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八戸市是川字西母袋子。
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母袋子峡谷についてですが、新井田川を上流からみると、島守地区から狭く蛇行する渓流に入りますが、ここは昔話の「島守の八郎太郎」に出てくる「島守もっこ」・「母袋子もっこ」と呼ばれる地点。「もっこ」は土などを運ぶ縄を網のように編んで4隅を木に結わえたもので、川をせき止めて島守を湖にしようとした半島状の場所。川は東側で大きく蛇行しますが、その場所を白蛇久保といい、青森県で初めて水力発電所を建設した場所です。そこを少し北に下ると泉山石材がありました。地獄沢と呼ばれており、岩に仏を刻んだ3体の磨崖仏があります。
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西母袋子と東母袋子を結ぶ吊橋は明治末頃、発電所建設の際に架けられたもので「東橋」と名付けられていましたが、平成7年に鉄筋製の吊橋にかわって「母袋子つり橋」となりました。この橋を渡ると東母袋子で、坂道を上ると久慈街道に出ます。東母袋子は八戸地方の言い伝えの中で最も古い「後三年の役」で敗れた安倍一族にかかわる落人伝説が残されている地域です。安倍貞任、宗任の兄、仲通が落ちて来たところだといいます。吊橋から100mほど下には第二次世界大戦後まもなく、採石をする車輌が通る「たかのすばし」が架けられています。そこから道は川の右岸を通り、たかのすばしを渡り岩ノ沢に入りますが、ここには大正年間の類家田んぼ開拓につながる隧道の取水口があります。そこを過ぎると是川の広い出口へと続きます。
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地獄沢についてです。険しい断崖に囲まれた周囲を蛇行する川が流れ、日中でも暗く、人を近づけない地であることからいつしか地獄沢と呼ぶようになったそうです。また、地獄沢は西母袋子の南側にあたる採石場で、言い伝えによりますと、死んであの世へ行くと閻魔様の前でまず聞かれるのは「向母袋子へ行って来たか」であり、次に「媒人(なこうど)を何度した」であるといいます。明治初年の新撰陸奥国誌では地獄沢について次のように記します。「本村の北二十七丁にあり、西山高く峙ち、北は是川村、南は巻山に聯り、険絶人なし。山の東麓箕巻細身坂と云る所を降て、河原より渓口を窺見るに白昼尚闇々として夜のことし。依て地獄と名くと。」、「この渓口に石の不動を安く丈六尺余、何の頃にか真化云る僧の立る所なりと云えり。」とあります。この不動とは岩に刻まれた不動明王のことを示すと考えられ、真化という僧侶によって刻まれたように読み取れる記述です。
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八戸市史より一部抜粋…『(前略)倒れかかっている一つの岩に、地蔵菩薩と観音菩薩が彫り込まれていた。その先の細い渓流の向こうにある岩に不動尊が彫り込まれていた。小井川潤次郎の著書「是川島守」の「母袋子の佛像」には、昭和20年頃に是川の妻ノ神から川縁をたどって岩手県軽米に至る工事が行われた際に、母袋子での爆破作業中に六尺近い磨崖仏が発見されたということが掲載されている。左手に珠をのせ右手に杖をもつ地蔵菩薩らしい。小井川は、これらの磨崖仏を階上岳麓の寺下観音堂燈明堂を建設した津要玄梁が刻んだものであろうとしていたが、後に津要の亡くなった延享2年(1745)とは時間的な違いがあるのではないかと、再考の必要性を書いている。また、「新撰陸奥国誌」にある、不動明王が真化という僧によるものという言い伝えからも、三体が同一人物によることにはならないと思われる。「八戸藩勘定所日記」によれば、八戸藩士蛇口伴蔵が安政4年(1857)10月に「作之丞屋敷上地獄沢」から上水し、灌漑するために城下南の板橋まで導く計画をしていることがわかる。また、十六日町にある天聖寺の山寺霊園が長者山の東麓にあり、ここに飢饉で亡くなった人を弔った餓死供養塔が四基ある。その中の文久2年(1862)に大施餓鬼供養が営まれた「天保戌亥両歳餓死精霊供養塔」は、天保9年の戌年と同10年の亥年の飢饉で亡くなった人々の餓死供養塔である。文久2年は、天保9・10年より数えて23回忌にあたっている。この石碑は上是川村地獄沢から切り出され、人足70人ほどで引き配って建立したものであるという。』
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不動明王。
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普通に見たらわかりませんでした。
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裏にも何もありません。
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設置されている階段に上ってみます。
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う~ん…
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これだ!
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保存状態はあまり良くないんですね。
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お次は地蔵菩薩です。
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「デーリー東北新聞社・昭和49年6月発行・ふるさとの心より写す」という案内板があります。
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う~ん…
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これでしょうね。
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わかりにくいです。
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破損している部分にも何か彫られていますね。
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お次は観音菩薩です。
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こちらは状態が良く、一瞬でわかりました。
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21.5
碑文…『静かに懐古する時、岩松天高く聳え立ち、阿修羅の寒泉肌に冷たく、晝とて暗く木霊の漂ふこの地に三体の御佛が鎮座してございます。西暦2000年を期として老化と水害を勘案し安置替をいたしました。御佛の御教え永遠に息えることなきよう念願する次第でございます。発掘から本安置までの関係各位の御厚情に深甚なる御礼申し上げます。尚貴重な御意見、参詣各位に併せお礼申し上げます。西暦2000年12月12日作之亟当主合掌』
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