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柴灯場(柴灯まつり広場)にある神楽殿。
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鬼瓦…というよりナマハゲ。
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神楽殿向かって右側の神輿の説明「正徳四年(1714)秋田藩第四代佐竹義格公寄進の神輿」。神楽殿向かって左側の神輿の説明「佐竹公より寄贈神楽保存の為平成七年三月作成のみこし」。
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柴燈場「生剥がえびす踊りををどるとき けらの海草をここだ落しき」吉美
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真山神社社殿へ。
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社殿前。確かブラタモリでタモリさんがなまはげに襲われた場所がここだったかな。
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真山神社社伝によりますと古事記・日本書紀に記される12代景行天皇の御世に、武内宿禰が北陸北方地方視察のあと男鹿島に立ち寄った際、男鹿半島の秀峰湧出山(現在の真山・本山)に登り、その際に武内宿禰が使命達成、国土安泰、武運長久を祈願するため、この地に瓊瓊杵命、武甕槌命の二柱を祀ったことが始まりと伝えます。平安時代以降、仏教が日本全国に広まりはじめ、男鹿半島にもその波が及んだ貞観年中、円仁慈覚大師によって湧出山は二分され、北を真山、南を本山と称するようになったと伝えます。以降修験の信仰が高まり、天台宗僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤山明神と習合されました。南北朝時代に真山の別当が置かれた光飯寺は、天台宗から真言宗に転じ、東北地方における時の支配者も移り変わる中、その庇護の下で修験の霊場として一山繁栄を誇りました。江戸時代には国内十二社に指定され、佐竹藩縁の祈願所として数々の寄進崇敬を受けたことにより、幾多の堂塔伽藍が営まれるようになります。明治維新以後は神仏分離令が発せられたことで元の神域に復し、名称も赤神神社から真山神社へと改称。同時に秋田県の県社に列格。
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御祭神:主祭神…天津彦火瓊瓊杵命、武甕槌命。
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合殿神…天照大御神、豊受大神、豊玉毘女神、少彦名神、大山咋神、大名持神、塞神三柱神(衝立船戸神、八衢比古、八衢比売)。
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例祭日:宵宮祭7月15日、当日祭7月16日。
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恒例祭:歳旦祭1月1日、柴灯祭1月3日、なまはげ柴灯祭2月第2金・土・日、新嘗祭11月16日、鰰祭11月中旬、除夜祭12月31日、月次祭毎月16日。
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拝殿内。
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薬師堂へ。
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真山神社社殿の横から石段を上ります。真山神社南側後方に鎮座。
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趣のある石段。
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狛犬一対(安政4年6月吉日)。
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薬師堂。
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向拝。
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蟇股。
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神仏習合時代以来の別当光飯寺の本尊薬師如来座像(県指定有形文化財)が祀られています。この像は南北朝時代の作と見られ、今日に至るまで篤く崇敬されています。
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堂内には江戸時代の雑俳の献額もあり、幅広い信仰の様子もうかがえます。
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天井画。
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薬師堂の脇にある「菅江真澄の道(夜籠り)」標柱。『文化7年(1810)4月7日真山で夜籠りを見る。(男鹿の春風)』・『夕方、真山の関金七のもとに宿をかりた。近くの村々から老女が大勢集まってきて、薬師の前で夜籠りをし、念仏を唱え歌をうたい踊り、堂の板敷を夜どおしふみならして夜を明かした。』
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薬師堂から見た真山神社社殿。
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社殿と薬師堂の間に続く石段を上ります。
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句碑が結構ありますね。
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老杉並木の参道。
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石灯籠一対。
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お山かけの入口でもある社殿と薬師堂の間に続く石段を踏みのぼり、老杉並木を通り抜けると五社殿が見えてきます。
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31.5
五社殿(秋田県指定有形文化財)。
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古くはその名の通り五つの社がありましたが、江戸時代後期に焼失し、残った一社に合祀して現在の場所に遷されました。
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向拝。
