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八戸市是川字東母袋子。母袋子は新井田川沿いを南下した場所にあり、かつて人を寄せ付けにくいと言われた大きな渓谷あります。母袋子はアイヌ語によるホロ(大きな)コッ(窪地)に由来します。是川の母袋子の山寺で、代々近太郎と称した阿部家に伝わる文書によりますと、寛文2年、同6年、同7年等、山奉行から材木を切り出すよう命令が出されていることから、母袋子が材木の供給源となっていることがわかります。
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久慈街道と並行して西側の峡谷を新井田川が北に流れ、八戸公園方面から南へと進み、水野を過ぎると西側の母袋子の集落に下がる道があります。その道は新井田川へと続く急斜面で、石山となっている採石場へダンプカーが往来する道でもあります。坂は大きく「く」の字形にカーブを描きますが(下の写真)、その屈曲点を曲がらずに真っ直ぐ南へと進むと、その先の尾根の先端部付近に保呂子山神堂があります。
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道中は意外に整備されていて歩きやすかったです。
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4.4
4.8
堂宇が見えてきました。
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5.5
着いてから気付いたのですが、もしかしたら本来の参道は堂宇正面にあるのかも知れません。確認はしておりません。正面から見るとこのような感じで堂宇が見えてきます。
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保呂子山神堂。
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石灯籠一対(安政4年9月吉日)。
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創建年月日等詳細な由緒はわかりませんでしたが、保呂子山神堂にはかつて5枚の棟札が保管されていたそうです。最も古い棟札は慶長16年9月27日のもので「奉造柴山神牛王社八戸三五郎殿直政御代々□□□」と書かれていたそうですが現在は見当たりません。根城南部氏20代三五郎直政の時代のものです。現在残されている棟札は、安永5年のものが2枚と、文政7年と嘉永5年のものが各1枚。その他、年代不詳の「開眼山神尊秘法供養札」があります。
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内御堂の中には鉄製の懸仏が一面あるそうです。径18.4cm、厚さ0.6cmの合掌した男女神二体の姿を表した二神像。
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暗くて懸仏や棟札はよく見えませんでした。懸仏は別の場所で保管されているのかも知れませんね。
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11.5
尾根の南斜面は岩が多く、この地域の典型的なケヤキが広がっています。
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かつて保呂子山神堂の北側に三抱え近くもある別名ハリギリとよばれるセンノキがありました。また、この山神堂のある尾根筋にはアカマツとケヤキの巨木があります。
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