確立ト技藝ノ熟達トハ嚴然他ノ模範トナルニ到レリ 一金馬簾ノ使用ハ大正十年十一月時ノ縣知事ヨリ認許セラレ大正十四年十月小中野町大火ニ付再ビ金馬簾使用ヲ認許セラレ昭和二年十月三度金馬簾ノ使用ヲ認許セラレ昭和三年左記賞状ヲ授與セラル 賞状 湊町消防組合 紀律嚴粛訓練周到技藝熟達其ノ成績優良ニシテ他ノ模範ト為スニ足ル仍テ優賞旗一流ヲ授與シ茲ニ之ヲ表彰ス 昭和三年九月青森縣知事正五位勲四等吉村哲三』※創立以来の功労者名は省略。
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24.5
海安寺八戸港を一望できる場所であるため漁港関係者の信仰が篤く、その菩提寺として海難事故被災者の供養寺ともなっており、境内には「八戸柔魚(イカ)釣漁業者遭難慰霊塔」ほか、海難供養塔がたくさんあります。
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昭和22年建立の「八戸柔魚釣漁業者遭難慰霊塔」。
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第十一神海丸殉難者慰霊碑。裏面碑文…『本船は昭和二十八年三月進水以耒機船底曳網漁船として東北海区水産研究所八戸支所所属試験船として底曳網漁業に従事中北海道襟裳岬附近漁業に於て試験操業の為昭和二十九年九月二十五日八戸港を出港せり然るに翌九月二十六日は青函連絡船洞爺丸の遭難沈没等国鉄未曽有の惨事を惹起せる台風十五号の耒襲あり本船は台風を警戒しつゝ急ぎ北海道廣尾港に避難の途中台風の北進極めて速くサルル沖附近に於て遂に遭難せるものゝ如く機船底曳網組合各船の献身的な搜索協力にもかゝはらず遂に船体を発見するに至らざるも諸船の状況を して全員遭難せるものと断定せり各位は良くその職責を盡て船主の心を心として御協力された故人の霊を永久に御慰めすべく茲に之を建立す 第七神海丸乗込員 昭和二十四年十二月三十一日第七神海丸襟裳沖附近に於いて底曳網操業中激浪の為め離船死亡 角勝治 藤谷喜一』
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第二十五八坂丸供養塔。
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以下碑文は省略。詳しく知りたい方は現地でご覧ください。
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「幽鳥弄眞如」。裏面碑文…『静かな鳥の囀りが真実をささやくかのように聞きとれるみ佛の有り難さにただただ合掌しつつ慈真院節安妙光大姉霊位の安らかな冥福と檀家の吉祥を祈念して幽鳥弄眞如の禅語を録し茲に碑を建立す。平成10年5月吉日青森県文化賞田名部定吉』
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三波石。
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田名部柊一句碑「ちゝはゝの墓に香炷く涅槃西風」
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説明。
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本堂。
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湊の人々は海難供養や大漁祈願などを行うための寺院を必要としていましたが、その当時は新寺創建がままならぬ時代であったため、寺院を建立するには寺院の再興という形で移転廃合をする必要がありました。そこで、下北郡正津川村(現むつ市大畑町)大安寺の平等庵を対泉院十九世東圓嶺月(とうえんれいげつ)大和尚が大安寺と両寺合議の上、大正7年に寺籍を湊町に移すと同時に、東圓山海安寺として歩み出しました。
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開創は東圓嶺月大和尚を勧請開山とし、二世海暗嶺明(かいあんれいみょう)大和尚が現在の山号・寺号に改めました。寺号はもちろん漁師町の菩提寺であったことに由来します。
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本堂は昭和49年に完成。こちらの設計や内部造形も中村松太郎氏。本堂中央に御本尊、脇侍として文殊菩薩と普賢菩薩を奉安しております。更にその左側には平等庵時代からの聖観音菩薩像と延命地蔵を安置。
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大本堂建立記念碑…『「曹洞宗東円山海安寺」。当山は大正七年下北郡大畑町正津川平等庵の寺籍を請願し、対泉院十九世東円嶺月禅師を一世として、八戸市湊町字縄張十四番地の五に開基された。二世海暗嶺明禅師山号を東円山寺号を海安寺と改めると共に、寺門の興隆に尽力し永代発展の基礎を築かれた。創立当初の本堂は、在家の家屋を移築したもので、時を経るに從ひ老朽化甚だしく、加うるに仏事祭典の場として次第に狭隘となり、総代世話人等によりしばしば改築の議が計られたが、その機熟せず、流転の歳月を重ねることになった。先師の衣鉢を嗣ぎ、その遺志を継承する。三世模嶺弘道師の提案を享け、師と志を同じくする関係者一同、回を重ねて慎重審議の結果、昭和四十六年八月、大本堂の建立を勇断、直ちに建設委員会を結成して宿願達成への第一歩を踏み出した。委員各位心を一にして檀信徒の協賛を得るため日夜努力せるにより早期着工の見通しがつき、昭和四十六年十二月十五日、工事の無事と大願成就を祈念し地鎮祭を執行した経済の変動に伴う物価高騰の波にも流されることなくその工事が順調に進捗し、内部荘厳外装造営の完成をみたので、発願以来満五年、昭和五十二年五月二十五日、大本山総持寺貫首岩本勝俊猊下を奉迎し、奉賛者六百余名の参列を得て、大本堂並びに庫裡の落慶式典と創立六十周年記念法要を厳修し佛祖の鴻恩に感謝すると共に先祖累代英霊供養と現世安穏の大般若祈祷を敢行した。時恰も皐月、薫風晴天、境内地積六千余坪規模広濶整然とした環境裏に、入母屋造軒唐破風白亜の偉容を仰ぐことが出来たのである。茲に、その沿革の概要を記録し、関係者一同の功績を永く顕彰するため、この記念碑を建立すものである。』
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小祠。
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永代供養塔。
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向って右が延命地蔵、左が水子地蔵尊。
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台座(昭和60年8月盆)。
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延命観音等石仏。以上でございます。
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