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扁額には「赤神山」。
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殿内には文化年間以降の参詣者の落書きが所狭しと記され、当時を知るための貴重な資料となっています。四国・大阪・新潟・松前など諸国からの参詣の跡が見られ、歴史的著名人も詣でていたことがうかがえます。
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石灯籠一対。
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真山神社五社殿…『五社堂と呼ばれる。昔は五つの社であったが火災で焼けたため、一つの社にまとめ、現在地に新築したという。大きさは、正面が三間(約7m)側面が三間(約7m)の正方形で、入母屋造りといわれる建物である。内部は、宮殿のある「内内陣」と呼ばれる室、「内陣」、それに「外陣」と呼ばれる三室からなっている。また宮殿は杉材で作られており、格狭間のある須弥壇に安置されている。建物を飾る木鼻などの彫刻は、江戸時代後期の特色をあらわし、その頃に建てられたと考えられている。建物の内壁や柱には、文化元年(1804)を最古とする落書きが残っている。この中には、日本海を航行した各国の船乗りたちが参拝した記録もあり、当時の赤神山の信仰を知るうえで貴重な資料となっている。男鹿市教育委員会』
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雨の中、真山神社本殿を目指しましたが、途中で道を間違え、天気の悪さも相俟って心が折れました。
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案内板があるにもかかわらず道を間違えるという…自分らしさの追求…
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ちなみに真山神社の本殿は真山山頂に鎮座しており、国家安泰、武運長久、五穀豊穣、海上安全の守護神として崇敬されています。平成19年に改築した重層(2階建て)建築で展望も兼ねています。※写真はパンフレットより。
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ってことで戻ります。
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42.5
以上、真山神社でした。
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以下、公式パンフレットより引用。
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『■由緒沿革…社伝によれば景行天皇の御代武内宿禰が北陸地方諸国視察により男鹿島へ下向の折、半島の秀峰涌出山に登る。この時宿禰は使命達成、国土安泰、武運長久祈願のために瓊瓊杵命・武甕槌命を祀ったのが始源とされる。平安時代以降仏教の伝播が次第に男鹿へも至る頃、貞観年中には円仁慈覚大師によって涌出山を二分し北を真山、南は本山としたと伝えられる。以来修験の信仰が昂り、天台僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤山明神と習合された。南北朝時代には真山別当光飯寺は真言宗に転じ、支配も東北豪族安部氏清原氏藤原氏と移りながらその庇護のもと、修験霊場として一山繁栄を誇った。江戸時代には国内十二社に指定され、佐竹侯の祈願所として数々の寄進崇敬があり、幾多の堂塔伽藍が営まれてきた。明治維新以後は神仏分離令によって元の神域に復し、名も赤神神社から真山神社に改まり、県社に列格せられるなど、ますます深厳な境内を維持してきた。ご本殿は今なお真山山頂に鎮座し、国家安泰、五穀豊穣、海上安全の守護神として崇敬されている。■神域をあるく…真山山麓にあたる真山集落の南端いは万体仏堂(県指定有形民俗文化財)がある。以前は真山神社境内にあったが、明治の初め現在地に遷されたものである。小型の木彫地蔵が四面から天井まで祀られている。ここから神社を目指して坂を上り、大鳥居をくぐり進むと、やがて神社の石段前に仁王門がみえる。仁王は江戸時代中期に作られたもので、旧光飯寺の山門であったが明治以降神社神門として現在に至る。神門右手前には江戸時代中期の宝篋印塔が建ち、災難除けとしての信仰がある。また、神門をくぐるとすぐにみえる特異な姿の狛犬は、神殿に座す室町時代作の木造狛犬を模したものである。神社の社殿は昭和34年に新築されたもので、権現造りの崩し様式による伝統と現代的建築意匠を加えたものとなっている。神社北側の社務所をすぎてやや進むと、左山手に弘法大師を祀る小堂がある。これは明徳年間別当光飯寺が天台宗から真言宗に転じた名残りである。さらに進むと歓喜天堂がみえる。男鹿の旧家目黒家の奉祀によるもので、夫婦和合、福徳円満等の信仰をもってきた。その周辺は別当光飯寺の跡地で、今は苔むす礎石だけが歴史の跡かたを遺す。前庭にあたる場所には慈覚大師の手植えと伝えられる、樹齢千年余りの榧(県指定天然記念物)の巨木が威風堂々と立っている。また神社南側後方の小堂には神仏習合時代以来の別当光飯寺の本尊薬師如来座像(県指定有形文化財)が祀られている。この像は南北朝時代の作とみられ今日でも篤く崇敬されている。堂内には江戸時代の雑俳の献額もあり、巾広い信仰の様子もうかがえる。社殿と薬師堂の間に続く石段を踏み登り、鬱蒼とした老杉並木を登り終えると五社殿がある。古くはその名のとおり五つの社があったが江戸時代後期に焼失し、残った一社に合祀し現在の場所に遷された。この殿内には文化年間以降の参詣者の落書が、所狭しと記されている。四国・大阪・新潟・松前など諸国からの参詣の跡が見られ、歴史的著名人も詣でている。真山・本山は「お山」とよばれて、真山神社から門前まで山中に祀られる神々の跡かたには、山岳信仰の歴史が見られる。この道は修験者の行道として開かれ、江戸時代には山掛け道として庶民の登拝も盛んに行われた。平成19年秋に改築した真山山頂の重層造りの本殿からの眺望は、眼下に寒風山・日本海を、遙かに太平山・森吉山を望む絶景である。毎年5月には「お山開き」を行い春から秋にかけて登山参詣で賑わう道となっている。■お山は自然の博物館…お山には面積の少ないわりに約千種の植物があり、また日本三大美林の一つである天然秋田杉の林相美にも目を見張るものがある。さらい鳥類なども多く、めずらしい青鷺の営巣もみられ、貴重な地質などを含め自然の博物館といわれている。■柴灯祭…本社の特異神事である柴灯(せど)祭は、正月3日境内に柴灯を焚き上げ、この火によってあぶられた大餅を、お山に鎮座する神に献ずる祭儀である。なまはげはこの神の使者「神鬼」の化身といわれ、長治年中より行われてきた。雪の深々と降る厳寒の宵に斎行されるもので、その年の村内安全・五穀豊穣・大漁満足・悪疫除去を祈る。特に神鬼に献じられた餅は護摩餅と称されて、災難除去の御護符として氏子参詣者に頒賜される。なお、2月第2金・土・日には、「なまはげ柴灯祭り」として当神社を会場に開催されている。』
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